β運動の岸辺で[片渕須直]

第133回 SF論的『アリーテ姫』、臨床心理学的『アリーテ姫』

 1992年に出発した『アリーテ姫』は、2000年も終わりの方に来て、とうとう完成を見るに至った。この映画の完成年度を「2001年」とする記事を目にすることもあるのだが、ほんとうは20世紀最後の年に完成している。
 最初のお披露目は、今はなくなってしまった渋谷の映画館、渋谷パンテオンで開催された「東京国際ファンタスティック映画祭2000」(東京国際映画祭の協賛企画)で、(今、日付を調べてみると)11月2日24時からの上映だった。『マイマイ新子と千年の魔法』であれほど繰り返すことになる自分の舞台挨拶歴の最初もこの夜だったことになる。
 本格的な公開はこの時点では未定。2001年7月21日の恵比寿、池袋を待つことになってしまうのだが、映画を作り上げるまでが自分の仕事だとするならば、『アリーテ姫』に関しては20世紀中にそれは終わったはずだった。

 ひとつだけ、仕事が残っていた。
 ポスターを作らなければならない。
 「だいたいこういう感じ」
 というデザイン案は自分で描いた。
 それを尾崎君や浦谷さんに絵にしてもらおうと思うのだが、なかなかうまくいかない。ラフで描いたときに、裸足の足を強調して大きく描いたりして、本編のキャラクター描写のレベルにそれを持ち込むには無理があったのだった。
 「だから、わたしは最初っからこのラフのままでいいっていったじゃないの」
 と、田中栄子プロデューサーがいった。栄子さんはたしかに、監督の描いたラフを最初に手に取ったとき、「このままポスターに刷ればいい」といっていた。
 結局、ラフのままポスターにすることになった。以来、その絵は、DVDのジャケットになってもなお、ずっと使われ続けている。

 とにかく映画を売り出さなくちゃ、と栄子さんは、ちょっと豪華なマスコミ配布用のプレスシートを作った。
 これはまた、本公開のときに、新たにプログラム(最近は映画パンフレットというようなのだが、自分は古い人間なので)を作るよりもこのまま使っちゃえ、と同じものが劇場で販売されることになった。映画のプログラムとしてはページ数が少なくって、ちょっと異質な感じのものになってしまった。
 このプログラムには後日再会することになる。2010年6月19日、『マイマイ新子と千年の魔法』のファンの方々が、渋谷・シアターTSUTAYA(この劇場もなくなってしまった)で『マイマイ新子』や『アリーテ姫』を含むオールナイト上映をしてくださったとき、思いがけなくもSF史家の永瀬唯さんが、2001年の公開時に買ったという『アリーテ姫』のプログラムを持ってきてくださった。

 SFということでは、氷川竜介さんがSFオンラインに書かれた『アリーテ姫』レビュー原稿への想いが深い。
 これは、インターネット上に原稿が残されていて、今も読むことができる。
http://hikawa.cocolog-nifty.com/hyoron/2006/11/post_69b8.html
 この文章の上で、氷川さんは『アリーテ姫』のことを「SF」として認めてくださっている。
「『充分進んだ科学は魔法と見分けがつかない』とはSF作家クラークの発言だ」「片渕監督は、本作品をアニメ化するときに、やはりこの言葉を意識したという」
「変身の魔法は遺伝子操作によるもので、水晶球にはプログラムが仕掛けられ、地表に降る星はかつて人が宇宙に暮らしたあかし……だが、おとぎ話のアイテムをSFギミックに置き換えたことが重要なのではない。これは『SF的方法論によるスペキュレイティヴな作品ですよ』というサインなのだ」
 こうしたことは、マスコミ試写でこの映画を観て、取材に来られた氷川さんに自分が話したことを、シンクロする部分大なままに受け止めていただいていたのだと思う。

 氷川竜介さんからはこんな印象的な言葉もうかがった。
 「この映画をもう何ヵ月か前に観られていたら、もっと気が楽でいられたのに!」
 押しも押されぬアニメーションの紹介者の重鎮である氷川さんだが、この数ヶ月前までは、一般企業の社員として、兼業で執筆活動をされていたとのことだった。身分の保証されたポジションに住まい続けるか、すべてが自らの裁量の上だけに成り立つ世界に飛び出るか。氷川さんとしても相当に考え抜かれた末の決断として、フリーライターへの道を歩まれたのだったろうが、『アリーテ姫』はそんなときの心理に「効果」があってしまうようなのだった。
 ずっとのちに、大学の先輩でもある横田正夫教授(日本アニメーション学会会長、心理学)からも、『アリーテ姫』は同じような評価をいただくことになる。
 横田さんからは「中年期危機」といわれることになった『アリーテ姫』なのだが、この映画は自分にとって「危機脱出」の手段となってくれたようだった。それにも増して、観客の側にも同じような「効能」を感じてくださった方々があったのだとすれば、これは救いという以外何ものでもない。

第134回へつづく

●『マイマイ新子と千年の魔法』公式サイト
http://www.mai-mai.jp

(12.07.02)