アニメーション思い出がたり[五味洋子]

その93 三千里特集号

 1977年3月発行の「FILM1/24」は第13・14合併号として増ページ体制で前年暮れに放送終了した『母をたずねて三千里』の大特集をしています。自分が動画として関わった作品ですが、客観的に作品として優れているからです。作品としての質を作り上げたのはメインスタッフの尽力によるもので、下請けプロながらそれをつぶさに見てきた者として、そのすごさを伝えたいという思いがあったのです。『ハイジ』の時にはまだ叶わなかった写真入りの活字誌として。
 この号は全60ページ。爽やかな青系2色刷りの表紙の真ん中にポンチョをまとったマルコがおり、裏表紙には馬を駆る母アンナとマルコのイメージボードが載っています。表紙をめくるとすぐに東映動画出身の有志が催した「もり先生を囲む会」のスナップ2枚が載っていますが、これには『ハイジ』も『三千里』も源流は東映長編での森やすじさんの存在にあったという思いを込めてあります。写真提供は東映動画で撮影として活躍しており元アニ同会長でもある相磯嘉男さんです。
 1ページ目からは『三千里』特集。巻頭言で「スケジュールは過酷をきわめ、放映1週間前に作画が終了すれば良い方、時には4日前という事もあり」云々とあります。『三千里』当時よりも放映本数が増え、画面、ことにキャラクターの絵にクオリティの高さが求められる現在の制作状況はどうなっているのか気になるところです。
 特集は、メインスタッフリスト、キャラ表からのカットを散りばめた全52話のあらすじ、スタッフインタビュー、名セリフコラム、ペッピーノ一座やパブロ、マリオの歌の歌詞採録、『三千里』の制作システム説明等で構成しました。全29ページに及ぶ特集の最後には1977年1月5日のグラナダ新聞の記事『「マルコ」、「ハイジ」をしのぐべく出番待つ』の紹介。「日本人による制作」とはっきり書かれており、訳は演出の高畑勲さん自身の手になります。
 インタビューは、並木さんと私(富沢洋子)による小田部羊一&奥山玲子両氏、並木さんによる高畑勲氏、同じく宮崎駿氏の3本立て。もちろん美術、音楽、声優、その他全ての力の結集によることは分かっていましたが、当時としては誌面の配分もあり、まずは憧れの東映長編関連の方々のお話をうかがいたいという思いが強かったのでした。小田部&奥山さんのページでは仲睦まじいお2人の話と共に、小田部さんがキャラクターの構想を練ったラフスケッチを多数掲載することが出来、貴重なページとなりました。小田部さんのラフスケッチはサラサラとした線の中に人物の特徴やその魂までも感じられる味わい深いもので、現在では年に何回か行われる「アルプスの少女ハイジ展」等の折にそういった素材も展示されることがあります。機会があれば是非にとおすすめします。
 高畑さんのインタビュー取りには並木さんが苦戦していました。当時は「全ては作品を見てください」として、作者が作品について語ることを避ける傾向があったのです。自らファンに胸襟を開いてくださる長浜忠夫さんのような方は稀有な存在でした。「アニメージュ」のようなアニメ誌もまだなく、一部の熱心なファンが同人誌用にスタッフと接触を試みることは行われていましたが、業界全体として取材というものに慣れていなかったということは言えます。高畑さんにしても後に「ホルスの映像表現」や「映画を作りながら考えたこと」等複数の著書や連載の執筆、講演が行われる日が来るとはこの頃は思いもよりませんでした。苦心の果てにものしたインタビューは5ページに構成されました。高畑さんの「所謂ストーリー主義におちいらずに人物像をふくらまして環境まるごと描こう」という演出アプローチについての発言は、その後の高畑作品を見る上でも興味深いものではないかと思います。なお高畑さんの写真には大塚康生さんのアルバムから『ホルス』制作当時の写真を借用しました。
 一方、宮崎さんのページには写真と共に『(旧)ルパン三世』に登場した、牧師の格好をした宮崎さんの似顔キャラを使用しました。以前の『(旧)ルパン』特集号の紹介でも記したと思うのですが、「1/24」によってそういったスタッフの楽屋落ちを知ったという言葉はその後色々な人から聞きました。宮崎さんの話は東映動画時代から『パンダコパンダ』まで多岐に渡り現在の片鱗を窺わせ、「ホントはアルゼンチンの大平原をワーッと戦車部隊でも突撃してれば良かったんですがね(笑)」などという発言もあります。
 インタビューの中で宮崎さんはTVアニメの批評について、例えばある番組を1ヶ月分全部見て、作品として成立する土台は認めた上で、そこに見られる嘘や辻褄あわせ、人物の思想的傾向の問題点を演出をはじめとする主要スタッフを押さえた上で評していくという方法を提唱されています。批評の是非が論じられる現在、考えさせられる指摘です。

 いずれにせよ、メインスタッフが共通して発する「つらかった」という言葉が何よりも『三千里』の制作状況を表わしていると思います。
 後年出版されるようになった初期アニメムックの多くがまずキャラクターありきだったのに対し、「1/24」では制作スタッフへのインタビューを中心にした特集の組み方になっています。この姿勢が後の大冊「未来少年コナン特集」へと続いて行くことになるのです。


 『三千里』特集の後は杉本さん、おかださんのお馴染みの連載コラム。スタジオ見学のコーナーでは合作アニメ『ホビットの冒険』制作中のトップクラフトを訪ねています。この記事の署名は羽仁水都子(ハニー・ミツコ)さんになっていますが、その実体は当時編集の手伝いをしてもらっていた金春智子さんと吉田ゆみさんの合同ペンネームということが編集後記の本人の筆で明かされています。
 第12号でリチャード・フライシャーの手紙を紹介してくれた望月信夫さんは今号では「テキサス アヴェリー」と題して、テキサス州ヒューストン・クロニクル紙掲載のアヴェリー会見記を元に適宜補強してアヴェリーの小伝とも言うべき一文としています。同時に安倍利己名義の「テックス・アヴェリー論への試み」、アヴェリーの傑作短編『眠い兎狩り』の連続フォト53枚の掲載(静岡の『しあにむ』第3号に発表された素材の再掲)と合わせて22ページというボリュームで、これだけで1冊できるほどの特集となっています。顔写真ですら数種類あるほど当時のアニメファンにとってアヴェリーは謎の人物だったのです。現在ではその名の読みはエイヴリーが正しいとされていますが、私たちの世代にとってはアヴェリーという呼び方こそが親しみ深いものです。アニメ作家に限らず人名の読みは「ギョエテとは俺のことかとゲーテ言い」と言われるごとく時々に変わるもので、これもまた悩ましい話です。
 なお、今号から発行所が荻窪の鈴屋ビルの住所になっていますが、これについてはまた改めて。

その94へつづく

(10.10.22)