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アニメの作画を語ろう
シナリオえーだば創作術――だれでもできる脚本家[首藤剛志]

第48回 『ミンキーモモ』七人の脚本家

 どんな脚本家が『魔法のプリンセス ミンキーモモ』に向いているのか?
 プロのアニメ脚本家は、何人もいるが、当時の脚本家の多くは(多分、今もそうだが、ギャラも安く、そのためかプロデューサーや局やスポンサーのいいなりになって……)無難な脚本は書けるが、自分の個性を前面に出す人は少ないような気がした。
 どんなに本来の作風が個性的であっても、無難な脚本ばかり書いていると、それが癖になって身についてしまい、個性的なものが書けなくなってしまう事が多い。
 といって、自分の個性を押し通して、製作関係者と喧嘩ばかりしていると、仕事が来なくなって消えていってしまう。
 つまり、アニメ脚本家として食べている現役は、無難な脚本しか書けない人だけが、生き残っている事になる。
 そういう人に『魔法のプリンセス ミンキーモモ』は無理だ、と僕は最初から決めてかかっていた。僕がいくらエピソードやアイデアを出しても、無難に処理されては、「仏作って魂入れず」のことわざ通り――僕も古いなあ――になってしまう。
 僕は、極力、既成のアニメ脚本家を避けて『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の脚本を作ろうとした。
 その僕のスタンスは、後の『アイドル天使 ようこそようこ』で、脚本に何の関わりもない素人の方にシナリオを書いてもらうところまで行き着いてしまうのだが、まだ、空モモの頃は、そこまでの自信は持てなかった。
 見渡してみれば、身近に1人、それのできそうな人がいた。『まんがはじめて物語』で、僕が書いている、はっちゃけた脚本ではなく、ごく真面目なシナリオを書く人で、同じ年齢の戸田博史氏という人がいた。
 同年齢である事も手伝って、よく酒を飲んだが、実はこの人、生真面目な『まんがはじめて物語』とは正反対の、当時のにっかつ映画の「抱きたい女 抱かれたい女」「野獣のように」などという普通の劇場で上映されない映画の脚本を書いている人である事が分かった。
 『まんがはじめて物語』ほど真面目でなく、大人向きで自分の書きたいものを書ける世界を持っている人だったのである。
 『魔法のプリンセス ミンキーモモ』を書けるかどうか全く未知数だったが……書きたいものを書ける人という理由だけで、まずこの人に『ミンキーモモ』を書いてもらう事にした。
 もう1人、筒井ともみさんもよく知っていたが、この方は、アニメよりも大人の実写TV方面を書きたがっていて、最初は、『ミンキーモモ』を書きたいそぶりは、まるでなかった。
 「私の代わりと言っちゃなんだけど……」と言って名前が出てきたのが、土屋斗紀雄氏……当時「太陽にほえろ」という、いまや伝説的ともなった長寿刑事ドラマを1本だけ書いた事のある新人だった。 だが、僕が注目したのは「太陽にほえろ」よりも、氏の父上が、プロ野球の選手(今のヤクルト……昔は国鉄スワローズ)だったことだ。……それもただのプロ野球選手ではなく、最盛期の金田投手のボールを受けていたキャッチャーだった。
 当然、土屋斗紀雄氏は、父上とキャッチボールぐらいしたことはあるだろうし……ということは、キャッチボールはリズム感を必要とするから、プロの選手とキャッチボールをしていた人なら、それなりのリズム感を持っているだろうという、僕の強引な思い込みもあった。
 おまけに、僕の前に現れた土屋斗紀雄氏は、三宅イッセイデザインの服を着こなしている。
 男の脚本家でイッセイ三宅を着ている人など、今ですらどこにもいないだろう。
 後にこの人は、『みゆき』というアニメ作品のシリーズ構成をやったが、アニメキャラクターの服に、人間の現役服飾デザイナーをつけて監修させるという暴挙? というか偉業をやってのけた人である。
 つまり、人がどう思おうと、おしゃれに気をつかう男で、しかもリズム感があるとしたら……『魔法のプリンセス ミンキーモモ』が書けるかもしれない。
 現実はどうか知らないが、女の子にも詳しそうだ。
 しかも、のちに「スケバン刑事」を書き始めたころは、「自分の書いたものが首藤剛志を真似たとか、影響を受けたなんて事は、他人には絶対言わない……」と、僕自身に釘をさしてくるような人である。
 僕の真似とか影響なんて、どうでもいいことだが、それを僕本人に言ってくるとは、いい度胸をしている。
 図々しさとおしゃれとリズム感で合格である。
