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アニメの“音”を求めて 早川優

 第3回「『ペイネ愛の世界旅行』“ワン・テーマ”の迫力」

 先日、アスミックから『ペイネ愛の世界旅行』の日本盤DVDが発売された。このイタリア制作の劇場用アニメーションは、フランスの伝説的なイラストレーター、レイモン・ペイネの有名な“恋人たち”のキャラクターを主役に配した作品で、生前のペイネ自身が製作に深く関わった唯一の動画ということでも知られているフィルムである。スタッフ・クレジットには製作はブルーノ・パオリネッリ、監督はチェザセーレ・ペルフェットとあるが、前者には本作品以外の日本公開作がなく、後者にいたっては本作クレジットが仮名なのか、本作品以外のフィルモ・グラフィーが一切不明という謎の人物である。
 物語はバレンチノとバレンチナという名前の恋人たちが、本当の愛を捜して世界各地を旅するという趣向。本作品が制作された1974年は、前年にようやくベトナムで和平協定が調印されたばかりであり、世界の若者たちには厭戦感が広がっていた。そうした社会状況も影響して、その内容は、手には銃器よりも花を、といった反戦テーマが全編に満ち溢れることになった。そんな作品のグランド・テーマを象徴しているのがオープニングのタイトル・バックで、これはネガ反転した実写の戦闘フィルムに、手をつないで走り抜ける恋人たちのシルエットを合成したもの。話は横道へそれるが、実写映像には原爆投下によるキノコ雲が立ち上るショットがあり、本作品を紹介したレビュー記事には、広島の原爆投下で死んだ恋人たちが幽霊となって世界をさすらう……云々と紹介したものがあった。こんな設定はついぞ聞いたことがなく、おそらく評者独自の思い込みであろうが、こういう視点もあるのかと興味深かった。
 さて、この『愛の世界旅行』、日本でも本国の製作と同年の1974年にヘラルド映画の配給でオリジナルのイタリア語版にて劇場公開されているし、後年にはTV放映も行われたはずだが、筆者は長らく実作品に触れる機会を持ち得なかった。日本にも軽井沢に単独美術館が存在するほど親しまれてきたペイネが全面参加した作品ということもあり、映画としての知名度はさほど低くないように思われる本作ではあるが、アニメーションのファン層に訴えかけるプラス・アルファーの要素の不足からか、これまで再発見・再評価の機運に恵まれなかったといえるだろう。
 それが、昨年の11月に突如としてニュープリントによる劇場でのリバイバル公開(於・恵比寿ガーデンシネマ。英語版プリントによる上映)が実現、ついにはこうしてDVDのリリース(ソフト化自体も世界初?)までが行われることになった。アメリカの9.11の同時多発テロに端を発して、再び世界が平和について深く考え始めている昨今の状況の中、まさにラブ・アンド・ピースの思想に貫かれた本作品の再発見は、偶然にもタイムリーな出来事となった。そして、それまで作品が封印されてきた時間からすれば、まさに青天の霹靂といえる展開の背景には、本作品の音楽が作品自体とは別の次元で深く親しまれていたことがあった。
 『愛の世界旅行』の音楽を担当したのは、イタリア出身の映画音楽作曲家として、現在では世界でもトップクラスの巨匠の1人に数えられるエンニオ・モリコーネ(『荒野の用心棒』『ニュー・シネマ・パラダイス』など)と、主に演奏家として知られるアレッサンドロ・アレッサンドローニの2人。当初はモリコーネが全編の音楽を書くはずだったが、大作TV映画“MOSE”の作業に追われる内にスケジュール的に不可能になってしまい、メイン・テーマの作曲のみをモリコーネが行い、残りのスコアはモリコーネ作品に度々重要な演奏家として参加していたアレッサンドローニが分担して書くことになった。
 モリコーネは、比類なき美意識に貫かれた旋律と非凡な編曲の技(それこそ、ゲップの音をリズムに取り入れた作品もある)によって、世界中の映画ファン・音楽ファンを虜にしてきた作曲家である。特に日本では昔から本国イタリアを凌ぐほどの人気を集めてきた。これには、独特の哀愁を帯びたメロディが、日本人のメンタリティに合致したことが大きいように思う。最近は世界的なラウンジ・ミュージック(昔でいうところのムード音楽)のブームから映画音楽の再評価が進み、モリコーネの作品についても、クラブ・シーンでDJがネタとして使用したり、ミュージシャンがサンプリングの素材に映画音楽の一節を引用したりといった動きによって、これまでの映画好き・映画音楽好きという限られた枠を超えて、新たなファン層が掘り起こされている。日本国内ではこれに加えて、“癒し系”というキイワードに代表されるリラクゼーション音楽の台頭から注目を浴び、モリコーネの音楽だけをBGMに流すカフェが開店するなど、いわば“モリコーネもの”がひとつの音楽ジャンルを形成するほどの安定した人気を保ち続けている。昔からモリコーネの作品はレコード化の機会に恵まれてきたが、このところは、かつてのサントラ盤に未収録曲をプラスしての再発と未発表作品のアルバム化を合わせると、ほぼ毎月のように各国で複数枚の新譜がリリースされており、もはや音源が現存する作品はすべてCD化されそうな勢いである。日本での人気の過熱はことのほか凄まじく、一説によればイタリアで発売されるモリコーネを含むサントラCDの最大の消費地は東京なのだそうである。
