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『時かけ』公開記念放談 細田守×小黒祐一郎
第3回 リアルだから「映画」になるわけではない


小黒 細田さんの作る作品もそうなんだけど、最近の劇場大作アニメって、描写が緻密な、リアル指向のものが多いよね。ひとつひとつの事をきっちりと表現する事が、映画的体験に必須と思われているのかもしれない。例えば海を旅するロマンを描いた作品で、海を海だと感じられなかったら、気持ちを入れて観られない。本当は説得力のある表現であれば、緻密でなくてもいいし、リアルである必要もないんだろうけど。
細田 うん。必ずしもリアルである必要はないはずですよ。ただ、よく言われてる事だけどさ、リアルである事が、今のアニメーションにおける分かりやすい驚きであるのは確かなんじゃないのかな。
小黒 それはそうだ。リアルである事が観客にとっての価値を測りやすいから、リアルなものを作るわけだ。
細田 つまり、アニメーションで破天荒なものを描いても、それは驚きではない。なぜなら、それがアニメだから。
小黒 でもさ、それは理屈がひと回りしてるんだよね。
細田 ひと回りしてるんだよね(苦笑)。こんな事を言われても、分かんない人が多いだろうけど。
小黒 『白蛇伝』の頃だったら、子供達は動物が立って喋るのが凄い事だと思ったんだけど、そんな事をずっと続けているうちに、動物が立って歩くなんて当たり前の事になってしまった。
細田 そう。特定の作品を指しちゃうけど、むしろ狸が狸然として歩いているところの方に感動がある。
小黒 そうそう。「凄え、本物みたいだ」なんて驚く。
細田 そうなんだよね。
小黒 狸がリアルに歩くアニメなんて、30年前だったら企画として成り立たなかったわけでしょ。「マンガなんだから、もっと可愛く歩かせろ」とか言われたはずだよ。
細田 それこそ、アニメに夢があったんじゃないの。つまり、観客がアニメにそういう体験を求めていたんだけど、それはアニメの歴史で言うと、初期の段階で終わっちゃったんだよね。動物が立って喋るというアメイジングが、映画的体験でなくなったんだよね。
小黒 少なくとも、面白い事ではなくなってしまった。
細田 じゃあ、リアルを突き詰めれば、それがイコール、アニメーションとしての最高の映画的体験になるかというと、それはどうかなと思うけどさ。
小黒 それだけでは素晴らしい映画的体験は得られないよね。
細田 でも、やっぱり制作現場の人達の間で「リアルな描写こそが素晴らしい」と考える風潮はあるんですよ。映画を構築していく上で必要な要素かもしれないけれど、それ自体を目的化してはいけない。これは雑誌のアニメスタイル2号で言ったのと同じ事だけどさ(笑)。
小黒 ましてや、それは絶対条件でもないしね。
細田 うん。そうだと思う。
小黒 だけど、『新ルパン』最終回(「さらば愛しきルパンよ」)で、宮崎(駿)さんが新宿を描いた時に「これは凄い」と思ったわけでしょう。
細田 それは思いましたよ。
小黒 今、同じ事をやっても、僕たちは、もうあの興奮を得られないわけだけどね。
細田 あの当時、僕は地方にいたから本物の新宿を観た事なかったわけです。だけど、凄くリアルだと感じたし、そのリアルさが映画的な体験に繋がっていたのは間違いない。でも、それは新宿をリアルに描いていたからよかったのではなくて、新宿の中で起こり得ないはずの事件を体験できて、それが面白かったわけだからね。近所の火事を見に行ったような臨場感がそこにあったんじゃないかな。
小黒 宮崎さんの演出的手腕が、遺憾なく発揮されたシーンだものね。
細田 それと宮崎さんは現代物をあまりやっていないから、余計新鮮に思ったのかもしれない。
小黒 漫画的な世界だった『新ルパン』であれをやったのが衝撃だったというのもある。
細田 その漫画的な世界とリアルの構造は、どこか押井(守)さん的なような気がするね。