 ついでだが、「土屋斗紀雄氏が使いものにならなければ、責任とってくれよ」と、筒井ともみさんもずるずると『魔法のプリンセス ミンキーモモ』に巻き込んだ。
 筒井さんは、根っからの東京育ち……当時20代後半だと思うが、その時から死ぬまでの食事の回数を数え、不味い物は一生食べないという主義を持った食通で、事実、正月は友人知人を自宅に呼んでホームパーティを開き、自作の料理をご馳走してくれていた。
 余談だが、筒井さんの書いた小説「食べる女」は、今、映画が製作中だという。
 筒井さんは都会っ子で、アスファルトの地面でないと落ち着かない。
 「アスファルトの息づかいが、私には必要なの」という人で、子供の頃からバイオリンを習い、脚本で食べて行けない頃は、バイオリンで生計をたてていたという。
 もともと僕は『魔法のプリンセス ミンキーモモ』を書くにはぴったりの人だと思っていたのだ。
 土屋斗紀雄氏は、使い物になったが、「好きな事を書いてもいいのなら……」と、筒井さんも、観念して、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』を書くようになった。
 一石二鳥とは、この事である。
 ちょうどその頃、アニメ関係の雑誌のアルバイトで『戦国魔神ゴーショーグン』の取材に来ていた女の子から、友人の女性がアニメの脚本を書いているという話を聞いた。
 その女の子から、その女性脚本家の書いたシナリオを借りて読んだ。
 確か『花の子ルンルン』という脚本だったと思う。
 ストーリーは、どこにでもありそうな女の子向けの脚本だったが、その中に、強い芯のようなものがあるのを感じた。
 暇があれば書いてもらう事に決めて、その人の事を聞いたら上智大学のアニメ研究会のようなものの中心的人物の1人で、アニメの上映会なども企画した方だという。
 1人ぐらいアニメに詳しい人がいてもいいだろうという気もした。
 僕が子供の時住んだ事もある奈良の、お能の名門の血筋を引いている人だとも聞いた。
 能も、考えようによったら日本古来のミュージカルのようなものである。
 SFファンタジーも嫌いではないと聞いた。
 早速、お会いしてみると、蚊の鳴くような声で話す楚々とした女性だった。
 だが、どこかに芯の強そうなところがあって、なにより野球の阪神の熱狂的なファンだった。
 当時の阪神は負けっぱなしで、僕も含めて、阪神ファンはどこかもやもやと屈折したものが胸の中にあった。
 『魔法のプリンセス ミンキーモモ』は基本的に明るいアニメだが、どこか屈折した部分も必要である。
 この人は『魔法のプリンセス ミンキーモモ』が書ける……と確信した。
 その女性が、金春智子さんである。
 以後、金春さんと打ち合わせする時は、脚本の内容より、阪神の話題が確実に多くなった。
 これで、僕を含めてメインの5人がそろった。
 すんなりと決まったわけではない。そこまでに、いろいろな人に当たってみた上での選択だった。
 だが、まだ5人では足りない。
 週1回、放送される放送される番組で、1本につき順番に書いても脚本家にとっては5週に1本……約1ヶ月で1本のペースである。
 その人たちには当然、他の仕事も入ってくるだろう。
 『魔法のプリンセス ミンキーモモ』は1ヶ月1本では時間が足りない。もっと時間をかけてもらいたかった。
 そのためには5人では足りない。
 少なくとももう1人、メインが必要だ。
 その時浮かんだのが、『戦国魔神ゴーショーグン』の脚本を書いた事のある山崎昌三氏である。
 本来の仕事はフィルム編集である。
 編集は、様々な作品のエピソードと出会う仕事でもある。
 『魔法のプリンセス ミンキーモモ』を身近に見る事のできる人でもある。
 僕は、もう1人の脚本家を山崎氏にお願いする事にした。
 山崎氏は、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』では山崎昌三と谷本敬次の二つの名前を使い、その後、完全に脚本家になった時には武上純希という名を使うようになった。
 これで6人……まだ脚本の数が足りているとは思えなかった。
 7人目は、複数の脚本家が、2本ぐらいずつ、時間をかけて書いていただく事にした。
 渡邊由自氏、鷺山京子氏、安斉あゆ子氏、佐藤茂氏のみなさんである。
 『戦国魔神ゴーショーグン』を1本書いた湯山邦彦氏という脚本家もいたが、「空モモ」では総監督、演出、絵コンテに専念している。
 これで、7人のシナリオライターがそろったが、シリーズ構成として僕にはやる事が残っていた。
