β運動の岸辺で[片渕須直]

第82回 脚本なんていつから書き始めればよいのやら

 先週からの進展。
 ロケハンから帰ってきたのが夜中遅く、もうすぐ明け方も近い時刻だったのだが、金曜日の朝はちゃんと起きた。原作出版社に契約の話に行かなくてはならない。
 週明けには、映画作りに取り掛かるための準備室を開設しなければならないのだが、荷造りが途中になったままなので、合間を見つけて、とにかく一切合財をダンボールに詰め込んでしまいたい。荷物の大部分は「本」なのだが、相当量ある新作用のものの箱詰めはほとんど終わっている。けれど、このほかに『マイマイ新子』『BLACK LAGOON』さらには中断中の別企画の資料本などもあって、こうしたものも自宅にもって帰るわけにもいかないので(自宅にはもう入らない)、これらもいっしょにもってゆくためにダンボールに詰めなければならない。絵コンテの原版だとか、『マイマイ新子』でいえば内外各所で上映してきたその資料だとかもあって、そういうものは事情を知っている者が管理していない限りとたんにゴミ扱いされてしかねないので、全部を箱に詰めてしまう。
 土日は休んでも構わないと思われたので、家族と犬といっしょに、犬連れでも泊まれるというコテージに車で出かける。昨日、長距離を車で帰ってきたばかりなのに、また片道250キロばかりの道のりになってしまう。
 月曜日は大学で授業。これが、午前中は練馬区の校舎、午後は所沢校舎なので、またしても高速道路を行ったり来たり走り回ることになる。終わるともう午後6時だ。明日の引越しのために、台車をひとつ買って車に載せて帰る。
 火曜日。新準備室への引越しの予定日だったのだが、雨。さらに、手伝いの人的手配と、レンタ・トラックの都合もあるので、明日に延ばそうという話になっている。
 水曜日。床にカーペットを敷かなければならない部屋が2室あるのだが、カーペットはまだ買っていない。近所の家具屋に行ってみたが、ぺらぺらなものしか売っていない。別の店を回りたかったのだが、引越し作業開始時刻が迫っている。
 午後2時、2トン車1台と、自分のミニバンの後部座席をたたんだところに、荷物を詰め込み始める。載せるだけで1時間かかる。移動開始。
 引越し先が少し高い階なので、運び上げるのにちょっと苦労する。とはいえ、全部を運び込み終わって解散したのが午後5時だったので、それなりにスピーディにいった気もする。帰り道、もうちょっと別の家具屋に寄って、それほど値が張らないのにちゃんと厚みのあるカーペットを見つけ、6畳間用2本を車に載せて帰る。
 木曜日。動画机の組立。カーペットを敷いた上にそれらを据えて、配置の様子を見る。天井までの突っ張り棒を立てて、それを柱にコルクボードを渡して、今後の生産物を張り巡らすべき場所を作る。この部屋には元々作りつけの棚があって、飾り棚なんかにも使えそうな上品な棚なのだが、ここにはこれから仕事で使う資料の本を並べてしまう。まだ足らないのは、電話、コピー機、インターネット環境、LANなのだが、それらが整い始めるのは来週以降になる。帰りにまた寄り道して、掃除機だけ買って帰る。
 金曜日。朝からそろそろ仕事に取り掛かろうかという気分になっている。なのだが、どうも昨日までに棚に並べた本の中に見当たらないものがある。これが万札何枚かぶっ飛ばして買った存在感のある本だったりしたもので、不在に気がついてしまったのだった。当面は物置みたいになっているほかのダンボール箱でいっぱいになっている部屋をひっくり返してみると、ダンボールの山の下のほうから3箱くらい必要資料が出てきた。そうこうするうちに午前中が終わってしまう。こうクタクタ感があるとうまく頭を回り始めさせようという気になりにくい。
 午後、コルクボードの上に映画冒頭部の展開を組み立て始めてみる。小さく切った紙にシーンの内容を書いては押しピンでとめていって様子を見る。こういうやり方はだいぶ前からやっている。何か思いついたら、順番を貼り替えたり、新しい要素を貼り足したりしてゆく。
 ふと気がつくと、スタッフへの説明のためにこういうことを今回もやってしまっているのだが、実のところ、構成はもう自分の頭の中にできていて、あとしなければならないのは、それらを映画的な時間の上に詰め込めるのかどうかという現実的な「表現」の問題だけになっているのだった。思えば、壁面一面に詰め込んだ本の類も、自分自身にはすでに未知のものではなくなってしまっていた。
 この原作を映像にしたいと企図し、プロデューサーにぶつけ、原作出版社にお願いに上がって内諾を得て、資料を調べはじめたのは昨年の7月とか8月の頃のことで、以来もう1年間の4分の3という時間が流れている。
 その間、描くべき時代は自分にとってそれほど目新しいものではなかったのだけれど、いろいろひもとくうちにいくつかちょっと面白い見解を得てしまったりもしていた。
 舞台となる土地はまったく未知の場所で、はじめはたじろいだりもしたのだが、いつの間にかいきなりそこに投げ出されてもちゃんと任意の場所まで辿り着けるくらいには土地鑑ができている。2度目のロケハンの前には、たまたまその土地の出身である先輩が近くにいたので、いろいろ喋ってみたのだが、自分が蓄えてしまった土地鑑は、「どこの角に“その頃には”何屋があった」だとか、そういう偏ったものなのだと思い知らされつつも、基本的な地理については「見てきたように」話を合わせることができていたように思う。
 実際ロケハンで現地に立つと、ここではこんな音が聞こえ、ついでこんなものが見えてくるのだ、と具体的な演出プランのディテールについて実地検証をしてしまっていたり。
 これ以上、何をすればよいというのだろうか。

 映画作りで一番楽しくのんきに過ごしていられるのは、準備期間に調べものをしている時期だと思っていた。長く苦しくこれまで続けてきた仕事が終わったら、しばらくはそうした悠長さに身を浸せるのではないかと思ってきた。しかし、そうした時期を通り過ぎてしまっていたことに、この金曜日の午後、唐突に気づかされてしまったのだった。「メイキングオブ マイマイ新子と千年の魔法」という本に、「シナリオを書き始めた監督にはもう話しかけられないから」などというスタッフインタビューが載っていたりしてしまうのだが、いきなりそんな穴倉にこもるみたいな生活に追いこめられてしまったのだろうか、自分は。

第83回へつづく

●『マイマイ新子と千年の魔法』公式サイト
http://www.mai-mai.jp

(11.05.30)