WEBアニメスタイル
更新情報とミニニュース
アニメの作画を語ろう
トピックス
ブックレビュー
もっとアニメを観よう
コラム
編集部&読者コーナー
データベース
イベント
 

 編集・著作:スタジオ雄
 協力:スタジオジブリ
    スタイル

WEBアニメスタイルについて メールはこちら サイトマップ トップへ戻る
トピックス

東映長編研究 第7回
 永沢詢インタビュー(5)

●『ガリバーの宇宙旅行』
── 『わんぱく王子』で、東映長編1班体制っていうのが一区切りつくわけですね。ちょうど『わんぱく王子』の公開が、虫プロの『鉄腕アトム』(1963)が始まって3ヶ月目ぐらいの時期ですね。
永沢 あ、そうですか。
── 東映がTV用の体制をここで組もうという動きがにわかに出てくるのは、この後の事なんですけど。元々、この後の『わんわん忠臣蔵』では永沢さんは最初から、作画班には参加されてない形ですよね。
永沢 ええ。
── という事は『わんぱく王子』の後、TV班の編成をやる前に、2段階あると思うんですよ。まず1班体制ではなくて2班作って劇場をやっていく事を打ち出した。その時はまだ劇場中心でいくというつもりで発表をした。
永沢 はい、そうですね。
── そう思ってたら、虫プロが『鉄腕アトム』を始めちゃったので、さあ東映もTVだという話になった、と。同時に動くはずだった『ガリバー』を一旦中断して、『ガリバー』を製作する予定だった班のかなりの人達を『狼少年ケン』(1963)に投入したんだという事が、「作画汗まみれ」に書かれてあったんですけど。そうだとすると、永沢さんは『ガリバー』に結果的には参加されてますけど、『ケン』にも参加したんですか?
永沢 『ケン』には全然参加してないですね。
── それはどういう事で? 2班に分かれた時は、『ガリバー』班ではなかったんですか。
永沢 いや、最初から『ガリバー』班だったと思いますよ。
── じゃあ、中断時期も『ガリバー』をやっていたんですか。『ガリバー』の方に残ってやり続ける班もあったっていう事でしょうか。
永沢 それはよく覚えてないなあ。『ガリバー』班から『ケン』に分かれたわけではないでしょう。
── そうなんですか。
永沢 あの時、会社としては労働組合対策とかいろんな問題があったんですよ。社員を採用しなくなったので契約者が増えたんです。あるいは社員が契約に変わったりね。管理が難しかったでしょ。そこに月岡貞夫が現れたんで彼の企画でやって、TV班はわりと契約の人中心ではないのかなあ。部屋も長編の部屋から遠くにして、『ケン』の準備班を作ってましたね。それで社員、つまり組合員は『ガリバー』とか……もう1本は何でしたっけ。
── 『わんわん忠臣蔵』ですね。
永沢 そう、『忠臣蔵』の方にするとか、そういう組合対策みたいなのがあったんじゃないかな。組合がその頃強かったですからね。その中心がアニメーターだったでしょ。
── それじゃあ、永沢さんは『わんぱく王子』が終わったら、すぐに『ガリバー』に入ったと。
永沢 だったと思います。ストーリーボードか何かの作業に入ってたんじゃないですかね。
── ああ。『ガリバー』の企画というのも、今見るとそれまでの作品のように原作があったり、伝説や童話からの題材の流れと違っていて、興味深いですね。まあ「ガリバー旅行記」という元になったものはありますが、今までにない翻案をしてるというか、ほとんど「名前だけ借りたオリジナル」みたいな。
永沢 そうですね。
── ここに至る流れとしては『わんぱく王子』で得たスタイルの影響も感じるんですけど、企画としてはそれまでの長編作品からずいぶん飛躍してますよね。
永沢 そうですね。
── 森さんは『わんわん忠臣蔵』にも『ガリバー』にも、原画として入られていますね。メインを張らなかっただけで。
永沢 一息つくという感じでメインはやらなかったのかなあ。とにかく古沢さんが初めて作監ですよね。
── はい、そうですね。
永沢 黒田(昌郎)さんが演出で、2人とも初めての担当でね。
── そうですね。
永沢 だから、なんとなくアニメーターの間での盛り上がりがなかったんですよ。2人とも新しいし、『わんぱく王子』をやった後でしょ。次は何かと聞いたら『ガリバー』だという事で、その頃は、まあ、宇宙ブームだったんで結びつけた企画なんじゃないですか。だけどアニメーターにしてみれば、作監が誰で、キャラクターがどんなものかという点で、古沢さんはちょっと独特の感じだったでしょう。新鮮味がなかったし。なんとなく僕もやる気なかったですね。
── そうですか。
永沢 仕事だからしょうがないやるか、と。そういう感じだったですね。
── ストーリーボードを描くというのは、自分がどういうシーンをやるという事と関係なく、思いついたものを、みんながそれぞれ提出するという参加の仕方だったんですか。
永沢 そうです。黒田さんも撮影所からの人でしたっけ?