小黒 するね。『うる星』TVシリーズと『ビューティフル・ドリーマー』の関係。『機動警察パトレイバー』のそれまでのシリーズと『パト2』の関係ね。
細田 現実と虚構と言えば、『ビューティフル・ドリーマー』の体験が、現実と虚構の関係の面白さみたいなものだけだったかと言うと、実はそうではないんだよね。
小黒 全然そうじゃないね。
細田 よくその言葉で語られているじゃないですか。
小黒 違うよね。むしろ、登校する時に足下の水溜りに青空が見えるとかね。
細田 そうそう。深夜の街で、ショーウィンドーが透過光で光っているとかね。
小黒 薬缶でお湯を沸かしてるシーンの雰囲気とかね。
細田 あの饐えた匂いのする給湯室ね。あの映画は日常から始まって、現実と虚構が交錯するけれども、冒頭からトーンは一定してるものね。だから、あの映画に関して現実と虚構なんていうのは自分達にとっては御題目でさ。
小黒 むしろ、その現実と虚構の構成は、現実を浮き上がらせるためにあったみたいな。
細田 うん。そうかもしれない。
小黒 TVと映画の関係で言うと、俺はやっぱり、映画よりもTVが好きなんだ。例えばNHKの連続テレビ小説を毎日見てると、自分の中でそれが生活の一部になってくるんだよね。
細田 まあ、自分が主人公の家族みたいに思えてきますよね。
小黒 そうそう。話自体がよくできてなかったとしても、登場人物のドラマを自分の身内の事のような気持ちで観て、一喜一憂しちゃうわけだよ。
細田 それは分かるな。僕は連続テレビ小説だと、本仮屋ユイカさんが出ていた「ファイト」(2005年)を観ていたんだけど、観ているうちに親近感を感じるようになりましたよ。それは毎日観るという事において、醸し出されるものかもしれないよね。
小黒 映画は2時間という短い時間で「体験」をするけど、TVドラマは日常の中に入っていくる。TVアニメにも似たところがあるよね。たとえ出来がチープでも毎週放映される事によって、得られるものは確実にある。俺が「映画的体験」というのを気にしてるのは、普段よくTVを観てるからなんだろうね。
細田 ああ、そうかそうか。
小黒 つまりTVアニメ、TVドラマで得られないものを映画に求める。だから「映画とは何か?」が気になるんじゃない。
細田 そうだね。そうなってくると、やっぱり「じゃあ、その映画的体験って何よ?」という事になる。言葉にならないから喋りたくなるんだけど、それをあえて言葉にするなら何なんだろう。
小黒 難しいよね。
細田 それは恐らく映画というものの枠組みにあるわけではないんだろうね。個々の作品が映画的体験に成り得たり、成り得なかったりするという事は、それは映画というメディアそのものがそれを内包しているものではない、という事でしょう。
小黒 しかも、複雑な事に「面白いんだけど映画じゃない」という作品もあるかもしれない。
細田 あるかもしれない。「雪の断章」(「雪の断章 情熱」1985年、相米慎二監督)とか、相米慎二の映画を観ていると、映画的体験について色々と考えるよね。「ションベン・ライダー」よりは「雪の断章」とか、もしくは「台風クラブ」の方が、映画的体験という意味では分かりやすいんだと思うけど。
小黒 いや、俺は「ションベン・ライダー」の方が……。
細田 解読できないよ! 「ションベン・ライダー」は!
小黒 解読できないから、映画的体験として純度が高いんだよ。
細田 いやいや、それはちょっと乱暴な言い方だという気がするよ(笑)。
小黒 (笑)。

●『時かけ』公開記念放談 細田守×小黒祐一郎 第4回に続く

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特集「アニメの技術を考える」クリエイター 創作の秘密 細田守インタビュー(06/07/10)


(06.07.21)

 
 
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