アニメーション思い出がたり[五味洋子]

その84 自主上映会等の思い出をぽろぽろと

 ビデオデッキの普及が進んできてもビデオカメラはまだ先のことで、自主制作の中心はやはり8ミリや16ミリのフィルムでした。高校や大学でもアニメ研等が結成され、自主アニメの制作活動も盛んになってきていました。セルは相変わらず高価なのでペーパーアニメが主でしたが。
 発表の場は一般には学園祭が多く、秋の学園祭の季節には余裕があればあちこち出かけて見歩いたものです。色々な自主アニメを見ましたが、その中で女子中高生の作品には不思議なことにある傾向がありました。例えば、女の子が花の種を播いている。やがて芽が出て花が咲き……その花に女の子が喰われておしまい、というような作品が多かったのです。一種の破壊願望の表われなのでしょうか。自分で自分を持てあます思春期特有の不安定さのなせるものかもしれません。分析したら何か興味深い結果が出そうな気もします。成長に連れて、その感情はもっと別の形として昇華されて行くのかもしれませんが。

 見る、と言えば、この頃はアニメに限らず特撮関係の上映会にもよく1人で出かけていました。何年のことだったかはっきりしないのですが、自主制作の8ミリ特撮映画を集めた上映会がありました。大学の教室のような長テーブルが並んだ階段状の立派な会場でした。資料によると1981年8月に中野公会堂で第1回特撮大会が開催されているので、これかもしれません。そこで見た、今も覚えている作品に巨大なトウフの怪獣フウトが現われ、ネギ怪獣ギーネ、肉怪獣クーニと戦うというミニチュア特撮映画「大怪獣フウト」という作品があり、戦ううちに最後はみんなスキ焼きになってしまうというオチが傑作でした。後に、これは現在、個性的な作風で知られる河崎実監督が明治大学の学生時代の1977年に作った作品と知り、驚きました。タイトルも単に「フウト」が正しいようです。河崎監督は2008年に特撮怪獣映画「ギララの逆襲 洞爺湖サミット危機一髪」を作りますが、笑いを取りに行く作風は学生時代から不変のようです。
 他にこの時に見た作品で、タイトルも作者も不明なのですが、主人公の青年(?)が家族を惨殺し、庭に埋めてしまうというショッキングなものがあり、記憶に焼きついています。暗い画面にリアルなタッチの演出で、フィクションと分かっていても迫真的で戦慄を覚えたものです。この感覚は喩えるなら「ウルトラマンレオ」の星人ブニョが登場する異様な雰囲気の回「レオの命よ!キングの奇跡!」に覚える感情と似ています。名前も分からないので、この作者がその後どうなったかは不明なのですが、この世代には、情報誌ぴあの主催するフィルムフェスティバル=PFF等を通ってアマチュアからプロの道に進んだ映像作家も大勢いますので、もしかしたら、この人もそんな道を歩んだのかもしれません。
 ギララの名が出たのでついでに書いておきますが、「スター・ウォーズ」(後の「エピソード4/新たなる希望」)の登場によって大SFブームが起こり、日本の過去の特撮映画にも注目が集まることとなり、池袋の文芸地下等の映画館で数本立てのオールナイト上映が盛んに行われた時期がありました。その中で「ギララの逆襲」の元ネタである「宇宙大怪獣ギララ」が上映された時のこと。天空からギララが襲来して光線を放ち大爆発のパニックが起こるシーンが丸ごと逆転映写されるという仰天事がありました。フィルムは巻ごとに1回映写し終わったら巻き戻しておかなければならないのですが、たまたまその巻だけがそのままになっていたために終わりの方から逆回しに映写されてしまったのでした。破片から一瞬にして元の形に戻る建物、ギララに吸い込まれて行くかのような光線。今は映写機はオートマになっていて人がずっと付き添うこともないのですが、当時は映写技師がつききりだったのですぐに映写はストップされましたが、最高の見せ場だけに場内はやんやの大歓声、映写ミスを咎めるどころか、滅多に見られないいいものを見せてもらったと感激さえしたものです。
 フィルムのトラブルと言えば、とある自主上映会に東宝特撮の「海底軍艦」を見に出かけた時、肝心要の轟天号始動から出撃までのシーンがそっくり抜け落ちていたことがありました。おそらく以前にそのフィルムを借りた心ない誰かがそのシーンをカットして懐に入れてしまったのでしょう。観客も驚きましたが、当日映写して初めてその状態を知った主催者のショックはどれほどだったでしょう。主催者側の落ち度ではないのに、終了後、入場料を払い戻しますと平謝りしていたのが哀れでなりませんでした。
 もうひとつ、特撮つながりで思い出すのはDAICON IIIと称される第20回SF大会のOPアニメで名を上げた自主制作集団DAICON FILMが自主制作した一連の作品群です。「アニメック」で紹介された「愛國戦隊大日本」「快傑のーてんき」や庵野秀明さんが顔出しで熱演した「帰ってきたウルトラマン MATアロー1号発進命令」等々は発表当時は実物を見ることができず、随分後になってワンダーフェスティバル等でやっと入手して歓喜したものです。東映の「太陽戦隊サンバルカン」をもじった「大日本」の主題歌は歌詞を知っていたので、実物を見る前からちゃんと歌えましたが。一番の大作「八岐之大蛇の逆襲」はバンダイからもビデオリリースされたので、当時住んでいた広島のレンタルビデオショップで借り、そのクオリティに仰天したものです。
 現在は質を含めてプロとアマチュアの境がますます曖昧になり、発表の場もネットあり、昔ながらの上映会ありで、アンテナさえ張っておけばほぼ無限の楽しみが約束されています。よい時代になったとつくづく思います。

その85へつづく

(10.06.18)