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『時かけ』公開記念放談 細田守×小黒祐一郎
第1回 「映画」とは何なのか?


 少し前に『時をかける少女』制作中の細田守監督と「映画とは何か?」をテーマに話をしてきました。これは僕にとって、ここ数年間、ずっと気になっていた事なんです。「映画館で公開されたものは全部、映画だ」と言ってしまっても間違いではありません。それがシンプルな定義です。ですが、人がある作品について「これは映画だ!」と言う場合、別の基準で「映画かどうか」を判断して言っているわけですよね。その定義は人によって、また場合によっても違うはずです。そんな事について、ちょっと考えてみましょう。


●2006年5月12日
取材場所/東京・荻窪
取材・構成/小黒祐一郎

小黒 ここ数年、「映画」というものが気になっているんだ。「映画って何なんだろう」みたいな事を考えたりしているわけ。
細田 どうしたんですか。アニメ様が映画を気にするなんて(笑)。
小黒 映画が分かってないと、アニメも分からないと思ったからなんだよ。アニメの劇場作品について「これは映画だ」とか「これは映画ではない」と言ったりするじゃない。その場合の「映画」って何なんだろうかが気になっているんだ。
細田 なるほど。
小黒 「男はつらいよ」(1969年〜1995年、全48作、山田洋次監督)なんて、やってる内容はTVドラマでもできる事なんだけど、ちゃんと映画館で観ると「映画」になってるわけでしょう。
細田 映画館で観る事の意味って、何なんでしょうね。具体的にはスクリーンが大きいとか、他人と一緒に観るとか、CMが入らないとか、そういう事が挙げられるだろうけど、それ以外の何かがありそうですよね。でも、例えば衛星放送やDVDでの鑑賞なら、CMなしで作品が観られるわけじゃない。それには「映画」は感じないの?
小黒 俺にとっては、やっぱり劇場で観るのが「映画」なのかな。
細田 劇場で観れば必ず「映画」だと感じるんですか。
小黒 いや、そうでもない。劇場に行って「これは映画じゃない」と思った経験もあるよ。細田さんは「これが映画だっ!」と感じる事はあるの?
細田 うーん、何だろうなあ。変な言い方になってしまうけど、自分の中では「面白いと思うものが映画」みたいなところがあるかも(笑)。TVドラマとか、音楽とか、小説とか、いろんなジャンルのものの中で、面白いと思う瞬間が他のジャンルに比べて多いんですよ。例えば、TVの刑事ドラマでよくできたものを観た時にも、映画的感動を得ているような気がする。小説も多少は読むけど、映画で文学的な感動をする事もある。文学的な感動を味わいたいなら、純文学を読めと言われるかもしれないけど。
小黒 なるほど、細田さんは映画好きだものね。俺は映画を観れば観るほど、自分があまり映画が好きじゃない事を実感するなあ。
細田 ああ、そうなんだ。でも、小黒さんは、最近いっぱい観ているんでしょ。
小黒 去年はね、劇場で100本以上観た。
細田 うわ、すっげえ。真似できねえ(笑)。
小黒 事務所の近くに名画座の新文芸坐があるからね。新文芸坐で10本以上観た月もあったよ。
細田 僕はほとんど劇場に行かないし、観てもDVDが関の山ですよ。
小黒 去年、新文芸坐で「七人の侍」(1954年、黒澤明監督)も観たのよ。勿論、TVでは観た事があったし、内容も知っているんだ。それでも感動したなあ。
細田 それはどうして?
小黒 「七人の侍」を観ている間、あの村にいるような気がしたんだよね。だから「観た」というよりも「体験」に近い。「七人の侍」というタイトルを「体験」したような気がした。それで、観る事によって「体験」できるのが映画なのかもしれないと思うようになったんだ。
細田 なるほど、そういうのあるかもなあ。でも、観てもなかなか「体験」させてくれない映画もあるよね。
小黒 そうだね。映画を観る行為の全てが「体験」になるかどうかは分からないけど、触れた事が「体験」だったものは、思い出に残る映画になると思うよ。
細田 映画を「体験」にするかどうかは、映画館という環境の問題が半分なんだろうけど、もう半分は作品そのもののパワーみたいなものだよね。
小黒 しかも、「七人の侍」みたいな臨場感のあるものでもなくても「体験」にはなりうるんだろうね。全然面白くなくて、内容に共感もできないんだけれども「体験」として残る映画もあるよね。
