色彩設計おぼえがき[辻田邦夫]

第125回 昔々……72 1994年その6 ミーティング! はたしてその成果は?

小惑星探査機「はやぶさ」が帰ってくる! そんなニュースを聞いてからずっと、たった1人で太陽系を地球目指して飛んでいる「はやぶさ」にエールを送っておりました。
そして先日の日曜深夜、いよいよ地球へ帰還。その様子をUstreamの中継で見ておりました。約60億キロの長い長い旅を終えて帰ってきた、はやぶさ。幾多の苦難を乗り越えて、満身創痍で帰還してきたその姿に、あの『宇宙戦艦ヤマト』をダブらせてたのは僕だけではないと思います。あ、いやまあ、僕はそんな世代です(笑)。
はやぶさの苦難の旅路をアマチュアの方々(?)が映像化したムービーをいくつか拝見しましたが、その何本かはBGMに『ヤマト』使ってましたね。それがどれも見事に合ってるんですね! 素晴らしい! どうもこの『宇宙戦艦ヤマト』の楽曲は、こんなふうに物語と僕らの気持ちとをつなげていくようです。
地球へ帰還したはやぶさは、残念ながら大気圏で燃え尽きてしまいました。最後の最後に地球の写真を撮り、そして散っていった、はやぶさ。ああ、なんとも、日本人の心を揺さぶるお話でありました。
なんかね、思うんですよ。僕らはいろんな「お話」を作って観てもらうのが仕事だけど、やっぱりこんな、はやぶさのような実話には勝てないよなあ、と。
大気圏再突入で燃えていった、はやぶさの火球は、どんなCG画像よりも壮大で美しかったのでした。
さて、話は変わりますが、目下絶賛放送中の『四畳半神話大系』。関東地区、今週は第9話「秘密機関『福猫飯店』」の放送です。今週分含めて残すところあと3話。みなさん、ヨロシク! 乞うご期待! でありまする。

さてさて。
1994年3月。フィリピン、マニラのEEI-TOEIスタジオ。
ひととおりの視察が終わって、さあ今度はこちらからのアプローチ。いくつか見受けられた問題点について、それを解決すべく、スタッフみんなを集めてミーティングを開くことになりました。これが僕に課せられた、今回の出張最大のミッションです。
EEI-TOEIスタジオからの彩色上がりで最大の問題点は「汚れ」でありました。セルの透明な部分に汚れが多く見受けられていたのです。その汚れの中で最も多いのは、絵の具の飛び散り。それと指紋、あるいは掌紋の付着です。
塗り間違いやら、はみ出しやらといった彩色自体の技術的精度は、国内でもどこでも、多少は上下幅があるもの。とりわけTV作品では、ある程度の難は目をつぶれるんですが、この透明部分が汚れて上がってくるのは、ちょっと困った事態でありました。
この指紋・掌紋が、暗い背景の上でめっちゃ目立つのです。当時の作品ラインナップの中心は『DRAGON BALL Z』に『セーラームーン』。戦闘シーンやらイメージシーンやらで暗い背景のシーンが増えてきてて、闘いの最中に指紋やら掌紋やらが白く画面に出てしまうのです。
劇場作品やビデオ作品なら、撮影前に再度僕らがセルを検査してるので、その時点でキレイに指紋は拭き取っちゃうんですが、TVシリーズでは、マニラからの塗り上がりを基本そのまま撮影に入れちゃうという流れになっていたので、撮ってラッシュが上がってきて試写で観て「あちゃー!」みたいな……。
当然その問題は何度となくマニラのスタジオへは伝えて注意してもらってはいるのですが、注意すると一瞬よくなっても、それでもまた少し経つともとの有様に戻っちゃう。なので、なんでそうなっちゃうのか、を調べて改善策を講じよ、というのが僕へのミッションだったのです。
実際に彼らの作業を観察してて分かったのですが、彼ら、ちゃんと彩色手袋して作業してはいるんだけど、観てると何の気ナシに腕でセルを押さえちゃったりしてるんですね。当然半袖ですからモロに素肌。あるいは絵筆持ってる方は手袋してるんだけど、絵の具瓶持った反対の手は素肌だったり。注意するとその時はちゃんと手袋するんだけど、ちょっと目を離してるとまた素手で作業してる(苦笑)。
つまりはやはり意識の問題なのですね。なんで手袋しなくちゃいけないのか? 言われればそうするんだけど、その理由はちゃんと分かってなかったり。「セルを塗る仕事」という認識は、必ずしもイコール「アニメの画面作ってる仕事」という認識にはなってなかったりしてるスタッフもいるのですね。たとえばこれが日本国内だったら、自分たちの仕事の完成形をTVの放送で観ることもできて、そうすれば自然と意識も高まるのかもだけど、残念ながらマニラではいま作ってるものは観られないのです。ああ、これはむずかしいなあ。
それでもなんとか、そのあたりも含めて理解してもらわないとなりません。で、ミーティング。
ここで最大の問題は「言葉の壁」であります。日本語だったらいっくらでもしゃべり倒す僕ですが、さすがに英語はからっきしダメ。文章読んだり書いたりは概ね大丈夫だし、相手が喋ってることもほぼ分かるんだけど、こちら発で喋るのが苦手。頭の中で英作文しようとしちゃうのね。で、ぷちパニックに。ああ、あわれ受験英語の落とし子です(苦笑)。英会話なんて授業とか、やらなかったものなあ。
でも大丈夫! こちらのスタジオに常駐してる祖谷さんと立仙さん、彼らがもうシッカリ英語大丈夫の方々なので、ミーティングの通訳をお願いしちゃいました。僕のしゃべりをなんとか上手く翻訳してもらうことに。スタジオの納品スケジュールの合間にセッティングしてもらったミーティングは3回。まずは検査のみんなと1回。そこで意見交換した内容も踏まえて、トレース班+彩色班で1回、あとは彩色班の夜班とも1回。

