アニメーション思い出がたり[五味洋子]

その94 ベルバラヤと、その後の「1/24」

 この頃のアニドウで大きな出来事といえば荻窪に念願の事務所を構えたことです。場所はオープロ(旧社屋)と荻窪駅を挟んで反対側、商店街の先の道路沿いです。鈴屋ビルという建物の名をもじってベルバラヤと通称していました。鈴屋ビルの鈴(ベル)+ベルばら+かつての並木さんたちの共同住居だった通称あんばらやの名残、というわけです。1階はインテリア関係の店舗で、脇の入り口から狭い階段を上がった5階の一番奥、2DKの部屋がベルバラヤでした。第13・14合併号からここで編集をしました。動画机と卓袱台を置き、常駐している並木さんの他にいつも誰かが出入りして編集や上映会の準備、電話番等々を手伝ってくれていました。事務所といっても家賃はアニドウの会計からはなかなか出せないので、私が足していたことが多かったです。当時は東大泉の自分のアパート、ベルバラヤの家賃補助の他に、ここに来る人のお茶代、食事代、並木さんの食費や本代等ほとんどを私が出していました。アニドウに費やす以外の時間は仕事に当てていたとはいえ、今思えば大変なことです。自分でもよくやっていたと思います。アニドウの会計は全くの丼勘定でしたが、読者から送られてくる定期購読料と上映会のお金には、本来の目的以外では何としても手をつけたくなかったのです。それだけアニドウと「1/24」の運営が私にとって大事なことだったのです。
 コーヒーを飲みながら毎日束になって送られてくる読者からのお便りを読んだ喫茶店、当時大流行のインベーダーゲームがテーブルになっていたゲーム喫茶、何軒かの古本屋さん、手頃な値段で味もボリュームも満点な中華料理の徳大。周辺の思い出も尽きません。先年、荻窪を訪れた際、近辺を歩いてみましたら驚いたことに鈴屋ビルはまだ健在、喫茶店はなくなってしまいましたが、徳大は店構えはそのままに今やテレビ雑誌に取り上げられる有名店になっていました。
 ベルバラヤには『未来少年コナン』の豪華本の編集を終えるまで入居していました。契約が済んだばかりのまだ何もない部屋で小椋佳のコンサートの生中継をラジカセで聴いたこと、印刷の上がった「1/24」の搬入に数人がかりで階段を昇り降りしたこと、賑やかだった編集作業、訪れた多くの人たち、こっそり飼っていた猫、PAFの近い雨の夜の出来事。ペントハウスに住んでいた若い男性が孤独死し時を経て発見された事件。いいことも悪いことも全部染みついた、ベルバラヤは青春そのものの部屋です。

 さて「1/24」の話題に戻りましょう。第15号は1977年4月発行。28ページ。編集スタッフには角川弘明、篠幸裕、半沢篤さんたちに並んで望月信夫さんの名も入っています。アニドウは上京中の執筆者までもスタッフとして使ってしまうところなのです。特集はカナダアニメ全国縦断上映会敢行に合わせた「NFB—カナダのアニメーション」で、中心はNFBの歴史を振り返り、その作家と技法を紹介する長編『The Light Fantastick(ライト・ファンタスティック)』の紹介です。表紙もキャロライン・リーフの『がちょうと結婚したふくろう』の連続コマ写真になっています。
 スタジオ見学はシンエイ動画。大塚康生さんの描かれたジープを囲んで野球のユニフォーム姿のシンエイ社員が一同に介するカットは本多敏行さんの絵です。
 今号の杉本さんの「映画フィルムはなぜ?」は上映会を開くための実用的手引き。杉本さんらしく実体験に基づいた生きた知識を披露するトラの巻ならぬ「上映会ネコの巻」で3号連続企画になっています。現在ではデジタル上映が主になっているとはいえ、フィルムの味わいには格別のものがあります。実は「1/24」のバックナンバーは今もネットオークション等で時にはかなり安価で入手可能なので興味のある方は一読をお薦めします。

 次はまたも合併号で第16・17合併号。1977年6月発行で60ページ。2月に亡くなっていたことが明らかになったジョン・ハブリーの追悼号で、静岡しあにむの企画・協力による中身の濃い13ページの特集が中心です。表紙にはハブリーの数々の作品のスチルをグレー系の地色で斜めに敷き詰め、上下を幅広の黒枠で挟んだモノトーンの造作がセンスよく、これも好きな表紙のひとつです。UPA時代のハブリーについては以前「1/18」の紹介の際に触れましたので略すとして、UPAを離れた後のハブリーは妻のフェイスと共に『コッカブーディー』『ムーンバード』等の傑作をものしています。『コッカブーディー』は幼い姉妹の眠る前のひと時を、『ムーンバード』は架空の鳥を捕まえようと出かけた幼い兄弟の一夜の冒険を、簡素なデザインと的確なアニメートで、現実とファンタジーを取り混ぜながら描いてみせます。声はハブリー夫妻の子供たちのお喋りを使っており、画面に瑞々しい効果をもたらしています。日本では後にパイオニアのLD「アニメーション・アニメーション」シリーズの1枚として作品集が出ていました。DVDに移行したこのシリーズがもう少し続いてくれたならハブリー作品集も出ていたかと思うのですが、残念でなりません。我が国のアニメーション文化の貧しさを痛感せざるを得ないのはこんな時です。またLDを手放せない理由のひとつでもあります。ハブリーの没後も妻フェイスは創作を続け、その作品にかつて『コッカブーディー』で声の出演をしていた娘さんが長じてスタッフとして加わっているのを目にすることもあり感慨を覚えます。
 スタジオ見学はムクオスタジオ。椋尾さんの美術スタジオで、これは第13・14合併号での『三千里』特集の続編にもなっています。椋尾さんのお話はもちろんのこと、特筆すべきはこのコーナーのカットとして福山慶子(=ふくやまけいこ)さんが誌面に初登場していることです。福山さんは当時高校生で、この頃からアニドウに可愛いイラスト入りのお便りを送ってきてくれていて編集部大注目の人だったのです。今号のお便りコーナーには初投稿の1枚が載っています。この号は色々とエポックな号で、本郷満(みつる)さんをはじめ現在のアニメ界を支える方々や今も私と親交の深い方々の名前が読者投稿に散見され印象深いのです。
 また大塚康生さんのアルバムをお借りして「東映動画スタジオの記録1」と題して解説入りで写真を22枚、7ページに構成しています。こんな感じで東映動画と長編の特集本を出すことは当時の大きな目標でしたが、ついに果たせませんでした。無念です。
 そして今号のもうひとつの目玉が4月の奇想天外シネマテークでの手塚治虫さんの講演「フライシャーと私の漫画」の採録です。当時『奇想天外』というSF系雑誌があり、その編集部と懇意になって実現した企画です。当日は手塚さんのご威光あらたかで大盛況、ボードに絵を描きながらの講演には満場大興奮だったのでした。

その95へつづく

(10.11.05)