アニメーション思い出がたり[五味洋子]

その90 その後の「1/24」

 こうして「FILM1/24」は活字化へのスタートを切りました。活字化2号目になる第9号は1976年6月発行。全24ページです。発行の住所は変わらず浦和になっています。1ページでも多く誌面を使おうとの思いから裏表紙に回った編集後記では、前号での突然の活字化に対して賞賛の反面、活字への反感の声もあることが記されています。パソコン、ケータイの普及で手で文字を書くこと自体が少なくなってしまった現在では到底考えられないでしょう意見ですが、これが当時の現実だったのです。
 表紙は鮮やかな黄色に黒で左半分にフライシャー兄弟の傑作『スーパーマン/メカニカル・モンスターの巻』からスーパーマンがロボットの怪光線をぶん殴るカットが連続で6コマ載っています。これも前回書いたのと同じ杉本さんのカメラをお借りして撮影したものですが、体重の乗ったスーパーマンのパンチと、円を描いて飛び散る怪光線のエフェクトが素晴らしい1コマ作画で描かれていて惚れぼれします。
 巻頭は、おかだえみこさんの「シリイ・シンフォニー 小さな星たち」。次の第10号へと続く、思いのあふれる名文を渡辺泰さん提供になるスチルが飾っています。ウォルト・ディズニーの黄金期と言える「シリイ・シンフォニー」シリーズは『丘の風車』(公開ごとに様々な邦題を持つこの作品ですが、やはりこの題名がふさわしいと思います)を頂点に、技術・内容ともに名作の宝庫です。
 第8号から続く「大塚康生さんのお話」は渡米された時のエピソードから当時のアニメ界が抱える問題まで幅広くお聞きしています。間に挟んだ「(旧)ルパン三世 各話の考察」は私の文を元に大塚さんが監修してくださったもの。各話の演出者名とスタッフの似顔等の楽屋落ちが明記されたのはこれが初出ではないかと思います。
 第9号でもお便り欄は引き続き私の手書き文字です。中の、第8号の大塚さんのお話に対する読者からの反響の一部を引いておきます。「東映長編のファンである僕にとって、あの美しい世界のウラに腐りはてたガン細胞があるのを発見するのは悲しいことですが、そんなことは言っていられない。こういう裏面史というか、ウラの世界も、とりあげてもらいたく思います」。この言葉は遥か経った今も挫けそうな私の心の支えになっています。

 続く第10号は1976年7月発行。全28ページとページ数も増し、大いに力を入れて作った『わんぱく王子の大蛇退治』特集号です。特集に合わせ見た目も一変して表紙・裏表紙ともに『わんぱく』のスチルを多数掲載しています。『わんぱく』はシネスコなのでスチルはフィルム接写でも画面写真でもなく映画館に飾ってあったと同じ宣材写真とセルの組み合わせです。2色刷りなのが残念ではありますが、赤系色と黒のコントラストが印象的で好きな表紙です。実はこの宣材写真の使用が後に問題となるのですが、その話はまた改めてとしましょう。
 表紙をめくった表2には炎の中から現れるアメノウズメノミコトのセル写真。ウズメは特異なプロポーションで、動いてこそその魅力が最大限に発揮されるアニメならではのキャラクターで、名場面だらけの『わんぱく』の中でもひときわ輝いています。
 特集では10ページに渡ってたっぷりと大塚さんのお話をうかがっています。聞き手は私(富沢洋子)になっていますが、実は大塚さんからの、よくある苦労話よりも『わんぱく』に限らず当時の東映動画の制作システムを明らかにしたいとの意向を受けて、原稿にはほぼ全面的に大塚さんに手を入れていただいています。大塚さんはここで当時の東映動画のアニメーターの原画・セカンド・動画というポジションと、関わったアニメーターの名前を、図入りで解説してくださっています。セカンドというのは現在の第二原画に当たると考えれば意味が通るかと思いますが、この存在もここで初めて明らかになった事柄です。お話の重要性に加え、誌面には大塚さんの提供になる当時の制作風景写真が多数収められています。この大塚さんの貴重極まりないアルバムを拝見し、また大塚さんの手になる東映動画のアニメーター年表の存在を知り、これらを元に東映長編の大特集本を作るというのが私たちの将来的な大きな夢となりました。一方で、大塚さんが手書きしてくださったアニメーター組織図を活字に直して誌面に載せることには、当時まだ編集経験が少なくスキルも低かった私たちは大変な苦労をしたものです。
 またこの号では、大塚さん自身の提案で、オロチのキャラクターが決定するまでの変遷を11枚のイラストで描き下ろしていただいています。龍やヘビ、ワニをモチーフとした基本デザインから、見分けやすいようにオロチの頭に1から8までの番号がついている珍妙なものまで様々で、貴重であると共に、大塚さんの当時の東映動画の現場を伝えたいとの熱意と、このために費やされた労力の大きさを思うと、ただありがたいの一言では到底すむものではありません。この描き下ろしには相当な時間がかかり、編集長として私は進行状況をお尋ねするため、夜になると毎日のように大塚さんのご自宅に電話を入れたものです。当時はまだ自分のアパートには電話を引いていませんでしたので、自宅近くの公衆電話ボックスに小銭をたくさん持って通いました。大塚さんは常に真摯に対応してくださり、申し訳なくも思い返すと心が温かくなる幸せなエピソードとなっています。これらのアニメーター組織図とオロチのキャラクター変遷図は後に大塚さんの著書「作画汗まみれ」に簡略版が掲載されています。
 また「もう時効でしょう」と『わんぱく』当時に存在した企画案18本を公開していただいていますが、美空ひばりのナレーターによる「浦島太郎」や山川惣治原作になる「少年タイガー」等、どれも興味の尽きないものです。
 この第10号の発行から30年余りが経ちましたが、現在も大塚さんのご自宅にうかがうとパソコンに向かってこれまでの記録を詳細に書き留めておられる姿を目にし、衰えることのない意欲に頭が下がり身の引き締まる思いがします。この号に限らず大塚さんによって私たちはどれほど多くの事柄を知り得たことでしょう。大塚さんこそ現在のアニメ界の至宝と言うべき方だと思います。
 お便りコーナーは相変わらず手書きですが、今号は私の文字ではありません。『わんぱく』特集の編集に全力を注いだために、他の方にお願いしたものです。第8号、第9号をあらゆる機会に頒布宣伝し、協力者を求め続けたことが功を奏し、手伝ってくれる方が激増したのです。「ファントーシュ」騒動のあおりで実動会員の大半を失ってしまったアニドウにとってこれは嬉しいことでした。奥付には第8号以来の篠幸裕さんに加え、協力として金春智子、吉田ゆみ、大塚多恵子、武荒恵、村田まり子、角川弘明さんたち、現在も変わらず長いお付き合いの続く方々の名前が並んでいます。残念なことに角川(つのかわ)さんは先年急逝されましたが、気持ちの上では今もこれからもずっと一緒なのです。

その91へつづく

(10.09.10)