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コラム
アニメやぶにらみ 雪室俊一

 第14回 さらば『第1話』

 『ひみつのアッコちゃん』から『あずきちゃん』まで、数多くのTVシリーズの第1話を書いてきた。『アッコちゃん』のときは、まだ20代の駆け出しライターだった。そんな新人によく第1話を任せてくれたものだ。もっともプロデューサーも演出家もほとんど同世代で、いまのアニメ界よりメインスタッフの平均年齢がずっと若くて元気のいい時代だった。
 どの作品にもいえることだが、第1話というのは苦労したわりに成果が現れないものだ。全シリーズの中で第1話が最高傑作という例は、ほとんどないのではないか。原作があっても最初はみんな手さぐり状態である。
 初めて海外旅行に出かけたような不安な気持ちで書き出すことが多い。アニメの場合、ドラマのように出演者が決まっていることは100%ない。
 シナリオを書く上で、この人物はどんな声でしゃべるのかということは、かなり重要な要素である。ドラマライターの中には、出演者が決まらないと書けないという人もいるくらいだ。
 アニメの声優が決まるのはシナリオが、10話近く進んでからのことが多い。当然、イメージと違う人が選ばれることもある。ベテランといわれる人々は、いくつもの声を演じられるので期待を裏切られることはないが、新人の場合、がっかりして執筆意欲が衰える例もある。
 第1話ではないが『ムーミン』の注文をもらったとき、どうしてもイメージが湧かず、1枚も書けなかった経験がある。いまでこそ認知されている『ムーミン』だが、最初は「あのカバのような動物は何ですか?」とよく質問された。ぼく自身もあの奇妙な動物がどんな声でしゃべるのか皆目、見当がつかなかった。1本も書けないうちに第1話の初号試写の日を迎えた。そして、ムーミン役の岸田今日子さんの声を聴いたとたん、目の前の霧がさーっと晴れた。ムーミンパパの高木均さん、スノークの広川太一郎さん、名優ぞろいのキャスティングは、ぼくのイメージをどんどんふくらませてくれた。井上ひさしさんのシナリオにも刺激されて、おもしろいように筆が進んだ。もし、下手な新人女優がムーミンを演じていたら、書けなかったかもしれない作品である。
 さて『アッコちゃん』の第1話で、いちばん苦労したのは、あの呪文である。『魔法使いサリー』の「マハリク、マハリタ……」をしのぐ呪文を考えようと、七転八倒したが、いい文句が思い浮かばない。「テクニクス……ミラー、テクニクスミラー」などとつぶやいているうちに「テクマクマヤコン」を思いついた。「ラミパス、ラミパス」もスーパーミラーを引っ繰り返したものだ。自分で何度もつぶやいてみたが、とても子どもたちが親しんでくれる呪文には聞こえない。しかし、いつまでも呪文だけを考えているわけにはいかない。暫定的に書いておいて、あとはスタッフの知恵を借りるつもりだった。
 ちなみにネコのシッポナは当時、住んでいた世田谷のアパートの隣家の飼い猫の名前を無断で拝借した。夕方になると、そこの家の子が「シッポナ〜」と呼んでいるのが耳についていたのだ。
 完成したシナリオを読んだプロデューサーたちは、呪文にも、ネコの名にも異議を唱えなかった。アフレコのときに直すのだろうと軽く考えていたのだが、そのままオン・エアされたのにはおどろいた。
 それがいまや『アッコちゃん』イコール「テクマクマヤコン」になってしまったのだから、うれしいような照れくさいような複雑な気分である。
 第1話に傑作はないと書いたが、『がんばれ元気』の1話は、りんたろうさんの演出が冴えて、ぼくの大好きな作品に仕上がっている。設定や説明的シーンを排して主人公の感情をていねいに書いたつもりだ。その他『キャンディ・キャンディ』『あしたのジョー』『星の子チョビン』『キテレツ大百科』『クッキングパパ』など多くの第1話を書くことが出来たのは、当時のアニメ界がライターに対して鷹揚だったからだ。町工場のおやじさんと工員がろくな打ち合わせもしないで製品を作り上げるような自由さがあった。現在のように新企画が決まると、テレビ局の大会議室に原作者、編集者、局、代理店、制作プロダクション等々、名前を覚えきれないほどの大勢のスタッフが集まっての一大セレモニーが開かれるようなことはなかった。
 第1話のシナリオが上がると、それらの人々が口々に個性あふれる意見を述べたてる。世代も立場も違う人が同じ意見をいうことはマレで、ライターはそれらの意見を出来る限り尊重しながら原稿を直すことになる。
 最近、ある作品のシナリオの表紙に『第5稿』とプリントしてあった。そういう作業を5回も繰り返したわけで、そのライターに同情したくなる。もし、ぼくだったら、これだけ直すと頭が混乱し、永遠に出られない迷路に入り込んだ気分になるだろう。
 世間にはシナリオは、直せば直すよどよくなると信じている人たちがいるようで、今度の作品は第9稿までやりましたなどと得々とじまんしたりする。
 ぼくにいわせれば、書くほうも直しを出すほうも的確な指針が決まらないまま、迷走した結果にしか思えない。
 町工場の職人たちが手作りで細々と作っていたアニメは、いまや大企業の優秀なエリートたちの手によって綿密な設計図が描かれ、何回も試作を重ねて、発表される工業製品のようになってしまった。その結果、人間のぬくもりが失われてしまったのような気がしてならない。
 現在のシステムでは、ぼくのように1回以上は直さないなどと身勝手なことをいっていると、お呼びがかからなくなる。
 そのせいか『あずきちゃん』以後、第1話を書くチャンスはない。もしかすると、これが最後の第1話かもしれない。
 2、3人の人を納得させるシナリオを書く自信はあるが、10人以上の人々を納得させるものを書く自信はないし、そういう無個性な作品を書く気はないからである。

(了)

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