β運動の岸辺で[片渕須直]

第44回 ちょっとだけ考えるようになった

 テレコムを出て初めて手がけた演出の仕事が『ワンダービートS』の23話だったわけだが、ここは手を抜くまいと思って臨んだ。申し訳ないのだが、絵コンテ修正の権限も与えられていたので、調子に乗って絵コンテを修正しまくった。レイアウトも自分で修正しまくった。この回はアクション回だった。できるだけテンポ転がる話運びにしたかった。今までみたいに作画枚数がかけらない、という意識もあった。なので、乱闘が始まる直前に停電にして真っ暗な中で効果音だけで暴れる、などという演出に走った。停電へ持ってゆくための段取りもそれなりに考えた。
 オールラッシュで「何秒以上黒味だと放送事故扱いにされる」と注意され、そこはそれ、またリカバーする道を案出して走った。
 そんな感じで色々と調子に乗りすぎた。おかげでこの回についてもらっていたベテランの作監に逃げられてしまった。

 見かねてこの回の作監に入ってくれたのが、社内作画班のチーフである小野隆哉さんだった。救われた。それどころか、後々になってまで、「あの仕事は面白かった」といってくれた。
 小野さんのような人がなぜアニメーションの仕事に携わるようになったのかよくわからない。小野さんは別にアニメ好きでもなければ、むしろ覚めた目で見ていたのではなかったか。小野さんはちゃんと映画を見て、本を読んでいる人だった。
 「俺はその友永さんたちと同い年なんですけどね、アニメはじめたの、遅かったし」
 という年長の兄貴でもあったが、こちらにはいちいち少なくとも語尾だけは敬語で接してくださった。
 この「ミクロの決死圏」みたいに縮小されて人間の体内に入り込む『ワンダービートS』にあって、小野さんの本来の主な仕事は、毎話に登場する体内の設定を作ることだった。スポーツマンの小野さんは、虫プロ野球部でも活躍していたが、頭にボールを受けるか何かして病院に行き、第四脳室がどうのと医者と話してきた、ともいっていた。
 「なんかついでに、俺の脳、スが入ってる、っていわれちゃいましたよ」

 こちらも作画枚数のことには今まで以上に神経を使うようになっていたので、原画の細かいところで、この表現は要るのものなか要らないのか、考えるようになっていた。
 例えば、短いワンアクションでキャラクターを動かすと、たいていの原画マンは動き終わったあとに髪の毛の動きの残しを入れてきていた。
 「これいるのかなあ」
 と、おそるおそるいうと、小野さんは言下に、
 「いらないと思いますよ」
 と、いきなり切り捨てた。
 別にアニメらしいアニメが好きでやってるわけじゃないんだし、たかがアニメならではでしかない記号的演技なんだったら、くっだらねえ、というのが小野さんの感じ方だったようだった。
 こういったところから自分の何かが始まっているような気がしている。
 根っから自分自身のものだったかのようにわりとナチュラルに大塚さん的な作画表現とともにやってきた今までの自分だったが、別の場所にたどり着いて最初に意識してしまったのが、いわゆるアニメ的な記号化された表現に直面していることだったわけであり、まあ、そこには内心の奥には何らかの葛藤はあったわけだ。たまたま、そこに小野さんのような方がいて、記号化にしがみつくなんてくっだらねえ、というスタンスをとってくれた。それで自分の道が見出せたような気がしたし、さらにいえば、その波紋はいまだに広がり続けているような気がしている。記号化されてしまったものにしがみつかないのなら、なおいっそう別の表現を考えなければならないわけだし。

 このあと、こちらはジブリに出向で出て『魔女の宅急便』に携わることになる。帰ってきたところをつかまえて、次に自分が作監をやる長編『うしろの正面だあれ』のレイアウト・チェックを片渕さんにやってもらいたい、といってくれたのが小野さんだった。
 虫プロは、実は長短編の劇場用映画も作り続けているプロダクションだった。ロー・バジェットのものが多かったがそれはそれ、長編というだけでやりがいはあった。
 この『うしろの正面だあれ』で自分が行った仕事がのちに、マッドハウスの丸山正雄さんに目を留めてもらえ、マッドに引っ張ってもらうことになるわけで、まったくもって小野さんには並大抵のお礼の言葉では済まない。

第45回へつづく

●『マイマイ新子と千年の魔法』公式サイト
http://www.mai-mai.jp

(10.08.16)