 まず、僕がOKした脚本は、演出や製作関係者が何と言おうと、脚本家に直させない事……つまり、僕が了解した脚本は、そこで脚本家の役目は終わりにするということだ。
 つまり、脚本面は、すべて僕に任せてもらう。
 どうしても直しが必要ならば、それは、僕がする。
 脚本家とスタッフが打ち合わせをすると、たった1回か2回読んだだけのスタッフが思いついただけの意見が飛び交い、さらに、力関係の強いプロデューサーの意見が通ったりして、たとえそれがよい意見だとしても脚本家は混乱するばかり……本読みと呼ばれるこの種の会議で、脚本がよくなった例は、ほとんどないといっていい。
 結果、だいたい脚本家が妥協して、脚本のパワーが落ちてくる。
 直しを前提にして、脚本を書いてくる人も出てくる。
 僕はそうはしたくなかった。
 だから、最初の顔合わせ以外は、できるだけ僕と脚本家の間だけで打ち合わせをすることにしていた。
 さらに問題なのは、ギャラだった。
 アニメ脚本のギャラは実写に比べて安い。
 それは、今もそうだが、アニメ脚本家のやる気を削ぐ傾向がある。
 その頃いつも引き合いに出されるのが、当時アニメのトップ脚本家だった方のギャラだった。
 その方は、30分の脚本を3時間で書いてしまうという噂まである方だった。
 「その人のギャラがこれぐらいしかないんだから、君たちはこれでいいだろう」
 それが、制作側のギャラ交渉法だった。
 僕は、その方と同額か、それ以上を要求した。
 「その人の書く脚本より、面白ければいいんでしょう?」
 「その方が3時間かけて1本書くなら、僕らは1ヶ月かけても、その方より面白い本を約束します」
 はったりに近いが、本気でもあった。
 制作側は了承し、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の脚本家達は、当時のアニメで最高のギャラをもらえる事になった。
 当然、僕は脚本家の人たちに言った。
 「あなたの脚本はアニメで最高のギャラだ。それに見合った脚本じゃなければ困るんだ」
 さらに、実写とのギャラの格差について、
 「この作品は海外に出て行く。その著作権で入ってくる金額を足せば、必ず、実写のギャラ以上はもらえることになるはずだ。『魔法のプリンセス ミンキーモモ』にはそれだけの力がある」
 そう、僕は約束した。
 だが、後で僕は青ざめた。
 当時は、海外の著作権まで、今、脚本家連盟と呼ばれる組合は、把握していなかったのである。
 海外の儲けは製作会社に入り、脚本家には還元されなかった。
 しかし音楽の著作権団体ジャスラックは強く、海外の版権を音楽家には還元していた。
 だから『魔法のプリンセス ミンキーモモ』は、世界で一番売れた日本の音楽であるジャスラックの国際賞をとっている。
 国際賞は例年アニメが取っているのが、今は常識である。
 日本語の主題曲が、外国で売れるわけがないから、売れたとしたらBGM(アニメのバックに流れる曲)のはずである……ということは、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の作品自体が売れているという事になる。
 だが、脚本家にはもちろん、演出家にも何も還元されない。
 その時は、正直、途方にくれた。
 しかし、その後、ビデオやレーザーディスク、DVDの普及など、日本国内の2次使用で、なんとか脚本家に著作権料が還元されるようになった。
 『魔法のプリンセス ミンキーモモ』が、生まれて4分の1世紀……脚本家に入った著作権料を足せば、当時の実写のギャラをとっくに追い越しているはずである。
 だが、いまだに外国からの著作権収入は、ない。
 僕は、シリーズ構成の立場として没にした脚本にも、シリーズ構成の収入からキャンセル代を払っていたから、シリーズ構成としては(僕は個人的に、原作または原案シリーズ構成の著作権をわずかだが取っていた……こんな例は珍しいと後で聞いた)長い間赤字だったが、やっと黒字になったのは、10年ぐらい前の事である。
 とにもかくにも『魔法のプリンセス ミンキーモモ』を書く脚本家は集まった。
 ただ、当時は、ほとんどアニメには慣れていない、脚本自体にすら慣れていない新人と言っていい人ばかりだった。
 そのくせ、ギャラはアニメ業界で最高に近い額をとる、サムライぞろいだった。
 だが、このメンバーのほとんどが、今もアニメや実写の世界で活躍している事実は、それだけ粒ぞろいだったといえるのかもしれない。
 で……いよいよ『魔法のプリンセス ミンキーモモ』第1作目の完成が迫ってきた。