 そうした日本におけるモリコーネのブームが、今回の『愛の世界旅行』の再発見を後押ししたと考えるのは自然だろう。その『愛の世界旅行』のメイン・テーマ(愛のテーマ“FORSE BASTA”)は比較的渋い楽曲ながら、日本でも人気があった。逆に言えば、この曲を筆頭とする本作品の音楽の価値を最も認めていたのは日本人だったのかもしれない。映画の公開当時、サントラ盤LPは世界中で唯一、日本のキング・レコードだけが発売(セブンシーズ・レーベル、FML25)していたのである。
 メイン・テーマ“FORSE BASTA”の主要バージョンとなるオープニング・タイトル用のテイクは、静かなギターのリズムで始まる。やがて、モリコーネ節としか表現しようのない美しさを湛え、しかも凝ったラインを与えられた旋律がフルートで奏されていく。リピート部ではストリングスと人声による変奏となる。まずは、モリコーネ作品の歌姫として知られるエッダ・デル・オルソの澄み切ったスキャット。続いて、アレッサンドローニ率いるコーラス・グループ、テ・カントリ・モデリニによる混声合唱がメロディを高らかに歌い上げていく。なお、映画のエンディングには、このテーマに歌詩を乗せた主題歌がギリシャ人の歌手デミス・ルソスの歌唱で流れる。これも日本だけで発売された(シングルはフィリップスSFX1852)。ただし、サントラ使用とは別ミックスで、このレコード収録テイクは現在のところ未CD化である。
 先に書いた通り『愛の世界旅行』の音楽は、2人のイタリア人作曲家の分担であった。キングのサントラLPでもモリコーネのメイン・テーマは1曲のみの収録で、残りの19曲はアレッサンドローニの作品だった。そうした訳で、モリコーネのファンには本作品を(モリコーネの履歴からは)番外とする見方があった印象がある。それが、1997年のSLC(サウンドトラック・リスナーズ・コミュニケーションズ)レーベルによる本作品のサントラ盤のCD化(SLCS7306)で状況は変わった。このCDによるリイシューでは、モリコーネのテーマ曲のヴァリエーションが7曲も初収録されていたのである。日本版LPのオリジナル収録テイクがなぜか未収録というオマケもついていたが……。このSLCのCD以前にも、フランスで発売されたモリコーネの作品集にテーマの別ヴァージョンが収録されていたことで、これに幾つかのヴァリエーションがあることはファンの共通認識ではあったが、ここまで多くのテイクが存在するとは本当に驚きだった。さらに2000年には、カルチュア・パブリッシャーズのボルケーノレーベルから『愛の世界旅行』のサントラが2枚組CD(CPC8 1091/2)で再発される。ここでは収録曲は一層増え、1枚が初公開曲を含むアレッサンドローニのスコア、1枚がまるまるモリコーネのテーマの変奏曲集に充てられるという凄いことになっていた。
 筆者としては、音楽集が再発されるごとに増えるモリコーネの担当音楽の分量に、実作品を見てみたいという欲求は高まった。一体、モリコーネの音楽はどの程度の分量が、どのような形で使われているのだろうか。CDのライナーノーツに音楽の使用状況に関する記述はなく、色々と探してみても『愛の世界旅行』という作品自体のデータがほとんど流通していない状況である。半ば諦めかけていたところに、突然に思われるリバイバル公開の情報が伝わってきた。昨年末には筆者は喜々として劇場へ足を運び、今回のDVDも購入するに至った。こうして、長らく幻だった作品との初対面がようやく叶えられた。
 思い返せば、暗い劇場の中、上記したタイトル・バックでモリコーネのメイン・テーマが流れてきた時には、作品と対面できた感慨と、楽曲が本来持っている涙腺を刺激して止まない力とによって、心ならずも目頭が熱くなってしまったものである。
 以下、『愛の世界旅行』の音楽設計を簡単に紹介しておこう。モリコーネのメイン・テーマは“恋人たち”を表現する主題として、くだんのオープニングから、恋人たち2人が天界で「愛のパスポート」を手に入れるくだりまでノンストップで流れる。やがて、天界の雲の切れ目から落下した二人は、アラビアの砂漠へ到着。次いでベツレヘムでイエス・キリストの出生に立ち会うことになる。2人はイエスからロールスロイスをプレゼントされ、いよいよ世界を巡る旅が始まる。
 この世界中を旅するシーンで使われるのがアレッサンドローニの音楽。アレッサンドローニは、ギリシャのシルタキ(肩を組んで踊るギリシャの民族舞踊)、イタリアのナポレターナ(ナポリ民謡)、スイスのポルカなど、各国の彩りを巧みなアレンジと豊かな旋律によって表現していく。欧州大陸をラブ・ジェット(鳩の形をした旅客機)で離れ、一路イギリスへ向かうところで映画は第1部を終える。この旅立ちのくだりは、モリコーネのメイン・テーマの変奏によってしっとりと締めくくられる。なお、幕間は劇場公開版にも今回のDVDにも存在しない。
