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アニメの作画を語ろう
シナリオえーだば創作術――だれでもできる脚本家[首藤剛志]

第164回 ポケモン事件 NHKの事件発覚まで

 「出る杭は打たれる」というが、日本の場合、「出る杭が上手くいっているうちは持ち上げられるが、失敗するとぼこぼこに叩かれる」というのが、今も通用しているらしい。
 サラリーマンの場合、今の日本はめちゃくちゃになりつつあるが、かつて終身雇用制が常識で、その人の人生は、勤めている会社で決まる。
 社員間には家族意識のようなものが生まれるし、その人の人生は、勤めている会社の浮沈で左右される。
 したがって、会社のために社員は頑張るし、愛社精神なんて言葉も生まれてくる。
 そんな、社員達が集まったそれぞれの会社のがんばりが、戦後の日本の驚異的な経済復興の一因になったと指摘した人もいる。
 そして、人の価値はその会社内の出世で決められる場合が多い。
 出世は、その会社に対する貢献度がものをいう。
 もっとも、会社の起業者の血縁関係を重要ポストにすえる会社もあって、そんな会社は、2代目3代目になると、その血縁者が先代をしのぐような優秀な能力の人でないと、会社自体もおかしくなる。
 それは会社だけではない、国の政治家も2代目3代目の世襲制が多い日本は、なんだか変ちくりんな国になりつつある気がする。
 もちろん、先見の明のある企業家は、次世代の会社を発展させるために、身内優先よりも、会社への貢献度のある人に会社の将来を託そうとする。
 つまり、会社への貢献度によって、その会社のトップないしは重要役職に就ける可能性が社員にも開かれたのである。
 だからといって、だれでもとびぬけた出世ができるわけではない。
 誰もが会社へ貢献できるずば抜けた能力があるわけでもなく、普通は年功序列である。
 部下は上司にしたがわなければならい。
 で、夜の安酒場は、耳を澄ませば、その場にいない上役への不満や、自分たちの存在が会社に認められない鬱屈が渦巻く。
 たまたま会社に貢献度のある手柄を立てた人に対しては、「あいつはたいした奴だ」というほめ言葉はほとんど出ない。
 「運が良かった」「うまく立ち回ったな」……である。
 しかし、本人の前では、口には出さない。
 その人の会社への貢献度は認めざるを得ないし、それによって会社が繁栄すれば、その会社に勤める人にとっても悪いことではない。
 むしろ、貢献度のあった人は出世するだろうから、とりあえずその人を持ち上げておいたほうが得である。
 けれど、そんな手柄(?)を立てた人を本音でよく思っている人は少ない。
 それが他の会社の人なら、「あの人凄いね。俺も俺の会社のために頑張ろう」になるかもしれないのだが、同じ会社だとライバルに先を越されたような、もやもやも残る。
 だが、本当に大変なのは手柄(?)を立てた本人である。
 会社組織の中で、手柄(?)を立てたのは、実は本人の力だけではない場合が多い。
 自分の手柄(?)を面白く思っていない人たちも、知らず知らずのうちに手柄(?)の一役を担っている場合があるのだ。
 だから、大切なのは、そんな人たちに好感を持ってもらい、今後いかにうまく自分のために動いてもらうかである。
 つまり、本心は自分の手柄(?)と思っていても、人には「これは僕の力じゃありません。みなさんのお力のおかげです」と感謝の意を、嘘でもいいから露骨なぐらい見せておくほうが無難である。
 「自分の手柄(?)」を人に誇示すると、意外と身近の人間に敵を作りやすい。
 こんなことを教えてくれる「人を動かす」「リーダーになる資格」的な人心掌握術のビジネス書は、本屋に行けば山のように出ている。
 もっとも、終身雇用どころか、将来があてにならず、一つの会社で一生を過ごすようなことが難しくなりそうな今の時代、目先で生きていくことが大切になり、人を動かそうにも動こうとしない人が増え、「リーダー」になろうにもついてくる人がいないかもしれない。
 そうなれば、人の気持ちなど考えず、自分のやりたいこと、自分の成功だけを考えればいい時代になるかもしれない
 ところで、いい人ばかり演じていても、思い切った手柄(?)は立てられない。
 僕の知っている人に、そこらの会社とは桁違いに大きな組織のリーダーだった人がいる。
 瞬間湯沸かし器というあだ名らしく、相手が間違いだと思うと烈火のごとく怒る。
 交渉相手のトップの会議室のテーブルを叩き壊したという伝説がある。
 その人が僕にふと言ったことがある。
 「相手が間違っていると思えば徹底的に怒れ。ただし、そのあとでいいから、どんな小さいことでもいい、その相手のいいところを見つけて、心をこめて三回褒めろ」
 で、僕が気がついたら、その人はある組織のトップになっていて、その奥さんが珍しくいい着物を着ていたので、「どこ行くの?」と聞いたら、「お父さん(つまり夫)と、これから園遊会」だと気楽そうに言っていた。
 余談だが、僕は組織というものに所属するのが苦手というか、経験もろくにない。
 怒りっぽいのは彼と同じだが、彼が人に対して意識もせず平然とやっている相手への心づかいなど面倒である。
 だから、僕のことを怒っている人も多いと思う。
 だが、僕は怒ったことを忘れるのも早い。
 個人に対して怒ったり、恨んだりしたことはない。
 ただし、脚本ぶくみのことになると、ぼろくそに言ってしまうことがあるらしい。
 ある編集関係の人から言われたことがある。
 その人は、昔、僕が脚本のことであるプロデューサーともめたことを知っていて、僕が「死んでもあいつとは付き合わない」と言ったと覚えていたらしい。
 そのプロデューサーは、その作品にやたらと熱心で、自分の主張をまげない。彼の主張を理解できないわけではないが、僕も僕の主張をまげない。
 で、病気を理由に、僕は作品を序盤で降りた。
 このことは、他の方面でも有名だったらしい。
 確かにその時、僕は怒っていたのだろう。
 それから、20年ほどして、そのプロデューサーから連絡がきた。
 趣旨は「新しいアニメ企画の相談に乗ってくれ」だった。
 会って話を聞いたら、あまりに有名な中国大長編古典で、すでに何人もの著名な方がそれぞれの解釈で小説化していたものだった。
 いろいろな解釈で映画化され、中国、日本の両国でドラマ化もマンガ化もされていた。
 ともかく原作らしきものの話が長い、登場人物も山ほどいる。
 まともに付き合ったら一生かかりそうだった、
 それでも、いままでにない新しい解釈の仕方はすぐ見つかったので、その解釈の方法をメールで送った。
 で、それを知った編集関係の人が、
 「あんなにあのプロデューサーとケンカしていたのに付き合っているんですか?」
 言われてみればそうである。
 ただ、怒ったネタが昔の脚本のことで、プロデューサー本人を嫌っていたわけではないので、その時の怒りを忘れていたのだ。
 とくに最近は、昔のことより、人生の折り返し点をとっくに過ぎて明らかに短い余生(?)で何をやるかのほうが気になる。
 だから、『ポケモン』について書くのは何となく憂鬱なのだが、起きてしまったことは、僕なりの視点からだとしても書いておかないと、風化してしまうから続ける。
 つまり、大きな組織の中で、個人が目立って成功を誇示すると、評価はされるが、口に出ない反感も大きいのである。
 困ったことに、それが日本では普通のことなのかもしれない。