     *     *     *

 前回のコラムで、ミンキーモモとお供の3匹の人形は発売されなかったようだという主旨の文を書きましたが、しっかり売れ出されていて、今も持っているという方達から連絡がありました。
 不明をおわびし訂正するとともに、脚本家の僕が知らなくても当然だな……という気もしました。
 グッズについて書く時は、できるだけ確認し注意するようにします。
 『ミンキーモモ』に関しては強い味方になってくれそうな方達がいますが。これで、『ポケモン』グッズの事を書こうものならどういう事になるか、到底、僕の知る範囲ではなく、戦慄さえ覚えます。

   つづく


●昨日の私(近況報告というより、誰でもできる脚本家)

 ともかく、色々な人と出会う機会がきたら、見逃すなということだ。
 そのうちに、異性と出会う時が必ず来る。
 その時は、自分の趣味だけを話題にするのではなく、かといって相手の趣味につきあう事もない。自分の知らない事を話題にすると無理が生じ、疲れてしまう。
 むしろ、正直に、知らない事は知らないと言って、相手に教えを乞うような気持ちになろう。
 情報化時代も極端になった今、僕たちは、知らない事が多すぎる。
 趣味が散らばりすぎている。
 共通に知っている話をしよう。つまり、学校で誰もが習うだろう事がいい。
 例えば、音楽とか美術、芸術……それも誰もが知っているだろうものがいい。
 音楽を例に取れば、知っているだろうといって小学唱歌などは、間違っても話題にしないように……精神年齢を疑われる。
 誰もが知っているクラシックがいいだろう。
 コミックの「のだめカンタービレ」じゃあないけれど、今は、ちょっとしたクラシックブームである。
 たいていの人が、学校で習って聞き覚えている曲を話題にするのがいいかもしれない。
 ただし、昔の僕の例だが、こんなことがあった。
 ある女性に、「好きなクラシックは?」と聞いたら、「平凡だけど、メンコンとチャイコン」という答えが返ってきた。
 「ふーん」僕は焦った。メンコンとチャイコン? そんなクラシックは知らんぞ……。
 こんな時は、知ったかぶりは絶対いけない。
 「メンコンって何?」としっかり聞く。
 「あ、ごめん」そう言って、彼女は答えてくれた。「メンデルスゾーンバイオリン協奏曲(コンチェルト)」
 「じゃあチャイコンは?」
 「チャイコフスキーバイオリン協奏曲(コンチェルト)」
 「バイオリンかあ……おれ、ストラディバリしか知らないなあ」
 知っている限りのバイオリンの知識を動員する。
 ストラディバリはバイオリンの名器である。
 知っているのはそれだけである。
 しかし、メンコンもチャイコンも知らなくても「おれ、バイオリンの事、よく知らないんだけど……」とかなんとか正直に言って、会話をバイオリンについて知っている限りの事を話題にする。
 それで、あなたの誠意は十分伝わる。
 そして、彼女と別れたら、一目散にレコード屋に走る。今ならCDの――僕らの時代はLPレコードである――メンコンとチャイコンの一番有名な演奏者のを店員に訊いて買う。
 間違っても、今売れている演奏者ではなく、有名な演奏者のものがいい。今なら、アイザック・スターンかなあ……それは店員に任せればいい。