── いえ、黒田さんは生え抜きの方ですよ。池田さん、高畑さんと同期で。
永沢 あ、そうだ。芹川さん達や、それから京都から演出の人がきてから、演出体制をキチンととって、というように、ちょっと空気が変わってきたんですよね。実際に演出を担当する人は画を描くわけじゃないし、アニメの経験もないでしょう。それで何よりもアニメーター、特に作監に気を遣うわけですよ。ストーリーボードからコンテに入る時には、それが微妙に問題になりましたね。演出体制がハッキリしてからは、まず(演出サイドが)脚本をしっかり作って、固めるというところまではやっていたと思います。でも、絵面にする時、流れをどう作るかというのは、作監の意向を気にしながらやらざるをえないわけです。画を描かない演出さんは、なんと大変だったと思いますね。演出のイメージに添った作監と組めばいいのですが、そうもいきませんしね。
── 今のお話は、ストーリーボードの段階の事なんですか。
永沢 ストーリーボードからコンテへ移行する時です。
── なるほど。ストーリーボードをお描きになる時って、シナリオを読みながら「こういう絵面にしよう」と描いていったんですか。
永沢 そうです。
── それは『ガリバー』でも『わんぱく王子』でも同じようにやったんですか。
永沢 ええ。
── その段階では演出家が「こういう絵面がいいよ」みたいな事は言わないんですか。
永沢 基本の流れのイメージはもちろん演出家が作り、それに合わせて作監がストーリーボードの画を作りました。会議室に少し大きめの紙で作監が画を描いて、順番に貼っていって、それを貼り替えたりなんかしながら打ち合わせるんです。それを原画に見せながらやっていくという感じかな。まだ秒割りまでしない段階で、大体の絵面と流れが分かるというところまで、ストーリーボードでやってたんですね。
── なるほど。イメージボードじゃなくて、ストーリーボードという事ですね。
永沢 その中間ぐらいのものですかね。
── 絵コンテそのものじゃないけど、絵コンテの前段階ぐらいの画があって、その上にセリフがちょこっと書いてあるとか。
永沢 そうです。
── それは1カット1枚に近いものですね。
永沢 もう少し荒っぽいものです。
── 例えば永沢さんが作画監督ではない立場で、ストーリーボードに参加する際というのは、何をやるんですか。作監の人が中心になってストーリーボードを描くけれど、時折他の人も参加してという感じなんですか。
永沢 そうだったと思いますね。
── 後の宮崎さんの仕事ぶりを考えるとそうなのかもしれないですね。例えば原画として参加が予定されている人達がその場に集められて、みんなの意見を吸い上げていくという過程で、永沢さんも参加されたという感じでしょうか。
永沢 ええ、そうですね。
── 『わんぱく王子』でもすでにそういう形をとっていたんですか。
永沢 いや、『わんぱく王子』では、かなり綿密にやってましたね。芹川さんも初めての演出でね。演出畑の人なんで、タイム割りに近いところまで割りながら、森さんと基本は詰めてましたね。
── それはボードの段階で。
永沢 そうです。ボードの段階で。
── じゃあ、やっぱり『わんぱく王子』に関して言えば、さっきのウズメのシーンはストーリーボード自体をまず森さんが直接描かれたんですね。
永沢 いや、まずキャラの募集をやり、その中で私のがいいという事になったかと思います。
── 実際にそのシーンだけストーリーボードを永沢さんが分担したという事ではないんですか?