 さらに、おそらく本人も気はつかない出版内部からも、批判の声が出かけていた。
 出版社には色々な特徴がある。
 御前様と呼ばれる人の所属する出版社は、もとはと言えば、教育関係や辞書や図鑑……つまり、一般的に良質と呼ばれる本を出版することで有名な出版社だった。
 とくに、子供に読ませる学習本には、絶対的な信用があった。
 だから、社名の中に「学」という名前が入っている。
 だが、時代の要求で、一般向けの娯楽本も出版する必要が出てきた。
 しかし、この出版社には「学」へのこだわりがあった。
 そこで、僕が生まれてもいない大昔に、この出版社から一般向けの娯楽本を出すために、別の名前の出版社が生まれた。
 今は出版する本の性格の区別があいまいだが、S学館とS英社は、もとは同じ会社で、学問的で良質な本はS学館、娯楽、エンターテインメント的な本はS英社という性格分けがされていたのである。
 今、この出版社の出す本や雑誌の性格の違いを、人はさして気にしてはいないだろうが、いまだにイメージとしての違いを気にする人はいる。
 つまり、良質な雰囲気はS学館で、大衆向きの雰囲気がS英社なのである。
 同じマンガ週刊誌でも、○○サンデーと○○ジャンプでは、なんとなく感じが違うのである。
 だか、そもそも本が売れなければ、出版社はなりたたない。
 次第に、両者の出版物の区別は接近してきているのが現状だろう。
 今、入社してくる社員は、両社の区別はさほど気にしていないのかもしれない。
 それでも、僕が子供のころは、S学館とS英社の違いはあったようである。
 実は、僕の叔母と義理の叔父は、S学館に勤めていて雑誌の編集をしていた。
 僕が中学生のころである。
 今は退職している。
 だが、義理の叔父や叔母のいたころのS学館の雑誌は、娯楽性はあっても、それだけではなく、子供にとって良質なものを読ませようとする意識のようなものはあったようだ。
 S学館の本を作っているということは、岩波書店の本ほどインテリ向けの硬い本ではなくても、一般にとって良質な本を作っているというステイタスのようなものがあったようだ。
 しかし、時代は変わった。
 本が売れない時代になった。
 売れているのは、コミックとほんのわずかの限られたベストセラーだけである。
 そういう時代にしてしまった責任は出版社自体にもあるだろうが、ともかく出版界は、大不況の時代である。
 S学館も、「学」の字を気にしていられる時代ではなくなった。
 その中で、子供向けに様々な工夫、マルチメディアをフル活用した雑誌が生まれた。
 S学館にとっては、救世主のような子供雑誌だったかもしれない。
 だが、その雑誌が子供にとって良質かどうかは疑問である。
 子供受けを狙いすぎた内容は、しばしば、子供の親や世間から非難を浴びた。
 しかし、雑誌自体は売り上げをのばしていた。
 なんといわれようと、子供の受けを狙った編集部の努力は充分に評価されていいものだと思う。
 けれど、良質な本を作りたくてS学館にいる人たちもいる。
 「S学館は、子供のためになる本は作っても、子供受けだけ狙う出版社ではないはずだ。それが、現実は……」
 「うちの会社は、良質の本を作っている会社じゃない。子供受けで、それも売れるためならなんでもする雑誌でたべさせてもらっているようなもんさ」
 自嘲的なぼやきもあったようである。
 しかし、その雑誌がS学館をある意味支えていることも確かだった。
 御前様が、その雑誌を作ったわけではないにしろ、『ポケモン』人気を盛り上げ、その雑誌をS学館にとってなくてはならないものにしたことは確かだった。
 そこに、ポケモン事件が起こった。
 S学館にとっては。社名の「学」の字が吹っ飛ぶような事件だった。
 S学館は、大出版社である。
 ポケモン事件で、会社の経営が影響を受けるような小さな出版社ではない。
 それでも、会社のイメージに傷がつくことは確かだ。
 なにしろ、社名に「学」がついている会社なのだ。
 「あんな雑誌を作って……」「だから言わんこっちゃない」「俺たちがこつこつ作っていた良書のイメージがダウンする」
 それまで、黙っていた社内内部の声が、わきあがっても不思議はない。
 その攻撃を受けとめなければならない位置に、御前様がいた。
 だが、そんな御前様の窮地は、幸い長くは続かなかった。
 同じ事件が、ポケモン事件以前に他のアニメでも起こっていたことがわかったからだ。
 被害の規模は小さかったが、その事件が起こったのが、NHK……つまり、国民から受信料を取っている放送局で起こっていたことが大きかった。
 しかも、NHKは、その事件を隠していた。
 ポケモン事件は、もはや、『ポケモン』アニメだけの特殊な事件ではなくなった。

