アニメ様365日[小黒祐一郎]

第94回 1981年の劇場アニメ

 今日のこの原稿で、1981年の話題はひとまず終わりにする。2月16日更新の「第66回 ぼくらの時代」で1981年の話題に入ったから、間に番外編をはさんだとは言え、1年分を消化するのに、ひと月半もかかってしまった。この調子だと、21世紀の話題になるのはいつになるのやら。少しはテンポアップするように心掛けよう。
 原稿を書いていて「この頃から、随分とマメに劇場に行っていたんだな」と思った。1981年前後は公開される劇場アニメの本数も増えていた。1981年3月14日だけで、なんと6組の劇場アニメが公開されている。具体的にタイトルを挙げると、以下のとおりだ。

1981年3月14日に公開されたアニメ映画
[東映系] 「東映まんがまつり」
『世界名作童話 白鳥の湖』
『一休さん 春だ!やんちゃ姫』
『タイムボカンシリーズ タイムパトロール隊オタスケマン』
(実写併映作品「仮面ライダースーパー1」)
[東宝系] 『ドラえもん のび太の宇宙開拓史』
『怪物くん 怪物ランドへの招待』
[日本ヘラルド映画配給] 『おじゃまんが山田くん』
(実写併映作品「月光仮面」)
[松竹系] 『機動戦士ガンダム』
[サンリオ映画配給] 『ユニコ』
『キティとミミィの新しい傘』
[東映株式会社配給] 『宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち』
『ヤマトよ永遠に』

 『おじゃまんが山田くん』の場合は併映の実写「月光仮面」の方がメインだし、『ヤマト』はテレフィチャーの劇場公開とリバイバルの2本立てではあるけれど、とにかく、同じ日にこれだけの劇場アニメが公開されたのだ。さすがはアニメブーム。編集部でこの事を話題にしたところ、当時、マスコミで「3.14アニメ決戦」と報じられたはずだと指摘された。言われてみると、そんな記事の見出しがあったかもしれない(ちなみに翌年春は、3月13日に5組の劇場アニメが公開されている)。
 僕はこの6組の中では「東映まんがまつり」、『のび太の宇宙開拓史』と『怪物くん』の2本立て、『機動戦士ガンダム』、『ユニコ』と『キティ』の2本立てを観に行ったはずだ。同じ3月に公開された『夏への扉』も観ている。金銭的な事を考えると、高校生としてはかなり頑張ったと思う。ただし、プログラムまでは手が回らず、この時期は、ほとんどプログラムを買っていない。
 当時はアニメのビデオソフト化が本格化していなかったので、今のような「ロードショーで見逃しても、後でビデオで見ればいいや」といった感覚はなかった。気になる映画があったら、さしあたって映画館に足を運んでいた。同じ年の夏の「まんがまつり」は、学校帰りに学ランを着たまま「まんがまつり」を観にいった。他の観客が親子連ればかりだったので、ちょっと恥ずかしかった。最近では観に行こうと思いつつ、結局、仕事にかまけて観にいけない場合が多い。あの頃の自分を見習いたい。
 以下は、やや余談めく。1981年の作品で、後になって観に行かなかった事を後悔したのが、夏に公開された『シリウスの伝説』と、年末の『マンザイ太閤記』だ。『シリウスの伝説』はサンリオの大作で、公開が終わった後で、友達が出来をやたらと誉めていた。その話を聞いて、観に行けばよかったと思った。誉めていたのは『Gライタン』を勧めてくれたのと同じ友達だ。『マンザイ太閤記』は東京ムービー新社の作品だ。『じゃりン子チエ』同様のマンザイブームを背景にした企画で、人気漫才師が、自分をモデルにしたキャラクターを演じるという趣向だった。「第89回 『東海道 四谷怪談』」でも名前が出た「花王名人劇場」の澤田隆治プロデューサーが、高屋敷英夫と共同で監督を務め、キャラクターデザインはイラストレーターの山藤章二、キャラクター設定は芝山努という布陣。あまりにも色物な内容に思えて、敬遠して観にいかなかった。だが、『マンザイ太閤記』は僕が知っている限りではTV放映も、ビデオソフト化もされていない。特に評判を聞いた事がないので、傑作でも、名作でもないだろうと思うのだが、なんとなく気になっている。

第95回へつづく

(09.03.27)