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東映長編研究 第11回
 白川大作インタビュー(4) 
 『ねずみのよめいり』と『鉄腕アトム』前夜

── 白川さんの仕事とは直接関係ない事ですが、ちょっと他の演出家についてうかがわせてください。ちょうど『西遊記』の作業の真っ最中の昭和34年(1959)に、高畑(勲)さんと池田(宏)さんと黒田(昌郎)さんが入社して、その年末には芹川(有吾)さんが来るんですけれど、この人達は最初から演出家として育てる目的で採用されたんですか。
白川 だと思います。池田くんも黒田くんも高畑くんも、画が描けるわけじゃないから、アニメーターとして入って演出になったわけではないですよね。だから、それは最初から企画とか演出とかの要員として入れたんでしょう。
── 白川さんは『西遊記』以降も、演出の仕事が続くわけですが、その途中で所属も変わったんですか。
白川 その辺から出向になったんでしたかね。
── で、制作部の所属になるわけですか
白川 どっちだろう、その時に出向したのは制作部かな。その後になると、今度は本社じゃなくて、東映動画に企画部ができるわけですよ。
── 多分、昭和36年(1961)の8月だと思います。その時に飯島さんも一緒に企画部に入られるわけですね。籏野(義文)さんなんがこられたのも同時期ですか。
白川 そのくらいの時期でしょうな。
── 『西遊記』の後に、短編で『ねずみのよめいり』『もぐらのモトロ』が作られて、白川さんは『ねずみのよめいり』をやられてますよね。これはどういういきさつで?
白川 いきさつ? 最初に話したように、東映動画は、本社からきた企画で制作をしていたわけじゃないですか。つまり、1年に1本だと、アニメーターやスタッフが遊ぶ危険性があるわけですよ。そのためには、少し別のものを作ってスタッフを働かせ、収入を上げなきゃならない。で、本社の教育映画部からお金をもらって短編を作る事になったんです。
── ここで永沢さんと月岡さんを起用しているのは、頭角を現した2大若手を使おうという事なんですか。
白川 ですね。
── 『ねずみのよめいり』で白川さんは、絵コンテも描かれたわけですか。
白川 あれは、どうだろうな。ほとんど月岡君の主導で作ったみたいなもんだったですなあ(笑)。
── そうですか。キャラクターも月岡さんだったんですか。この前、永沢さんにもうかがったんですけど、監修として名前が入ってるんだけど、森さんは『モトロ』では何をしていないとか。『ねずみのよめいり』においても同じような感じですか。
白川 同じような感じですね。
── じゃあ、実質上あれは月岡さんの作品?
白川 だと思います。
── 例えば、カット割りについても、月岡さん主導で進んだんですか。
白川 カット割りなんかは僕がやったと思いますけどね。でも、例えば、風の神を黒人のドラマーにしたりとか、雲を中国人にしているのは、全部月岡君のイメージですよ。あれはほとんど月岡作品と言っていいでしょう。
── シークエンスごとにデザインが違うものを入れてるのは、後の『わんぱく王子』でやる事を、一足先に短編で実現してるような印象があって。
白川 うーん、それはちょっと考え過ぎかもしれないね。
── フルアニメーションで長編を作っている一方で、『ねずみのよめいり』でも『もぐらのモトロ』でもリミテッド的な要素に挑戦してますよね。キャラクターも二次元的なデザインですよね。それは月岡さんの趣味だったのか、やはり社内でそういった気運が高まっていたのか。
白川 あの頃に「ディズニーは古い」とか「ハンナ・バーベラの方がいい」とかさ、リミテッドアニメーションに可能性があるというムードが(東映動画内に)あったんです。永沢詢なんか、その急先鋒だったわけ。
── ああ、やっぱりそうだったんですね(笑)。
白川 それで、ディズニーでもウォード・キンボールが『プカドン交響曲』なんて作ったり、『近目のマグー』が出たりさ。つまり、TVアニメの『ヘッケルとジャッケル』とかとまた違った、劇場用のリミテッドアニメーションのデザインや動きとかが、新しい波としてきてたよね。
── 白川さんなんかも、そういったものに魅力を感じられていたんですか。
白川 僕はどっちかっていうと、フルアニメーション派だったんです。ただ、経済的な問題で、予算の制約の中で作品を作ろうとしたら、どうしてもリミテッドにならざるを得ない、というのはありましたよね。それから『西遊記』の頃に、手塚さんが虫プロを立ち上げますね。虫プロの立ち上げがいつだっけ?
── 昭和36年の6月ですね。
白川 手塚さんが自分でアニメをやると言い出して。手塚さんとしてみれば、東映動画でアニメを始めたんだけど、要するに志を得なかったわけ。やっぱり自分でやらなきゃダメだと思ったわけで。で、実を言うと、僕と古さんで「止めろ止めろ」と、口が酸っぱくなるくらい言ったんだけど……。
── 手塚さんにですか?