   つづく


●昨日の私(近況報告というより誰でもできる脚本家)

 正直『うる星やつら』映画版2作目について書くのは、僕にとっては、遠い昔のことだし、実際、映像にもなっていないプロットを書いただけのことなので、どうでもいいといえばどうでもいいことである。
 いまさら当時をほじくっても、何の意味もない気がする。
 早い話が、監督が、映画の1作目が自分にとって不本意だとか、2作目が、本当の意味での自分の1作目だとか言いだすからややこしくなるので、監督・脚色として、1作目にタイトルされているし、脚本家の著作権がきっちり確立されていない当時に、1作目の脚色著作権も、脚本より先にいち早く取っているのだから、1作目が自分の監督作品だと認めて、2作目は他の人の脚本ではやりたくないとさっさと表明すれば、制作側の判断も早く出て、2作目の監督が誰になるかも決まり、脚本を誰が書くかも早く決まっただろう。
 そこを、どういうつもりかぐずついたから、書かないでもいいプロットを僕が書くことになってしまった。
 監督としては、どうしても2作目を、自分の思い通りの、実質的な監督1作目にしたいのだろうが、そうすると、いろいろ事実に対する脚色が出てくる。
 このままだと、監督の思い込み(?)で語ったことや書いたことが、事実として記録に残ってしまう。
 しかし、この作品の監督が語っているこの映画ができ上がった過程は、脚本家側から思い出すと若干違っている。
 この映画の中心に関わっていたプロデューサー落合茂一さんは、今はもうお亡くなりになっているので、こちらの書いていることも正しいと言いきることはできない。
 中心になって動いている人が、脚本家と監督に言っていることが同じかどうか、今は、確かめようがないからだ。
 『ポケモン』については、関わった方たちの名前を表記していない……もっとも、業界人やアニメマニアには、名前を出さなくても見当がつくから意味がないとも言われたこともあるが……こちらは、『ポケモン』について書いているものとは別と考えている。
 『うる星やつら』映画版2作目の話が僕のところにきたのは、キティフィルムの落合茂一さんからだと思う。
 ただ、その時、僕がシリーズ構成で抱えていた番組は『さすがの猿飛』で、原作マンガを掲載していた雑誌編集長は、『うる星やつら』を載せていた少年サンデーの編集長、田中氏。
 TV局のプロデューサーは『うる星やつら』を同時に担当もしていた岡氏。
 キティフィルムは、のちに、僕の『街角のメルヘン』を制作することになる。
 原作は読んだことがあるが、映像版については見たことがないというと、1作目の映画のビデオを渡され、「こんな風に作ってください」と言われた。
 監督の名前は当時知らなかったが、脚本の名前は知りすぎるほど知っていた。金春智子さんだった。

   つづく
 


■第165回へ続く

(08.11.19)

 
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