永沢 どうかなあ。あんまり記憶にないですけどね。ストーリーボードも描いたような気がするけど……。ウズメのシーンはね、踊ってるポーズか何かをいくつか描いて森さんに渡して。なんかそんな感じで……。
── 「次は実作業」みたいな感じですか。
永沢 というぐらいだったんじゃないかと思いますね。だけど『ガリバー』になると……まあ、どんな作品でもそうですけど、キャラクターデザインを含めての作監と、演出によって参加の仕方が違いますからね。『わんぱく』の場合は、絵面の基本は森さんが全部やってるんで、原画の人も安心していたという感じだったけども、『ガリバー』はちょっとそういう点では空気が違っていたかな。さっきも言ったように2人とも、初めての人だったし、担当の2人も気の遣い方が全然違ってたと思いますよ。
── なるほど。お2人の側からしてみれば、なるべく原画のスタッフ達に気持ちよく参加してもらうために、具体的にストーリーボードの時から参加してもらおう、というような感じで。
永沢 それでやったんだと思います。
── 『ガリバー』では実際にかなり描かれたんでしょうか。
永沢 ええ。
── 永沢さんは、タイトルの順番としては大塚さんに次ぐ2番目にお名前が出てます。
永沢 あ、そうですか。
── すでにこの時点で古株というか、もうベテランとして2番目に位置づけられてますね。
永沢 そうですね。
── この時というのは、例えばストーリーボードの段階も含めて、古沢さんの方でキャラクターを固める前の段階に永沢さんの方で「こういうキャラクターはどうだ」というような提出をしたりしたのでしょうか。
永沢 そうですね。『ガリバー』の時はやったと思いますね。
── 具体的には、どの辺がそうだったんですか。
永沢 あの、スーッと滑るキャラクター、これはやったと思いますね。
── ちょっと『やぶにらみの暴君』っぽいやつですね。
永沢 ええ。お姫様とか、それから学者かな。
── 紫の星の王室の人や住人達は、ひととおり永沢さんが?
永沢 そうだったと思いますね。
── 順番としては、あそこのシークエンスをまず「永沢さん、考えてください」というのがあって、ストーリーボード込みでやったという事なんでしょうか。
永沢 うーん、やった事は確かです(笑)。
── じゃあ、実際にお描きになられたのは敵の巨大ロボットじゃなくて、星に住む人達のデザインと、あの星のイメージボードみたいなものですか。
永沢 そうですね。
── 舞台の美術設定的なものも含めて描いたんですか。
永沢 そう、キャラクターをやるとね、特にああいう架空の場所だとどうしても、バックも関わってくるんで。でも、基本はやっぱり古さん(古沢日出夫)がやっていましたね。それを僕流に直したんですね。
── 主人公の人達は古沢さんがお作りになって。
永沢 そう、原画から(ビジュアルのアイデアを)出してもらった後で古さんが統一して、黒田(昌郎)さんと固めてたと思います。
── この作品って特にミュージカルシーンが独立してて、いくつも置かれているような構成になってるんですけど、ミュージカルシーンはミュージカルシーンでやっぱり別個の作業をしていたんでしょうか。
永沢 いや、どうだったか……。僕は『ガリバー』はあまり乗ってなかったんでね。ホントに記憶が曖昧で……。
── 原画としてはどこをお描きになったんですか。
永沢 原画は……あの、何の星でしったけ?
