アニメーション思い出がたり[五味洋子]

その85 アニメソング

 アニメソング、略してアニソンとも呼ばれますが、アニメの主題歌挿入歌は、1970年代半ば頃まではアニメという言葉自体が一般的ではなかったのもあって、アニメソングという言い方はされず、テレビまんがの歌などと呼ばれていました。
 私と同世代の人の多くがそうではないかと思いますが、子供時代からずっと耳なじんだ、いかにもアニメソングらしいアニメソング、ヒーローヒロインの名前や特徴が織り込まれた歌の数々が印象深く記憶に焼きついています。先日のNHK連続ドラマ『ゲゲゲの女房』で小学生たちが『鉄腕アトム』のメロディをリコーダーで吹きながら歩いていく、TVアニメ時代の到来を象徴するようなシーンがありましたが、本当にそんなふうに友だちと歌ったり、学芸会で合奏したりして親しんだものです。『アトム』『鉄人28号』『エイトマン』『風のフジ丸』『スーパージェッター』……。親しみやすく覚えやすいメロディラインに伸びやかな歌詞。歌の中にスポンサー名が織り込まれていたりするのもご愛嬌でした。
 当時の子供にとってはレコードよりもソノシートというペラペラで赤や青の色がついた塩化ビニール製の円形シートが主流でした。絵物語とソノシートがセットになった商品が発売されたり、雑誌の付録についたりしていました。
 私の弟が小学生の頃、雑誌『少年』の懸賞でポータブルプレイヤーを当てたことがあり、2人して飽かずにプレイヤーをいじって遊んだものです。プレイヤーには回転数を変えるダイヤルがついていました。『少年マガジン』の大伴昌司さんによるグラフ記事で、怪獣の鳴き声は録音した人間の声を低速で再生して作るというのを読み、早速その逆を試してみました。『ウルトラマン』の怪獣の鳴き声の入ったソノシートを回転数を上げてかけてみると果たして、本物の「ゼェットォォォーンン」という鳴き声が普通の人間の声で「ゼットン」と聴こえるではありませんか。これには驚愕したものです。

 私が最初にアニメの音楽と歌を意識したのは冨田勲さんが携わった『ジャングル大帝』です。オペラ歌手の平野忠彦さんが朗々と歌い上げる主題歌や、パンチの効いたヒットシンガー弘田三枝子さんの「レオのうた」は、それまでの児童合唱団やボーカルグループが歌うことが多かったアニメの歌とは全く違って聴こえました。それ以前にも東映長編の『少年猿飛佐助』『西遊記』『わんわん忠臣蔵』等はもちろん印象に残っていますが、やはり毎週見るTVアニメは刷り込みの力も大きいのです。ディズニー長編では『白雪姫』が印象的ですが、リバイバルを見た高校生の時なので、ずっと後になります。『ジャングル大帝』はミュージカルの要素があり、シーンやキャラクターに合わせた曲が用意されていて、その面でも心惹かれました。後に発売された「子どものための交響詩ジャングル大帝」では冨田勲さんの雄大な調べに酔いしれたものです。
 それから後は現在もおなじみの、いわゆるアニソン歌手の時代。「マジンガーZ」をはじめ雄叫ぶアニキ水木一郎さん。私的アニメソングベスト5に入る「GO!GO!トリトン」のヒデ夕木(夕樹)さん。「キャンディ・キャンディ」が代表曲になるのでしょうが私にとっては『ボルテスV』や『マグネロボ ガ・キーン』で水木一郎さんとデュエットした「猛と舞のうた」等の悲壮なまでに高く澄み切った歌声のアニソンの女王、ミッチこと堀江美都子さん。「宇宙戦艦ヤマト」と「真赤なスカーフ」は稀代の名曲だと心底思う佐々木功(現・ささきいさお)さん。『ハイジ』『三千里』をはじめ歌う名作劇場の顔とも言える大杉久美子さんの優しい暖かさ。艶っぽくてパンチの効いた歌唱が魅力の前川陽子さんは『ひょっこりひょうたん島』や『レインボー戦隊ロビン』の「すてきなリリ」以来ですから長いファン歴になります。『長靴をはいた猫』のピエールをはじめ、声に品のある藤田淑子さんは歌も名手。「どろろのうた」など、何と上手いのだろうと聴きほれてしまいます。「およげ!たいやきくん」でメガヒットを飛ばした粘るような節回しが独特な子門真人さんは、「仮面ライダー」シリーズの方でもおなじみでした。アニメと特撮というのは主対象が重なることもあって、音楽の面でも歌手、作曲家の方々共に両方のジャンルに渡って活躍されている方が多いようです。こんな風に名前を上げていたらたちまちページが埋まってしまいますので、この辺にしておきましょう。
 この時代の歌は何のてらいもなく正義や愛を謳い上げていて燃えます。一時期そうしたものをダサいと切り捨てる風潮がありましたが、歴史は行きつ戻りつしながら螺旋状に進むもの。今では再び脚光を浴び、新たな命を持って輝いているのは喜ばしい限りです。
 もちろん、私はそうした初期からの歌手やアニソンばかりでなく、『エヴァ』や『らき☆すた』『けいおん!』も大好きですし、しばらく前は『セーラームーン』や『幽☆遊☆白書』『ガンダムW』がドライブの友でした。『ハガレン』のOP・ED曲集や、T.M.Rの歌う新生ガンダムシリーズ等もわくわくと聴いています。