白川 うん。まあ、手塚さんと僕との関係は非常によかったわけですよね。僕は、当時は東映動画の中で「手塚の回し者だ」と言われていたくらいで。
── ははは(笑)。
白川 「お前は、どっちで金もらってんだ」みたいなね。手塚さんとは(仕事以外でも)色々行き来があったんですよ。それで、手塚さんに誘われて、僕と月岡貞夫が鎌倉のおとぎプロへ行ったんですよ。横山隆一さんとこへね。
── いつ頃ですか? 『西遊記』が終わった後ですか。
白川 『西遊記』が終わった後ですかね。そこら辺になると、前後の記憶があやふやなんですけど。とにかく彼(手塚)が自分でアニメーションを作ると言い出した。で、僕は「そんな事は、ムリだ」と言ったのね。「絶対に損するし、失敗するのは目に見えてるんだから止めろ」と言ったんだけど「嫌だ、やる!」と言うんですよ。で、とにかく横山隆一さんところに話聞きに行こうという事になったんです。
── それはどういう目的でですか。説得してもらおうと思ったんですか?
白川 いやいや、手塚さんが「行く」と言って。それで僕たちも一緒に行ったわけ。
── ああ、同じ漫画家でアニメーションを作ってる人に話を聞きにいったわけですね。
白川 そうそう。横山さんはアニメーションの先駆者なわけだから。当時、まだ鈴木伸一なんかがそこにいて、『プラス5万年』などを作ってた頃ね。で、手塚さんと月岡君と僕が一緒に行ったんですよ。で、会ったら横山隆一さんが「手塚君、悪い事言わないから止めろ」って言うんですよ。
── そうなんですか。
白川 「絶対に止めろ」と言うのよ。なぜかっていうと、隆一さんが言うには「自分がアニメーションをやると言ったら、『お金なんかいらないから手伝わせてくれ』と言って全国から若者達が馳せ参じた。給料はあまり払えなかったらから、家内が彼らのために握り飯を作ったりしていた。最初はそれでよかった」と。「ところがなあ、段々歳を取るんだよ。歳を取ると彼女ができるんだよ。結婚したくなるんだよ。そしたらね、『先生、飯食わせてくれなくていいから、お金を下さい』と言い出すんだ」と。
── ははは(笑)。
白川 「だからな、君が(アニメーションを)やると言ったら、いっぱい人がくるよ。だけど、それは続かんよ」という話になったわけ。それでも手塚さんは全然ひるまなかったね。当時、横山隆一さんが作った『ふくすけ』とかは、東宝で配給してたわけです。実写のメロドラマなんかの併映だったけれど、興行成績もよくなかったし、多分、東宝から払われる制作費も少なかったと思う。それでも、隆一さんは漫画家として稼いでたから、耐えてきたわけだけど、事業としてはほとんど成立の可能性はなかったわけでしょ。それは分かってるから、「手塚君、止めろ」と口を酸っぱくして言ったんだ。でも、手塚さんは「やる」と言って。
 それから、ある時、古さんと僕とで説得した事があるんです。手塚さんの富士見台の家の上に、展望台みたいなものがあるんですけど。物凄い雷でね、稲妻がピカピカ光ってる晩だったのよ。そこで「止めろ止めろ」と言ったんだけど、「止めない」って。
── 劇的ですね。
白川 「スタッフどうするんだ」と言ったら、「なんとかなる」と言うんです。それで僕は、当時、結婚したばっかりだったんだけど、家内は東映動画で仕上げをやっていたんです。結婚して、夫婦ともに同じところで働くのもやりづらいので、(虫プロに)家内を売っぱらったんですよ(笑)。
── えっ? 白川さんが、奥さんに「虫プロに行け」って仰ったんですか。
白川 うん。だから、うちのカミさんは、虫プロの最初のスタッフの1人なんです。『ある街角』(ある街角の物語)の仕上げに、家内の名前がありますよ。とにかく彼は「やる」と言って、やったわけです。それから、『西遊記』の時に「『鉄腕アトム』をTV用に作りたいんだけど」と、手塚さんに話をした事があった。
── それは、どなたがですか?
白川 僕が。そしたら「いいよ」って言ってくれたの。で、僕はTV用に『鉄腕アトム』を紙芝居にしようと思ったの。
── アニメじゃなくて、紙芝居ですか。
白川 うん、紙芝居。当時のテレビの制作費では、それしかなかった。それで(東映動画に)提案したのよ。そうしたら、総スカン喰らってねえ。もう山本善次郎さんなんかには「お前バカか」みたいに言われてね。「ここにきてる連中は、皆、画を動かすためにきてるんだ。そういう人達に、動かない画なんか描かせるとは何事だ!」とけんもほろろに言われてポシャった事があるのよ。それはそれだけで終わったんだけど。
 で、手塚さんは虫プロを作って、「『鉄腕アトム』をTVアニメにする」と言い出したわけだよね。それで、山本瑛一が来て、坂本雄作達が東映を出ていった。それである日、電話がかかってきて。「ちょっとラッシュができたから観にきてよ」と。それで手塚家へ行ったら、16ミリの映写機があった。それが「アトム誕生」の部分ができたところだったんですよ。で、フィルムを上映しながら手塚さん自身が、ピアノを演奏したわけ。
── 音は入ってなかった?