── 紫の星。
永沢 ええ、あのシーンだけだったと思いますね。
── そこはほとんどの原画を描かれてるんですか。
永沢 僕だけでなく、大塚さんもあそこやったんじゃないかなあ。
── 以前、レーザーディスクの解説書に黒田さんのインタビューが載ってまして。敵のロボットのデザインも含めてなのか分かりませんが、その辺は月岡さんがやられたというような事を黒田さんがおっしゃってたんです。
永沢 ああ、そうだ。大塚さんの担当だったロボットとシーンを、大塚さんが月さん(月岡貞夫)に任せたと思います。
── そういう事があるとしたら、前半も、もう1人か2人かの方にシークエンスごと任せてたというような事をやっていたのかなあとか……。
永沢 あれは、やっぱり組合の事で遅れに遅れて、後半だか、最終段階だかの時なんか、他のスタッフもバーッと入れて、動画の人にも任せたり、かなり乱暴な事をやったんですよ。
── 『ガリバー』の時も組合の影響があったんですか。
永沢 あったんですよ、ええ。あの作品はいちばんスケジュールが遅れた作品じゃないですか。
── まあ『ホルス』ほどではないと思いますが(笑)。
永沢 ええ。それで最後どうしようもなくなって、月さんとか、それから宮さん(宮崎駿)達が投入されたんじゃないかな。
── 宮崎さんは当初から参加していたんですか。
永沢 『ガリバー』では大塚さんの班にいたはずです。
── 星に敵のロボットが攻めてきて、ビームをビリビリビリッと撃って、ビルが壊れるんですけども、その破片がかなり細かいカットがあるんですよ。おそらく宮崎さんが描いたんじゃないかと思うんですけど。覚えてませんか。
永沢 覚えてないけど、たぶん大塚さんのところに宮さんが来て始めた頃のものじゃないですかね。
── 月岡さんが担当していたというロケットの発射シーンがあるんですけど、前半の見せ場がこの辺にあるんですよね。シークエンスごとに大きな区分けがあるとしたら、この辺は永沢さんじゃなくて別の方がやっているかと。
永沢 僕はやってません。僕、この主役のキャラクターを描いた記憶ないですもん。
── でも、紫の星のキャラクターと絡んでますよ。
永沢 絡んだところぐらいは描いてるけど。(取材中に参考に再生していた『ガリバー』のビデオを見ながら)この辺は記憶にありますね。
── ああ、星に着いたところですね。つまりどこの部分というよりも、紫の星のシーンはほとんど描かれてるわけですか。
永沢 原画は描いてますね。だからちょっとウズメに似てるでしょ。
── 『わんぱく王子』ではウズメといえども最終的には森さんの完成デザインがあったというお話でしたけど。『ガリバー』ではどうだったんですか。
永沢 これはほとんど任せっきりでした。
── 古沢さんではなくて、このへんの人物に関しては、完成のデザインまで永沢さんが作られて。
永沢 ええ。美術はこの時、誰だっけ……。
── 横井三郎さんですね。
永沢 美術が背景原図というのを作ってくれるんですね。それで、その背景原図を組み合わせてやるという感じでした。
── 『わんぱく王子』の時はなかったんですか。
永沢 『わんぱく王子』の時も小山さんが背景原図を描いてましたね。
── レイアウト先行じゃなくて、原図先行なんですか。
永沢 シーンによって違ってましたけどね。踊りなんかは、私の方で大雑把にやって、そのあと組み合わせる場所だけキチンとした原図を小山さんが描いていくというように、シーンによって違ってると思います。
── カメラがフィックスしていて、その舞台の中でキャラクターを動かすような時は、先に美術が背景原図を作った方がやりやすいとか、そういった事をカットによって判断していたんでしょうね。
永沢 ええ。
── 背景原図をちゃんと描き起こしてやるというのは、遡るとどのあたりからそういう事をやってたんでしょうか。
永沢 小山さんが『わんぱく王子』でやったのが本格的には初めてですよ。
── それまではどうしてたんですか。
永沢 それまでは原画の人が背景原図を大雑把に描いて、組み合わせを指定したものを美術が原図に仕上げるという形でした。
── 逆に言うとレイアウトを原画が起こして、それが美術の方へと回っていく。美術が受け身になってたんですね。
永沢 『安寿』では原図を森さん、大工さんが描いていました。『わんぱく』で原図を、要するに美術設計をちゃんとやるという事が初めてで、凄く新鮮だったんですね。しかもそれを小山さんというアニメーターにもいちばん信頼のある人がやったんでよかったんじゃないかな。