 まだアニメソングという言葉もなく、アニソン歌手という位置づけもなかった頃、彼らが観客の前で歌う場は着ぐるみ劇とセットになった子供向けのショーが多かったようです。この頃、アニドウの有志と友人たちで水木一郎さんの出演する野外ステージを見に行った時のこと。子供たちに交じって一角に陣取り、皆でステージに向かって「水木さーん、マジンガー歌ってー」と声をかけたところ、「今日は変わったお客さんがいますね」と怪訝な顔をされたという話を聞いたことがあります。その当時は子供向けのテレビまんがの歌に20代の男性たちが声援を送るなど考えられないことだったのでしょう。
 歌手たちも最初からアニソン歌手を目指していたわけではなく、中にはこれでいいのかと自問したり、歌手として自分の歌を歌う方向を目指した人もいたようです。ちょうどアクションスターやコメディアンがその道で成功を納めながらも、そうした自分に飽き足らず演技派、個性派の俳優へと転進を図るように。でも一芸に秀でるというのはどんなジャンルであれ稀有な才能の表出です。紆余曲折はあったかもしれませんが、ほとんどの人がこの道に戻ってくれました。嬉しいことです。
 話は変わりますが、昭和40年代に大々的なナツメロブームが起こり、軍歌や昭和前期の懐かしの歌謡曲を歌うナツメロ番組が盛んになったことがありました。当時、若者の間ではグループサウンズが人気で、その頃の大人たちからは、こんな歌は後には残らない、年を取ってもナツメロのように歌う歌がないだろうと言われていたものですが、事実は衆知のとおり、GSソングは時代の波を越えて残り、歌手たちも元気に活躍しています。アニメソングも同じだと思います。アニメブームを経てタイアップ的にアーティストという名の歌手が参入して来る前、世間からも、もしかしたら歌曲を送り出す側にも「これは一過性の子供向け」の意識があったかもしれないアニメソングは、ファンの間で時を越えて歌い継がれ生き残ってきたのです。カラオケ店に行けば、アニソンだけの分厚い歌本があり、モニターには作品により違いはありますが、当時の映像が流れてきます。それはそのままアニメとアニメソングが積み重ねてきた歴史の厚みそのものです。
 TVでは折にふれアニメソングの特集番組が組まれ、アニソンのど自慢やアニソン紅白歌合戦までが行われる時代です。誰がこんな未来が訪れることを予想したでしょうか。でも歌は生きものです。何もせずに黙っていて、こんな時代が自動的に訪れたのではなく、歌手本人の力はもちろんのこと、カラオケなど形もない頃から伴奏もなしに歌ったり、カセットテープに録音したりしてアニメソングと歌手を愛し続けたファンたち、その中から一歩進み出て業界に働きかけ、LP、CD等の媒体上で歌曲の構成や解説を手がけ、貴重な音源発掘に励み、その保存と普及、発展に努めた方々の力あってのことでしょう。
 ひとつ寂しいのは、この繁栄の中にヒデ夕樹さんの姿がないことです。「力石徹のテーマ」や「GO!GO!トリトン」「戦え!!人造人間キカイダー」等々、野性味の中に一抹の哀愁を秘めたビターでハリのある歌声で数々の名曲を残したヒデ夕樹さんが亡くなられたのは1998年12月。心不全による死去はほとんど世間に知られることもなかったと聞きます。今も存命でいらしたら、さぞや円熟味を増した歌声を聴かせてくれたろうと思うと無念でなりません。

その86へつづく

(10.07.02)