β運動の岸辺で[片渕須直]

第45回 桜の下で

 高橋留美子さんの「めぞん一刻」の最終回で、五代くんと響子さんは生まれたばかりの赤ん坊を連れて一刻館へ帰ってくる。1988年の4月、桜の舞い散る下であったはずだ。このマンガの舞台のモデルとなった東久留米から3駅離れた所沢で同じ年の桜の下、こちらも生まれて間もない赤ん坊を乳母車に乗せて、妻と3人でそぞろ歩いていた。川べりに咲く桜もうららかな日差しを受けていた。と、目の前からやってきた人から唐突に声をかけられたのだが、見れば久々にお目にかかる宮崎さんだった。仕事に出かける前に航空公園で花を見てきたのだという。
 「まだ寝返りも打てない虫ケラみたいな」
 などと我が家の赤ん坊のことを眺めながら、目を細めていた。

 このしばらく前に、うちは所沢近辺に越していたのだが、単純に交通の便でもってこの辺がいいか、と決めたものの、最初に不動産屋から紹介されたアパートは、あまりにも宮崎さんの自宅の目と鼻の先だった。『ナウシカ』『ラピュタ』と結果的にこちらから仕事を断わる羽目になってしまっていたので、ちょっと気まずくもあり、このアパートにはごめんなさいをいうことにして、もっと離れた場所に建つ貸家に決めることにした。ではあるが、やはり生活圏が重なるところがあって、この桜の日以降もけっこう何度もバッタリ顔をあわせてしまうことになる。

 当時、自分は仕事として何をやっていたのだろうか。
 手塚プロの『聖書物語』のコンテを手伝った記憶があるのがこの頃だったろうか。手塚治虫さんとは至近距離で同席したことがこれまでに何度もあったのだが(向こうはこちらのことなどまったく知らないわけなのだが)、この『聖書物語』の打ち合わせに現れた手塚さんはすっかり面変わりしていたのを思い出す。すでに癌と闘病しながらの時期だったのだ。
 虫プロでちばてつやさんの『のたり松太郎』のOVA化の仕事をしていたのもこの頃だったろうか。虫プロの社長でプロデューサーでもある伊藤さんは、「この仕事をきちんとやって、次は『紫電改のタカ』をやらせてもらおうな」といっていた。伊藤さんも飛行機マニアだった。
 『のたり松太郎』は本来は別の方がチーフ・ディレクターとして存在するのだが、なぜか虫プロのサイトでは自分の名前が監督として記されていて、恐れ入ってしまう。まあ、そういわれれば、絵コンテは1人でどんどん切り進めていたし、でき上がったコンテのチェックを受けた記憶もない。たしか7話ぐらいまでのコンテを1人でやったが、結局、演出は途中で投げ出してしまっている。スタジオジブリから仕事のオファーがあったからだ。

 発端は、アニメージュ編集部の鈴木敏夫副編集長から自宅にもらった1本の電話だった。話をしたいことがあるので、新宿の喫茶店まで出てきてもらえないでしょうか、とのことだった。たぶん、桜の下で宮崎さんと出会ってからそんなに経っていない頃だったと思う。
 「この喫茶店は、『ラピュタ』のシナリオを宮さんが書き上げたとき、それを読んで高畑さんと意見交換したところでしてねえ」
 と、鈴木さんは何か懐かしそうに店内を見回した。
 「実は今回、こういう原作が上がってて」
 取り出されたのは角野栄子『魔女の宅急便』だった。これを監督として映画にまとめられそうか検討して、可能と思ったらラフな粗筋を書いてほしい、といわれた。書くときの参考用にと、アニメージュ別冊ロマンアルバムに掲載されていた『天空の城ラピュタ』の宮崎さんの企画書のコピーをもらった。どうもその前に何人かの若い演出家で検討してみたこともあったらしく、誰々だったらこういうストーリーになってしまうんだろうなあ、などというようなことも聞かされた。要は、そうじゃないものを書いてきてね、ということのようだった。

 原作を読んで考えた。
 一人前の魔女になるための通過儀礼のため見知らぬ街に住み着いたキキは、途中では様々な出会いを伴ったエピソードを経験しもするだろうが、最終的には総体としての町の人々に受け入れられるような何かをするべきだと思った。
 舞台は海辺の街であるようだし、近くに船が難破し、取り残された人々を救助する話を、最後に付け加えるのはどうだろうと思った。当時、すでにワープロなんかを使うようになっていたので、それを使ってそんなストーリー案をタイプして、提出してみた。

 ここまでのやりとりは鈴木さんとだけで、しばらくして宮崎さんとこの件に関して初めて会うことになり、いきなりケチョンケチョンにいわれた。この企画は通過儀礼がすべてなのであり、アクションを伴う事件性は盛り込む必要がない、と。
 事実、このずっとあと、最終的に宮崎さんが書くことになったシナリオも、最後はキキが親切な老人との一件で一定の感慨を得るあたりで終わっていて、完成版には存在する飛行船の難破のシーンは入っていなかった。今回はプロデューサーに回るという宮崎さんのスタンスは、そんな感じのところにあった。すごく地味で実直なものを考えていたようだった。

第46回へつづく

●『マイマイ新子と千年の魔法』公式サイト
http://www.mai-mai.jp

(10.08.23)