 メンデルスゾーンバイオリン協奏曲ホ単調……チャイコフスキーバイオリン協奏曲ニ単調……どっちがホかニか、そんな事は構わない。今、書いている僕だって、どっちが、ホかニか、度忘れしている。
 うまく行けば、カップリングのCDがあるかも知れないし、なければ、2枚買う。
 思い起こせば、僕が小遣いで買ったはじめてのLPレコードだった。
 家に帰って聞く。聞けば誰もが知っている曲である。学校で、街で、よく聞く曲である。
 「なあんだこの曲かあ」という事になる。
 カップリングでなく2枚買った場合は、他の曲も覚えておく。
 今度、彼女と会う時は、そのレコードなりCDを持って行く。
 「これが、一番有名な演奏者のメンデルスゾーンだってさ」
 決して、ここで、彼女が言っていたメンコンなんて略語は使わない事……初心者であるあなたが、背伸びをしているように見える。
 彼女がそのレコードなりCDをすでに持っていれば、それはそれで会話になるし、持っていなければ、演奏者によってイメージが少し変わるから、アイザック・スターンの演奏と、彼女の持っている演奏者のメンデルスゾーンの違いを教えてくれと言って、CDなりレコードを貸してあげよう。
 今時、レコードはないからCDか……ただしipodなんかにダウンロードしたようなものは駄目……イヤホーンが気持ち悪がられる。
 ともかく、ここまでくれば、2人は、お友達である。
 別の例を話そう。
 僕が30代後半に入院した時の事である。
 たまたま、入院前に、『銀河英雄伝説』の劇場版を書いて、戦闘シーンにラヴェルの「ボレロ」を使う事を、若い看護婦さんに話した。
 若い看護婦さんは「ラヴェルは『パバーヌ』が好きです」と答えた。
 「パバーヌって何?」
 僕は知ったかぶりはしない。
 「『亡き王女のパバーヌ』です」
 さっそく僕は電話で家に電話し、ラヴェルの「亡き王女のパバーヌ」を買ってもらい、病院に送ってもらった。
 聞いたら、よく知っている曲である。「なあんだこの曲かあ」である。
 クラシックは、名前は忘れているが、よく知っている曲が多い。
 ポピュラーに編曲されたり、歌詞がついて有名な歌手に歌われる事も多い。
 あとは、メンコンやチャイコンと同じやり方で、患者と看護婦さんは、お友達になる。
 医療関係の事など、退院後もずいぶん教えてもらった。
 絵画や彫刻も、有名どころは、誰もが学校で習って、共通の話題になりやすい。
 『ガンダム』や『エヴァ』を話題にするより、ずーっと確率は高い。
 さて、問題は、友達になった後の事である。
 断っておくが、ここは「異性との付き合い方」ではなく「誰もができる脚本家」のコラムである。
 くどいようだが、映画は観ていますよね……。

   つづく
 

■第49回へ続く

(06.05.10)

 
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編集・著作:スタジオ雄  協力: スタイル
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