細田 それはそうかもしれない。「ゆきゆきて、神軍」(1987年、原一男監督)というドキュメンタリー映画があってさ、奥崎謙三という人の破天荒ぶりをひたすら記録しているんだけど、奥崎謙三の言ってる事が、一から十まで共感できない(笑)。共感はできないんだけれども、体験としては凄まじかったよ。
小黒 なるほど。去年100本観た中で「七人の侍」に匹敵するくらいに「体験」であったのが「ションベン・ライダー」(1983年、相米慎二監督)だったんだよ。
細田 ええっ、そうなの?
小黒 「映画って何だろう?」と思っていた時に観たんで、凄いインパクトを受けた。同じ映画を、レンタルビデオを借りてTVで観たらさ、「なんだこりゃ」と感じたと思うのよ。
細田 (笑)。確かにそうかもしれないね。
小黒 面白いかどうかという事はおいといて、あれは「映画」以外の何物でもなかった。
細田 というか、あの映画は何が行われているか分かんないですよね。
小黒 分かんない。
細田 単純にセリフが聞き取れなくて、主人公達が何を言っているのかもよく分からないじゃん。
小黒 シーンが変わって舞台が変わっても、どうして主人公たちがそこに来たのか分からない。
細田 さらに服とか着替えると、誰だかもう分からないとかね(笑)。
小黒 3人の主人公が、劇中で服を取り替えるんだよね。しかも、3人の背格好が近い。
細田 でも、そういうものがどうして映画の体験として強く大きかったの? 僕は「ションベン・ライダー」はビデオでしか観た事がないんだけど。
小黒 ビデオだときついと思うよ(笑)。
細田 うーん、きつかった。
小黒 俺も、『うる星(やつら オンリー・ユー)』の同時上映で公開された時には観てないんだよ。その時は『うる星』だけ観て帰ってきちゃったのかなあ(爆笑)。公開された時、俺は18歳か19歳で「映画とは何か」なんて興味なかったから、観ても何も感じなかったと思うけど。
細田 うーん、僕が中3だね。2月公開だったから、中3から高1の間だったと思う。それで、小黒さんは相米慎二に興味を持ったりしないの?
小黒 興味持ったよ。観た後ですぐに本を買って読んだし、同じ日に「台風クラブ」(1985年、相米慎二監督)を観たし。
細田 「台風クラブ」よりも「ションベン・ライダー」の体験の方が強かったの?
小黒 全然。比較にならない。
細田 何言ってるの。「台風クラブ」は素晴らしいじゃないですか。
小黒 「台風クラブ」はちゃんとしたいい映画だよ。
細田 ああ、そういう事ね(苦笑)。思ってもないものが出てきたから「体験」だって言うんだ。
小黒 しかも、映画館だからあの長い長い長回しを、椅子に座って観なきゃいけないんだよ(笑)。
細田 ハハハ(笑)。
小黒 でも、つまらなかったわけではないの。本当にドキドキする体験だった。自分にとっては映画体験というのは、劇場に行かないと味わえないものなのかもしれない。多分、モニターで映像を観る事に麻痺しちゃってるんだと思うんだよね。
細田 あー、そうかそうか。
小黒 家のモニターで観る事を否定する気はないけどね。自分だって中学生の頃は、TV放映されているアニメやドラマを集中して観ていたもの。例えば『ベルサイユのばら』の本放送の時には、部屋を暗くして観ていたよ。
細田 僕は今でも、家で映画を観る時には暗くしますよ。ただ、映画には集中して観るかどうかと別の意味もありますよね。「体験」の強さという事で言うと、やっぱり他のジャンルよりも映画の方が強い気がする。それは集中して観る以上の何かがそこに込められていたりとか、もしくは娯楽を越えた何かがそこにあるからなんじゃないのか、という気がする。面白いバラエティ番組をキネコして、映画館のスクリーンで上映してみたりとか、もしくはアーティストのフィルムコンサートみたいなものを映画館で観てさ、バラエティ番組やコンサートと同じ体験を得られるか、もしくは映画と同じような体験を得られるかというと、そうは思わないもんね。
小黒 山内(重保)さんの劇場『デジモンハリケーン』(正式タイトルは『デジモンアドベンチャー02 前篇 デジモンハリケーン上陸!! 後篇 超絶進化!!黄金のデジメンタル』)なんて、映画館で観ないと全く何がなんだか分からないフィルムだったよね。
