色彩設計おぼえがき[辻田邦夫]

第62回 昔々……(40) 劇場版『DRAGON BALL Z』との日々の始まりであります

北京オリンピック、始まりましたね。

さすが世界最高峰のスポーツの闘いが一同に会してる五輪、ひとつひとつの試合がすごいです。なので、日本選手が出る出ないにかかわらず、結構いろいろ観ちゃってます。

時差1時間の北京なので、なかなか生中継の時間帯に観ることは難しい。よって、どうしても深夜のNHK-BSでのダイジェストとか再放送がメイン。よって寝不足気味です(苦笑)。

初めて目にする競技種目もあって新鮮でいいです。アーチェリーやバドミントンの試合、初めて観ましたよ。ホッケーなんか、すげえスピーディでかなり魅力。

そんな中で「お仕事eye」で注目して観てるのは水泳です。

色指定する者の永遠のテーマは、なんと言っても「水」の表現。最近は3DCGで処理されちゃうことも多いんですが、やっぱり作画+彩色で「水」を表現するのは、アニメの基本ですね。で、試合を楽しみながら、水ばっか見てます(笑)。

うねるプールの水面の質感、選手たちが蹴立てる水しぶき、水中の泡、高飛び込みの水柱、そして水の中での選手たちの色味、などなど。もうね、見れば見るほどおもしろい(笑)。

それにしても、放送の技術もすごいですね。カメラワークといい、CG使っての説明用合成画面といい、そっちもなかなか楽しんでますよ!

そういえば思い出したのが、前回アテネ大会の体操男子団体の決勝。あのとき、朝方、大泉スタジオで仕事しながら観てたんですよ。あの有名な「栄光への架け橋」の実況を、自分の席のマスモニター(ビデオデッキつないであって、そのチューナーでTVが観られるのね)で観てたのでした。

ん? 何の仕事だったんだろ? 星矢? ……っていうか、ついこの前の記憶なんだけどなあ……(汗)。

さてさて。

4年どころか、ずいぶん昔に時計は戻ります。昔話の続きであります(笑)。

1990年〜91年はOVAの仕事が中心だったのですが、『BE-BOP -HIGHSCHOOL 3』(監督/角銅博之、作画監督/羽山淳一)や先述の『Cryingフリーマン5 戦場の鬼子母神』と、1992年もOVAは続いていきました。

そしてそんな合間を縫って、新たな作品に携わっていくことに。『DRAGON BALL Z』の劇場用作品であります。

1986年からTVシリーズが始まった『DRAGON BALL』、そして続けて1989年からは『DRAGON BALL Z』。長く大ヒット大人気でありまして、その頃は春と夏の「東映まんがまつり」用に年に2本のペースで劇場用作品が作られておりました。その1992年3月公開の作品『DRAGON BALL Z 激突!!100億パワーの戦士たち』を担当することになったのです。

「え? 『DRAGON BALL』ですか? 僕が? なんで?」課長に言い渡されて、そんな風に受け答えした記憶があります。なんかいきなり唐突に僕に決まったのですね。

当時の東映は、TVシリーズ作品の劇場版については原則TVのメインの担当者が色指定を担当する、という流れになっておりました。ところがこの『DRAGON BALL Z』、ちょっと他のTVシリーズとやり方が変わっておりました。

たとえば『聖闘士星矢』の時の僕のように、普通ならそのシリーズ担当の色指定が1人決まっていて、メインキャラクターの色をつくったり、色指定書の管理したりしているのですが、この『DRAGON BALL』班は担当色指定を置かず、スタッフルーム内のメンバー、チーフディレクターと演出、演出助手で、そういう色指定関係の諸々を全部決めて、制作進行と演出助手が色指定を管理するというシステムだったのです。で、スタッフルームで決めた色指定を直接仕上げのプロダクションさんに渡して作業してもらう、と。概ねそんな感じでありました。

この班は最初の『Dr.スランプ』の時からずっとこの方式でやってきていたのでした。ま、TVシリーズ、しかもあんまり登場人物が増えていかない作品だから、このやり方でもなんとかなってきてたのですね(←しかし、後にこのやり方が仇になって色指定が散逸しちゃうのですが(苦笑))。

ただし、劇場用作品ともなると、さすがにTVのように「すべてスタッフルームで」というわけにもいきません。なので一応、酒井さんという女性の色指定さんが、基本『DRAGON BALL』の劇場作品の担当として、それまでの『DRAGON BALL』、そして『DRAGON BALL Z』の劇場版を担当されてきていたのです。

で、そんな流れの『DRAGON BALL Z』のお仕事が、なんでだか僕に回ってきました。1991年の11月のことでした。

正直言いまして、それまで僕『DRAGON BALL』は原作もTVもほとんど観てなかったのですね。『Dr.スランプ』は原作読んでたし、僕がアニメの仕事をバイトで始めたときに最初に塗った作品だったこともあって、TVも結構観てたんですけど、『DRAGON BALL』はほとんど知りません(苦笑)。

なので、とりあえず原作コミックスまとめて読んで「基礎知識」を頭に入れました(笑)。

たいていのTV作品の劇場版は、TVシリーズから離れた「番外編」的お話になります。この『DRAGON BALL Z 激突!!100億パワーの戦士たち』もそんな感じでありました。なので、まあ、必ずしもTVに合わせたり、ということは考えなくても大丈夫そうでした。

それでも、人気作品の劇場版ですし、監督はかの西尾大介氏でありました。作画監督は前田実氏。結構ドキドキしながら、劇場のスタッフルームに挨拶に行きました。……挨拶に行ったのですが、いない(汗)。日を置いてあらためて行ったのですがやっぱりいない。聞けば「最近来てない」とのこと。どうやら絵コンテ作業で自宅に籠もってるとのこと。あ、そういえば絵コンテもらってなかったんですが……まだできてなかったんですね?(汗)

時は1991年11月の半ば。劇場公開は翌年3月7日。すでに作業期間は3ヶ月を切っておりました。「ああ、なるほど。そういう事情で、大変な状況になるってことで、僕にお鉢が廻ってきたのか……」。

それから以後長く続いていくことになる僕と『DRAGON BALL Z』劇場版シリーズとのお付き合いは、こうして始まったのでありました。

■第63回へ続く

(08.08.12)