まず検査のスタッフとミーティングしたのは、実際にセルのクォリティを管理してるのは彼ら彼女らなワケで、きっと彼らにもいろいろ思うところはあるんではないか? と思ったからです。僕が見て回って、多少一緒に作業もやってみて気がついたところは、たぶんみんなも分かってるんだろうし、さらに短期間しかいられない僕以上に気になってる問題点も抱えてるかもしれない。そういう視点で意見交換してポイントをまとめていけば、より一層いろんな事がみんなに浸透していくんでは、と考えました。
で、意見交換。
僕の言いたいことはみんな理解してくれたようで、話してるうちにいろいろな意見が出てきて面白かったです。逆に僕ら東京のスタジオの色指定の仕方とか問い合わせへの対応とかについても様々な意見をもらえて、これはこれで僕らが改善しなきゃならないこともたくさん出てきたのでした。
そして今度はトレース、彩色のスタッフとのミーティング。正直最初は「なんだ? コイツ」とか「トウキョウから来たうるさいヤツ」くらいにしか思われてなかったみたいですが(笑)、こちらも話していくうちに、個人差はあるけど段々分かってくれた模様。ここでもいろいろな意見や要望が出てきて面白かったです。
そんな感じで3回のミーティング、しゃべり倒しで都合4時間強。なかなか濃い体験でしたよ。

そして僕は帰国の途に就きました。帰りの荷物はフタがちゃんと閉まらないくらいパンパンに荷物の詰まったジュラルミンケース2個。60キロ超。空港のカウンターでオーバーチャージ分の料金を日本語混じりの英会話で粘り強く交渉して(苦笑)、それでもそれなりの金額を払って、なんとか東京行きのJAL機に乗り込んだのでありました。
その後、出張の成果はどれだけあったのか? というと、劇的に、ではないですが、それでも少しは改善されていきましたよ。でも3ヶ月後、僕の次の劇場作品の追い込みでもまた、同じような状況は繰り返されていくのでした(笑)。

第126回へつづく

(10.06.15)