 第2部ではイギリス、デンマークと周り、北極経由で日本へも立ち寄るが、ここでは「さくらさくら」の歌詩を取り入れたエキゾなジャパン・テーマが聴かれる。そして、アメリカ大陸を縦断してアジア、フランスへ至る。この間は、エキセリントリックな音楽的遊びをふんだんに盛り込んだアレッサンドローニの音楽と、要所を締めるモリコーネのテーマが相乗効果を発揮。映画の終幕はフランスでの五月革命のシーンで、「戦争反対/恋愛賛成」のプラカードを手にしたデモ隊が登場する。登場人物たちの頭上を、愛を表現した一面の花が舞い散るクライマックスでは、モリコーネのメイン・テーマが高らかに鳴り響き、やがて曲は同メロディの主題歌へ受け継がれて、ローリング・タイトルへなだれ込む。
 以上のように、各国を回っての状況表現にはアレッサンドローニの国際色豊かな楽曲群が、作品の主題を込めたメンタルな部分はモリコーネによるメイン・テーマの変奏が使用され、それぞれの明確な色分けが、単調になりがちな旅行記スタイルの物語に絶妙な強弱をつけている。この設計は作曲者が2人いることで、より鮮明になっているのだが、モリコーネがあくまでひとつの旋律で押し通していることも効いている。もちろん、筆者にとっては前もって耳に馴染んでいる楽曲ゆえに迫ってくる力もあるとはいえるものの、耳に優しい、親しみやすいメロディがもつ力は映画音楽という表現の中では絶大だ。
 メロディの力が重要なことは、別に映画音楽に限った話ではない。ここのところの日本のヒットチャートを見ても、長くランクインを果たしている楽曲は、やはりひと捻りもふた捻りもした秀逸なメロディ・ラインをもっている。たとえば、ロング・ヒットとなった元ちとせの「ワダツミの木」は、彼女の歌唱力もさることがら、元レピッシュの上田現による豊かなメロディの力に拠るところ大だと思うし、島谷ひとみによるヴィレッジ・シンガーズのカバー曲でCM発のヒットとなった「亜麻色の髪の乙女」も、すぎやまこういちによる、現在ではポップスとして正面切って書かれ得ないような誠実な旋律が、多くのリスナーの耳を捉えたのだろう。
 『ペイネ愛の世界旅行』が公開された1970年代は、映画音楽がまだまだメロディを中心に組み立てられていた時代だった。現在はハリウッドの映画音楽をはじめとして、日本のアニメーションの音楽にもサウンド重視の風潮が広がっている。確かに、これだけ多種多様な楽曲が氾濫する現代にあっては、作曲家がまったくの新規に印象的なメロディを捻り出す苦労は、並大抵のことではないだろう。『愛の世界旅行』は作曲家の分業ゆえにテーマの存在が際立った例だが、日本のアニメに目を向けてみれば、テーマと劇中音楽の乖離が進んでいることがたちどころに判る。日本では主題歌を売れる商品として捉えるタイアップの考えから、ヒットメイカーに歌曲を別発注する分業が当たり前となり、テーマ曲たる主題歌が突出したものになる一方で、劇中の音楽効果にはあまり貢献しないという例が多い。劇中音楽の発注メニュー上で主題歌のアレンジ曲を設定するのは当然のように行われはするものの、絶対量が限られ、作家の編曲の際の自作曲との温度差も発生することから、劇中での効果的な使用は限られたものになりがちである。かつてのように主題歌と劇中音楽を同一の作家が担当することが大半だった場合には、TV・映画の区別なく、執拗なほど繰り出されるテーマのアレンジ曲が効果を挙げたものだったのだが……。
 そんな中、最近の日本のアニメ映画の音楽設計では、本多俊之の『METROPOLIS』がひとつの優れたメロディのテーマ曲で全体を引っ張った力作だった。地上と地下をそれぞれオーケストラとジャズで色分けした趣向も出色だったが、両者を同一のテーマ曲で束ねたのが効いていた。ジグラットの崩壊シーンではレイ・チャールズの「愛さずにはいられない」(I CAN'T STOP LOVING YOU)が圧倒的な存在感を放つものの、メイン・テーマのどこかで耳にしたことがあるような、安心感・スタンダード感のある曲調は、ラストのクレジット・ロールまで、作品をひとつに纏め上げる効果を発揮していた。
 ひとつのテーマ曲で全体を統括するアニメ音楽。それは、まったく新しい優れたメロディ創出への困難さと、ワン・テーマ曲で押す音楽演出が下手をすれば古びて感じられる諸刃の剣という側面もあって、現代の状況下では中々得がたいものなのかもしれない。が、こうして現代の鑑賞眼で『ペイネ愛の世界旅行』に触れ、パワフルなテーマ曲による音楽設計による成果を味わうにつけ、ワン・テーマの力で全編を牽引していくような骨太の音楽設計をもった日本のアニメーションをもっと観たいと切に願う次第である。

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