白川 勿論、入ってない。ラッシュだから。
── 誕生のところぐらいまでしかできてなかったわけですよね。
白川 いや、誕生のとこだけと思う。あ、その前のトビオが死ぬとこやなんかもあったかな。それで、「ここでこういう音が入るのよ」という事で、手塚さんが「運命」を弾いたわけ。ジャジャジャジャーンと。だから僕は、手塚さん自身が演奏したラッシュ試写を観てるんだ。それで僕はびっくりしたわけ。その時に手塚さんに「手塚さん、いくらで、これできるの?」と言ったら、「60万だ」と言うの。当時でも劇場用作品だったら、何千万もかかったわけでしょ。「バカな。そんな事があるか。あるわけないじゃない」と言ったらさ、「いや、できるんだ」って。だけど、その「できるんだ」の中には、手塚さん自身の手間賃は入ってないわけ。それでね、どうしてもできると言うわけよ。
 それで「ところで、どこのTV局でやるんだ」と聞いたら、「萬年社に任してある」と言うんです。後に虫プロの専務になる穴見さんが、中村和子さんのご主人で萬年社にいたんですよ。で、そこまで聞いて、僕はすぐうちの弟に電話したわけよ。当時、弟はフジテレビに入社したばかりで編成にいたわけ。今はBSフジの会長やってるけど。それで「おい、手塚さんが『鉄腕アトム』を作った。これは凄いぞ。萬年社が扱うらしいけど、絶対にフジテレビが取れ」と言ったの。で、僕はその裏を全然知らなかったんだけど、実は、もう萬年社は日本テレビへ持ち込んでいて、ほとんど決定寸前だったんですよ。でも、そんな事は知らなかった。それで、フジテレビが萬年社を呼びつけて「お前、手塚の『アトム』を扱ってるか。それをフジテレビへ持ってこい」と詰め寄ったわけ。それで、萬年社は困り果てちゃったらしい。ただ、日本テレビも正式に決定していたわけではなくて、なんだかんだと逡巡してて、返事してなかったんです。で、フジはもう「即刻決定するから持ってこい」と言った。その中で色々と修羅場があったんでしょうけどね、僕はそんな事は知らない。で、フジテレビに決まっちゃったんですよ。それで、フジテレビは『鉄腕アトム』で日本で最初に本格的な国産のアニメーションをやるという名誉と成功を勝ち得たわけ。で、それから後は「アニメのフジテレビ」になるわけですよ。ま、そういう風ないきさつがあったんだけどね。まあ、だから、(自分と手塚作品は)なんだかんだと、色んな因縁があるわけですけど。
── この時期に、手塚さんが虫プロを作っているにも関わらず、東映動画は『シンドバッドの冒険』で、また手塚さんを脚本で起用してるじゃないですか。東映動画は随分と心が広いというか(笑)。
白川 いや、心が広いわけじゃないんですよ。別に手塚さんを敵と思っていなかっただけで。手塚さんも「もう、あんな酷い目に遭った東映なんか2度とやるか」と言ってもいいわけでしょ。でも、やっちゃうわけだから。
── 『シンドバッドの冒険』は、白川さんは全然かんでないんですか。
白川 僕は直接はかんでません。言ったら悪いけどあれこそ、手塚さんのものと全く違うよね。だけど、手塚さんはやっちゃうんだよ。『わんわん忠臣蔵』の場合は、また僕がのこのこ行って、「やってください」というような話になったわけだけど。
 だから、手塚さんという人は、ある意味で非常に八方美人的で、仕事をもってこられると、あんまり断らない人なんですよ。で、誰からも悪く言われたくない人なんです。だけど、非常に自我が強いわけだし、それから自意識も強い。だから(扱われ方や、仕上がりに対して)腹が立つわけですよ、本人は。いつも腹を立てるわけです。そういう意味で言うと僕は、美空ひばりと手塚治虫はほとんど同じだと思ってるけど。
── (笑)。
白川 要するに、自分が常に第一人者だという強烈な自負があって、他の才能とか、他の流れが出てくると「俺だってできる」と言い出すわけです。美空ひばりだってそうだったよね。演歌だけじゃなくてさ、その時代の流行りのリズムで歌ったりするでしょ。白土三平が出てくれば「俺だって、こんなマンガが描ける」になるしさ、水木しげるが出てくると「俺だって、妖怪ものが描ける」という事になるわけだ。そういう人だったから、人に頼まれるとやっちゃう。やっちゃうけど、何もかもが全部自分の思うようにはならない。そうすると、ヒステリー起こす、というような事になっちゃうわけです(笑)。でも、しかし、そこまでできるのは大天才だから。滅多いない、凄い人ですよね。

●白川大作インタビュー(5)へ続く

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