── アニメーター経験者でもあるし。
永沢 ええ。そういうシステムというのは、積み重ねてきてでき上がっても、作品が変わって人が替わるとやっぱり違っちゃうんですよね。その人の技量によるわけです。重ねてきたシステムが、そのまま積み重なっていくとは限らないんですよ。ヘッドが替わったら全部変わっちゃうっていう事がある。
── その人だからこそ、成り立ってるシステムだったという事でもある、と。
永沢 そうなんですよ。当たり前の事ですけどね。
── それでちょっと気になったのが『ガリバーの宇宙旅行』だけが前後の作品と比べると違ってるんです。他の作品では美術と色彩設計とで別々の人が立ってるんですよ。例えば『わんぱく王子』だと美術は小山さんなんですけど、色彩設計は横井さんが立っている。『わんわん忠臣蔵』でも鳥居塚さんと沼井さんが美術で、色彩設計が浦田さんになってるんです。でも、『ガリバー』だと色彩設計がいなくて、美術として横井さんの名前しか出ないんです。これは両方兼ねてたんでしょうか。
永沢 私の記憶では『わんぱく王子』の場合、色彩設計というのは、主にキャラクターの色指定だと思いますよ。
── セル画のキャラクターを決める仕事だった。
永沢 画面全体の色彩設計は小山さんがやってるわけですからね。
── そうですね。確かに東映のTVは特に美術の人がキャラクターの色指定、セルの色なんかを決めるというお話でした。その流れでいうと『ガリバー』は横井さんが美術もやりながらキャラクターの色彩設計とか色指定もやっていたという事でしょうか。
永沢 だと思います。
── 紫の星の中のミュージカルシーンなんですけど、ここは永沢さん、やってないですか。
永沢 ……これは僕じゃないですね。
── どなただったんでしょうか。結構メリハリのある作画ですよね。
永沢 誰だったかなあ。タマちゃんじゃないかなあ。
── タマちゃんって……児玉喬夫さんですか。そう言われるとそんな感じはするけど。
永沢 画で見るとね。タマちゃんは『わんわん忠臣蔵』のオープニングをやってるでしょ。
── そうですね。
永沢 その流れでやったんじゃないかな。
── (ビデオを永沢さんに見せながら)ここは「地球のうた」というシークエンスなんですけど、ここの美術は、児玉さんがやったというクレジットが出るんですよ。だから、ここは作画も合わせて全部やってたっていう事でしょうか。
永沢 月岡君もやってたんじゃないかな。
── 月岡さんはロボットが出るシーンでは?
永沢 タマちゃんと月岡君の2人でかもしれませんね。
── 古沢さんが確実にやられてるのは、主人公のテッドとか、ガリバー博士とか。
永沢 そうです。
── 犬のマックもそうなんですかね。
永沢 ええ。あの絵柄が古さんの絵柄なんですよ。
── なるほど。
永沢 みんな、あの絵柄はあんまり好きじゃなくて、(作画を)やりたがらなかったんですよ。なんと言うかな、主役とかはなるべく避けたいというか(苦笑)。
── 永沢さんは、その後、TV作品には参加されずに東映を辞められたんですか。
永沢 そうです。TVは全然やる気なかったですから。
── じゃあ、東映は『ガリバー』を終えてお辞めになってるんですか。
永沢 そうです。『ガリバー』の途中から、いつ辞めようかと思ってた(笑)。
── その時は辞めてどうされるおつもりだったんですか。
永沢 何も考えていなかったんです。とにかくアニメはやりたくなかったですね。
── それは『ガリバー』のせいですか(笑)。
永沢 いや。
── でも実際にはその後、アニメの仕事を続けられてますよね。
永沢 ええ。今みたいにイラストレーションをやるとか、そういうつもりも自信もまったくなかったですからね。だから結果的には辞めた後もアニメをやらなきゃならなかったんですけどね。
── そうですよね。結果としてそうなってしまったという事で、当初はすぐにでもアニメの道から離れるはずであったと……。
永沢 ええ。辞めてからは、アニメをやっても企画やキャラクター作り、演出止まりで、原画は基本的にほとんどやっていません。

●永沢詢インタビュー(6)へ続く

一覧へ戻る


Copyright(C) 2000 STUDIO YOU. All rights reserved.