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コラム
アニメやぶにらみ 雪室俊一

 第11回 ファンレター

 ごくごくたまーにファンレターをもらうことがある。
 おかしなもので『サザエさん』や『Dr.スランプ』などヒットした作品でファンレターが来ることはない。反響があるのは、ヒットとはいえないが、一部で高い評価を得た作品『若草のシャルロット』『とんがり帽子のメモル』『あずきちゃん』などが放送されたときだ。
 いずれも少女向きの作品だが、手紙をくれるのは20代から30代の独身男性が多く、女性はほとんどいない。1作品に2、3通 といったところだから、ぼくがプロになってアニメ作品でもらったファンレターは、20通 に満たないのではないか。
 そんなぼくにもひとつの作品で120通ものファンレターをもらい、その相手が全員女子高生という黄金時代があった。高校生のとき、受験雑誌の懸賞小説に入選したときである。生涯でこんな経験をすることは2度とない(実際になかった)と思ったぼくは、全員に返事を書こうと決心した。1日1通 ずつ書いても4ヶ月がかりだ。
 そこで自分なりに返事を出す優先順位を決めた。まず返信切手が同封してある手紙。これは2、3通 しかなかった。次は東京や神奈川など、自分の家の近くに住んでる少女。文通 をきっかけに交際しようという下心からだ。次は字がきれいで読みやすい手紙。ひときわ字がきれいだったのは、伊東市(静岡県)のY子からの手紙だった。
 水茎の跡うるわしいという表現がピッタリの美しい字だった。文面 によると同じ号に自分の詩が入選しているという。あわてて読んでみると、いまでもその一節を覚えているほどのすばらしい詩だった。同じ入選でもぼくの小説より、はるかにレベルが高い。
 ぼくの小説というのは、テニヲハも危なっかしい稚拙なものだった。そんな作品がなぜ入選したかというと定時制高校を舞台にしていたからだ。タイトルもずばり『夜の教室』。それまでの入選作品は、全日制高校を舞台に進学や恋愛で悩む高校生の姿を描いたものが大半だった。
 ぼくの作品の主人公は悩みのナの字もなく、バイクの後ろに女の子を乗せて突っ走るようなノーテンキな少年だった。そんな風変わりさが審査員の目にとまったのだろう。その点、Y子の詩は紛れもなくホンモノだった。「付き合うのはこの子しかいない!」
 ぼくはその美しい文字が並んだ便箋の向こうに、ほっそりした美少女の姿を思い浮かべて、夢中で返事を書いた。他の返事は主に授業中に書いていたのだが、Y子宛の手紙は自宅で時間をかけて書いた。誤字があってはいけないと、辞書を片手に一字一字、心をこめて書いた。
 当然、すぐに返事が来ると思っていたのだが、もくろみは見事に外れた。1ヶ月経っても返事は来なかった。他にも東京や神奈川の少女宛に書いた手紙も空振りに終わった。魂胆を見透かされたのかもしれない。
 結局、返事をくれたのは、北海道や九州など、遠方の少女ばかりだった。3ヶ月かかって、すべての手紙に返事を書き終えたときは秋の台風シーズンになっていた。後に狩野川台風と名づけられた、大型台風が本州に上陸した。伊豆半島を中心に多くの犠牲者が出た。高校生にも多くの死者が出たという、新聞記事を読んだぼくは、とっさにY子のことを思い出し、見舞いの手紙を書いた。
 すぐに返事が来た。心配してくれたことに対しての感謝の気持ちが、少女らしい文章で綴られていた。
 それからはトントン拍子で文通が始まった。定時制高校の授業が終わり、ぐったりして家に帰ると10時。机の上にY子からの手紙がおいてあると、一日の疲れが吹っ飛んだ。封を切ると、写 真が入っていた。ぼくの求めに応じて送ってくれたY子のセーラー服姿の写 真を見て胸が高まった。同級生の女生徒たちが色あせて見えるほどの美少女だった。
