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コラム
アニメやぶにらみ 雪室俊一

 第7回 脇役こそ主役

 ドラマのライターが羨ましいのは、シリーズのすべてをひとりで書けることだ。
 複数の班が並行して制作するシステムのアニメでは、なかなかそうはいかない。ぼくの場合でもシリーズ全部を任せてもらうようなチャンスは10年に1度ぐらいしか訪れない。
 最初にひとりで書いたのは『若草のシャルロット』(1977)である。アニメには珍しいオリジナル企画だったせいもあって、かなり自由に書かせてもらった。単独執筆の場合、もっとも大事なのは、一定のレベルの作品を最低週に1本のペースで仕上げることだ。そのために必要なのは、スタッフとの信頼関係である。
 何度も書き直したりしていたら、たちまちスケジュールに穴があく。打ち合わせの時間なども最小限にしてもらい、書く時間を増やした。当時はFAXがなかったので、原稿の受け渡しにも時間がかかる。幸いプロデューサーが、ぼくの自宅の近くの道路を使ってマイカー通勤していたので、毎週、バスの折り返し場の暗がりで原稿を渡した。まるで麻薬の取引である。
 この作品は一部のマニアに評価され、ファンクラブができたりしたが、一般的にはあまり当たらなかった。
 次にひとりで書いたのは『がんばれ元気』(1980)。小山ゆうさんのしっかりした原作に助けられて、自分なりに乗って書いたつもりだ。特に第1話は、りんたろうさんの熱のこもった演出で大好評だった。シリーズ中、2本のシナリオが雑誌に掲載された。アニメの本が活字になることは滅多にないことだ。
 しかし、視聴率的にはイマイチだった。後番組の『Dr.スランプ アラレちゃん』が爆発的当たったこともあって、影の薄い存在になってしまった。
 いま思うと、肩の力が入りすぎていたのかもしれない。リラックスした書いたのは『キテレツ大百科』(1988)である。これは複数のライターでスタートしたのだが、いつのまにかひとりで書くようになっていた。もし、最初からひとりだったら、また気負ってしまって、8年間も続かなかったかもしれない。
 単独執筆を側面からカバーしてくれたのはワープロとFAXである。特にFAXは原稿のやりとりの時間を大幅に節約してくれた。
 一週間が8日になったようなもので、余裕を持って書くことができた。
 キテレツの後半で、ひとりで書くペースをつかんだ気がする。そんなときにスライドするように書いたのが『あずきちゃん』(1995)だ。全シリーズ中、1本だけ他の人の本があって、正確には単独執筆ではないのだが、その辺は目をつぶっていただきたい。
 この作品で心がけたのは、自然なストーリー展開とキャラクターの細やかな描写である。
 それが出来たのも、すべてを任せてくれた原作者とスタッフのお陰である。この手の地味な作品の場合、「もう少し派手にならないか」とか「パンチが足りない」とか「グッズになるような動物を出せ」などという意見が続出するものだが、この作品に限っては皆無だった。
 スポンサーがいないNHKだからこそ、実現した企画かもしれない。ぼく自身、少女アニメは、かなり書いているのだが、主人公が魔法使いだったり、薄幸の境遇だったりで、どこにでもいる普通の少女というのは、逆に珍しい。
 書いているくせに、ぼくは少女マンガを読むのは苦手だ。宝塚スター同様、顔がみんな同じに見えてしまうのだ。その点、木村千歌さんの絵は見事に描き分けられていて、ぼくの創作意欲をかきたててくれた。
 ぼくの場合、主役よりもつい脇役に目がいってしまう。キテレツの後半、脇役のブタゴリラが主役になってしまったのが、いい例だ。
 ジダマ、だいず、ケンちゃん、まこと、ヨーコちゃん。この作品は脇役の宝庫だ。
 ジダマは、ぼくの作品でいうと『魔法使いサリー』のヨッちゃんや、『サザエさん』の花沢さんに通じるキャラクターである。彼女たちに共通しているのは、「女の子」を売り物にしないで、胸を張って堂々と生きていることだ。
 ジダマの場合、原作のおばあちゃん子という、設定をさらにふくらませて「うちのおばあちゃんがね」というのを口ぐせにした。刑事コロンボのカミさんは、ついに顔を見せてしまったそうだが、ジダマのおばあちゃんは最後まで画面に登場しない。
 いつもオーバー・オール姿のジダマの絵を見たとき、彼女が大泣きする話と、スカートをはく話を絶対に書こうと思い、両方とも実現した。
 ケンちゃんのような少年は、昔はどこの町内にもひとりやふたりはいたものだ。いなかったのは、まことのような少年である。すべてにやる気がないくせに、1個食べると7年長生きするという、ゆで卵を10個も食べて、救急車のお世話になってしまう。まさにいまふうの小学生である。
 書いているうちに、小学5年生というのは人生でいちばんキラキラしている時代ではないかと思うようになっていた。この輝きをごく自然に表現できれば、多くの人に受け入れられるのではないか。
 CDの小島正幸さんの力もあって、この試みは、ほぼ成功したと思う。画面の隅々まで神経のゆきとどいた、こまやかな演出は、この作品にピッタリだった。
 単独執筆などと偉そうなことをいっても、それを支えてくれるのは、大勢の脇役たちである。むしろ、脇役こそが主役なのだ。いくら魅力的な主役がいても、脇役が光ってなくては作品は成り立たない。
 前記の2作品と『あずきちゃん』の差はここにある。年月を経ると、主役のシャルロットと元気以外の脇役の名前が思い出せないのだから……。
 『あずきちゃん』は3年間つづいて、単独執筆ではもっとも成功した番組になった。放送が終わって、4年たっても熱心に支持してくれるファンがいるのは作者冥利につきる。9月にDVDが発売されるのだが、高額の商品を早くも予約したという、熱心なファンから、うれしいメールをもらった。
 ぼくも子どもの里帰りを待つ、親の心境で発売を待っている。

(了)

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