アニメ様365日[小黒祐一郎]

第95回 『機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙編』

 劇場版『機動戦士ガンダム』の第3作『めぐりあい宇宙編』は、第2作『哀・戦士編』から8ヶ月後の1982年3月13日に公開された。劇場版『機動戦士ガンダム』3部作の完結編であり、ホワイトベースが再び宇宙に上がったところから、TVシリーズ最終話に至るまでに相当する内容だった。この「アニメ様365日」は僕の個人的な感想、あるいは考えを書いていくもので、アニメファンの意見を代表しようとしているわけではない。だから、この感想も、極めて個人的なものとして読んでもらいたいのだけど、僕は『めぐりあい宇宙編』については相当冷めていた。
 振り返ってみると、ロードショーで初めて観た時に、僕にとってすでに『めぐりあい宇宙編』は「作品」ではなかった。第1作は何よりもイベントだった。おそらく作品でもあったのだろう。第2作『哀・戦士編』は鑑賞前には、ちょっと気持ちが冷めていたが、観てみれば興味深い点も多く、終盤の展開にはワクワクした。結果的に作品として向き合ったと思う。それでは『めぐりあい宇宙編』は何だったかというと、嗜好品だった。多少、話の順番が入れ替わったりはしていたが、内容に関しては驚くような事はひとつもなかった。知っている物語を、もう一度反芻しただけだった。
 安彦良和による新作カットの数は、第1作、第2作よりもはるかに増えており、ビジュアル的には大満足だった。新作画カットの多さに喜び、その素晴らしさを楽しんだ。メカ描写に関してもディテールがパワーアップ。ピンク色が鮮やかな、綺麗な爆発も印象的だ。ホワイトベースは、ガンキャノンもコア・ブースターも2機体制になり、頼もしかった。気に入ったシーンを挙げれば、まず、ガンダムがドレンの巡洋艦を落とす場面だ。ガンダムのヒーロー的な登場の仕方も、圧倒的な強さも心地いい。艦橋で爆発が起こり、ドレンの身体がガラスに叩きつけられる描写も印象的だった。それから、セイラの入浴シーンだ。肉感的な裸体が素晴らしく、大変なインパクトだった。
 そういったビジュアル面でのクオリティアップに関して、「僕らの『ガンダム』がこんなに立派になったぞ」という喜びはあったし、それを愉しんだのも事実なのだが、物語に関して感銘を受ける事もなければ、作り手のメッセージに感じ入る事もなかった。TVシリーズ41話「光る宇宙」では、アムロとララァがニュータイプ同士の交感をする。それは『ガンダム』で最もSF的な部分で、オンエアでは感動した。だが、『めぐりあい宇宙編』におけるそれに相当するパートについては「ここも画がきれいになったなあ」と思っただけであって、物語に関してはなんとも思わなかった。劇場で「あれ? ここは感動するところなのに、なぜ感動してないんだろう」と思った。それは少しばかり意外だった。僕が『めぐりあい宇宙編』について冷めていたのは、ひとつにはさっきも書いたように、内容に関して新しい事がなかったから。もうひとつが、本放送終了から2年以上も過ぎて、僕が『ガンダム』を反芻するのに飽きていたからだ。新作カットが多かったのも、嗜好品としての印象を強くした理由だった。
 ラストシーンでは、戦場から立ち去る戦艦の窓に、シャアらしい人影が映っている。これは新作カットであり、TVシリーズ最終回では死んだと思われたシャアが、生き延びた事を示している。それを観て「ああ、いつか続編を作るんだ」と思った。前にも書いたように(第20回 『機動戦士ガンダム』)、僕はTVシリーズ終盤の展開に物足りなさを感じていたので、続編が作られる事については抵抗はなかった。『宇宙戦艦ヤマト』の続編が何度も作られた事について感じたような、憤りはなかった。ただ、続編に対して大きな期待を抱く事もなかった。すでに『ガンダム』を味わい尽くした気分だったからだ。
 自分のアニメ史の中で「『めぐりあい宇宙編』を嗜好品のように愉しんだ」のは、大きな事件だったのかもしれない。すでにこの頃、『うる星やつら』が人気を集めていた。「第66回 ぼくらの時代」でも書いたように、アニメの作品傾向や、受け手のスタンスが変わり始めていた。より嗜好品的な存在であるOVAの誕生も迫っていた。

第96回へつづく

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(09.03.30)