 「恋人にするのは、この子しかない!」
 ぼくは熱に浮かされたようにY子への手紙を書いた。
 そして、Y子と会うチャンスは意外と早くやってきた。
 「東京に行く用事があるので、よかったら会いませんか?」という手紙が来たのだ。よくも悪くもない。すぐに承諾の返事を出した。Y子が指定してきた待ち合わせの場所は日本橋三越本店のライオン像の前。バイトで東京中を飛び回っていた、ぼくだが日本橋界隈は、ほとんど行ったことがなかった。当日、迷子になったりすると恥をかくので下調べに出かけた。ライオン像の場所を確認して、その日を心待ちにした。
 ついにその日が来た。ライオン像の前で待っていると写 真そのまま(当たり前だ)の美少女が笑顔で近づいてきた。
 何十通も手紙を交わしていたせいか、お互いに初対面とは思えない気さくさで挨拶を交わすことができた。さて、どこへ行こうかと考えて、ぼくは蒼くなった。ライオン像で会うことばかり考えて、それから先のことはまるで考えていなかったのだ。
 当時の高校生で異性と喫茶店に入った経験のない者は珍しくなかった。ぼくもその一人で、喫茶店なるのもはバイト先の先輩に連れられて1、2度行ったきりだ。
 近くにそれらしき店を見つけようとしたが、見当たらない。とにかく歩き出すことにした。
 Y子との会話ははずんだ。常にどちらかがしゃべっていて、無言の時間というものがなかった。あれだけ手紙を交わしていても、まだこんな話すことがあるのが不思議だった。
 気がつくと見たこともない街を歩いていた。それでもしゃべり続け、歩き続けた。日はとっぷりと暮れて、前方に後楽園球場(現東京ドーム)の照明灯が見えてきた。
 なんと日本橋から後楽園まで歩いてしまったのだ。
 Y子はこれから伊東まで帰らなければならない。新幹線も特急もない時代である。伊東までは各駅停車で3時間近い長旅だ。
 ぼくたちは、当時まだ走っていた路面電車で東京駅へ急いだ。なにも食べていなかったので、駅ビルの中のレストランに入った。外食といえば、そば屋かラーメン屋で、ウエートレスがメニューを持ってくるような店に入ったのは初めてだった。メニューの料理よりも値段が気になった。そんなぼくの気配を察したのかY子は、いちばん安いカレーライスを注文した。当然、同じものを頼んだ。
 運ばれてきたカレーを前に、ぼくは戸惑った。いつも食べている、そば屋のカレーはライスとカレーがいっしょの皿に盛られている。それなのに、このカレーはなんだ。たかがカレーのくせに、ライスと別 に銀の食器に偉そうに盛られている。最初に全部かけるべきか、少しずつかけて食べるべきか。Y子を見ると、馴れた手つきでスプーンでかけている。ぼくはあわてて真似をしたが、元々が不器用なのでカレーを少しこぼしてしまった。ほとんど食べた気がしなかった。支払いはY子が、どうしても譲らなかったのでワリカンにした。意地になって払おうとするY子の横顔を見て、ぼくはハッとした。彼女はあきらかに不機嫌になっているように見えたのだ。
 不愉快になるのも当然だ。期待して東京に出てきたというのに、2時間以上も歩かされたあげく、あわただしくカレーを食べてハイ、サヨナラ。こんな情けなけないデートがあるだろうか。店を出たとたんにY子は口数が少なくなった。
 電車の発車間際にドアの向こうでY子が見せた寂しげな笑顔は「来るんじゃなかった」といっているかのようだった。これから3時間の道のりをY子が、どんな気持で帰って行くのかと想像すると、ぼくはさけび出したい衝動にかられた。ホームのベンチにへたり込んだ、ぼくは立ち上がる気力もなく、いつまでも鉄路をみつめていた。

(この項つづく)

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