細田 (笑)。いや、確かにそうかもしれない。山内さんの作品って、巧い作画のオンパレードじゃない。だから、そういうところに目が行きがちなんだけど、実際に観ると、物語や作画以上のものを受け取るわけじゃない。
小黒 そうそう、それは「気分」だよね。
細田 うん。そういうものがあったと思う。
小黒 それだったら、『(ワンピース THE MOVIE)オマツリ(男爵と秘密の島)』だってさ、初見がビデオだときっついんじゃない。劇場で観てほしいよね。
細田 いやいや、ビデオでも面白いと思いますよ。
小黒 あ、なんだコイツ(笑)
細田 と言うか、むしろ、今だったら逆にビデオの方が面白いかなって。ビデオで観ると違う切り口で楽しめるように作ってあるかなあ、みたいな(笑)。
小黒 宣伝っぽい発言だなあ。
細田 ハハハ(苦笑)。自分の作った作品ってほとんど観返さないけれど、去年「東京国際映画祭」で『(デジモンアドベンチャー ぼくらの)ウォーゲーム!』を上映してもらったのね。それで自分のフィルムを観返したんだけど、改めていい劇場で観返す事で、違った味わいが感じられたね。公開の終わった映画って、なかなか劇場にかけられる機会がないでしょ。それから自分が作り終えた時って、まだ客観的にはなれないけど、改めて観る事でちょっと引いた目線で、自分の映画に向き合う事ができた。だから、あれは凄くいい体験だったよ。ロードショーをやっている間は、自分の映画はまだ客観的に観れないしさ、でも、客観的に観れる状態になるともうやってないわけじゃない(苦笑)。自分で自分の作品を「体験」できないのは、辛いところだよね。
小黒 自分で作ってる時に「映画にしよう」という意識はある?
細田 それは常にあるね。最初にも言ったけども、自分の中で面白いと思ったものと「映画」がほとんど同義語になっているので、「面白いものにしよう」=「映画にしよう」みたいなところはあるかもしれない。でも、面白いものと言っても、例えばバラエティ番組を見て面白いと思うのとイコールかというと全然違うんだろうね。小黒さんは「体験」という言葉を使ったけど、僕が作る時にもその「体験」のようなものを意識して作ってますよ。それは単純に感情移入度を高めるとか、そういう事じゃなくて、たとえばある1人の人の出来事に立ち会う感じだと思うんだけど。
小黒 それはドラマである必然性すらない?
細田 うん、そうそう。物語を効率的に語るだけなら、映画じゃなくてもいいわけでしょう。さっきの「ションベン・ライダー」とか、山内さんの作品もそうかもしれないけど、つまりドラマを観に行くだけではないから、それが体験になるわけでしょう。
小黒 ドラマに触れるだけでは「体験」になりづらいだろうね。
細田 夜中に近所で火事があったとしてさ、野次馬になって見にいったら、そこに焼け出された人とかいて、消防車がワンワンとサイレン鳴らしていて、消火をしていた。それを目の当たりにするのだって体験であるわけでしょう。
小黒 体験だよね。
細田 例えば、そういう事だよね。映画と体験の関係を突き詰めていくと「一番面白いのは人の人生」というところに行き着くと思うんだ。俺ね、ほとんどTVは観ないんだけど、ドキュメンタリーだけはよく観る。思ってもみない事が起こるし、名前も知らないような人の人生が語られるわけじゃない。この間も「NONFIX」に、インドに35年間行ってる日本人の僧が出ていたんだ(「男一代菩薩道〜インド仏教の頂点に立つ男〜」初放送は2004年)。インドってさ、ヒンズー教徒が無茶苦茶多くて、仏教の発祥の地なのに仏教徒の数が少ないんだよ。その中で布教してる日本人のお坊さんでさ、インドにいる数少ない仏教徒から尊敬を集めてる人のドキュメンタリーだったんです。たまたま夜中に帰ったらやっていたので観たんだけども、そういう想像もしないような生き方をしている人がいるんだなと、不思議な感動があったのね。
小黒 でも、それは映画と違うよね。
細田 ではあるけれど、色々な他のメディアの中で、映画に近いものを挙げるならドキュメンタリーだと思う。
小黒 なるほど。
細田 僕はそう思う。TVドラマではないな。

●『時かけ』公開記念放談 細田守×小黒祐一郎 第2回に続く

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(06.07.14)

 
 
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