β運動の岸辺で[片渕須直]

第1回 2歳7ヶ月の記憶

 見た記憶のある映画をさかのぼってみる。どんどんさかのぼってみる。
 自分の場合、まちがいなく『わんぱく王子の大蛇退治』にたどり着く。
 昭和38年4月封切。そのとき、自分は3歳に達していない。自分の人生全体の中でももっとも古い記憶といってよい。
 記憶はかなり鮮明に残っている。
 映画館は、同居していた母方の祖父が経営していた駅前の映画館だ。
 防音のために分厚くクッションが張られた扉を開けると、黒い暗幕がある。それをくぐらないと客席にたどり着けない。ほこり臭い暗幕のにおい。
 引率してくれた大人は、映画館主の家族であるのに上映プログラムをよく確かめなかったのか、どうせ年端もいかない子どもに見せるのだからそれで構わないと思ったのか、入場するといきなりクライマックスシーンが始まろうとしていた。
 アカハナが震えている。ギザギザの山の向こうから巨大な影が姿を現し、甕を薙ぎ倒す。タイタン坊が何かを放り上げる。すると飛ぶ馬に乗ったスサノオがそれを掴み、敵に向かう。クシナダが可憐な声で「スサノオ!」と見送る。
 今、同じ映画を見直しても、「ここから見始めた」という感覚がある。ヤマタノオロチの死骸が川となるラストも、光の中に現れる「おかあさま」も覚えていて、ああ、はじめから見たかったな、と自分はしょぼくれるのである。
 そんなふうに2歳7ヶ月の記憶を維持していられるものなのだろうか。
 この記憶は本物なのだろうか。
 自分なりに考えてみたのは、その後、同じ映画がTV放映されたとき、「そういえば思い出したこと」として記憶が反復され、つまり記憶のコピーがどんどん上書きされて今に至っているのではないか、という理屈。
 けれど、『わんぱく王子の大蛇退治』をTVで見た記憶がないのである。『わんわん忠臣蔵』のTV放映の記憶はあるのに。『わんぱく王子の大蛇退治』をはっきり見直した記憶は大学生以降のものしかない。だから、「TV放映上書き説」もあくまで仮説でしかない。いずれにせよ、「映画を冒頭から見ることができない自分の中途半端さ」がこの記憶のポイントになっている。映像だけの記憶ではない。
 どうも、その後も「映画を冒頭から見ることができない」というしょぼくれ体験が何度もあって、その折に『わんぱく王子』の記憶が補強されていったのかもしれない。
 不思議なもので、この情けない幼児には、人生最初の記憶の「与え手」である大塚康生さん、月岡貞夫さんに「弟子入り」してしまうという運命が待っている。『わんぱく王子の大蛇退治』にまつわる記憶には、もりやすじさんのお葬式で「ありがとうございました」と感謝の念を抱き、するとお寺の背後の空に大輪の花火が上がった、というその後の記憶が付け足されてしまっている。
 巨大な敵が崩壊して川になるという『アリーテ姫』のクライマックスも、幼児記憶が作り出したものというしかない。
 映画は受け手側の人生の一部なのであり、観客の記憶の中にこそ存在すべきものなのだ。
 「映像そのものではなく、『記憶』をお持ち帰りいただく」
 そう思って映画を作ることにしている。
 記憶の底に棲みついたものが、まかりまちがっていつか花を咲かせることだって無きにしも非ず、なのだから。

第2回へつづく

●『マイマイ新子と千年の魔法』公式サイト
http://www.mai-mai.jp

(09.09.07)