アニメーション思い出がたり[五味洋子]

その51 就職

 アニメに明け暮れていた1972年が終わり、卒業を控えた私はここで就職という現実と向き合うことになりました。本当はここで郷里へ帰ることも考えていたのですが、学生課には群馬県の企業からの求人など当然ながら1件もありません。卒業したら家事手伝いをして結婚へという人が多かった校風のせいもあり、周囲でも卒業後の進路は余り話題に上っていませんでした。就職についてそれとなく正月休みに父に訊いてみたのですが、はっきりした返事もなく、困った私はやはりアニ同の先輩方に相談するしかありませんでした。
 すると以前、東映動画での動画の練習を仲介してくれた田代さんが今度もアニメーターとしての就職を斡旋してくれました。本来なら昨夏に通わせてもらったオープロダクションに入社するのが最良の道なのでしょうが、あいにくその時、オープロは机の空きがなかったそうなのです。
 田代さんが紹介してくれたのは東大泉の東映動画スタジオのすぐ近くにあるアド5(ファイブ)という下請けの作画プロダクションでした。白っぽいマンションの一室にあるその会社に電話をかけて出向き、原画をクリーンアップして1枚の動画にする簡単なテストを受けました。仕上げた動画を見てもらい「いいんじゃない」と言ってもらってその場で採用が決まりました。こうして私は卒業後も東京に留まり動画としてやって行くことになったのです。
 それまで住んでいたアパートは女学生向けの物件だったのと、たびたび書いているように、家主の理解がなくいづらい思いをしていましたので、大喜びで新居を探しました。さすが地の利というか、大泉学園周辺の不動産業はアニメーション関係の仕事に就職予定と言っても奇異の目で見られることもなく簡単に、駅から徒歩20分程の東映動画の並び、就職先にも歩いてすぐの物件が決まりました。木造2階建て、風呂なしトイレ共同、全6室の古いアパートの2階の小さな和室です。周辺に飲食店等はありましたが、日常の買い物は駅前の商店街まで歩くしかないところで、はっきり覚えてはいませんが家賃も安くすみました。引越しは当時のアニ同会長の半田さんをはじめ、アニ同の友人たち数人が手伝ってくれました。あんばらやに置かせてもらっていた東映動画払い下げの動画机も運び込み、冷凍庫なしの小さな冷蔵庫も入れました。流しは前より広くなりましたが相変わらず両隣の部屋との壁は薄く音は筒抜けで、部屋のドアは木製横開き、鍵はネジ穴式という旧式な造りでしたが、居心地は悪くなく、このアパートには途中でもう少し広い部屋に移ったりしながら何年も暮らしました。同じアパート内に住んでいた大家さん夫婦は両人共障害者でしたがとても親切で、アニ同の会計を担当していた私は相変わらず現金書留や手紙を受け取ることが多かったのですが、私が留守の時も代わりにきちんと受け取っておいてくれて助かりました。
 ところが、そこに越すことを両親に伝えると大変に驚かれてしまいました。家族は私が卒業したら当然実家へ戻るものと頭から決めていたのです。就職の相談を持ちかけた時には何の反応もなく、やむなく自分で決めた途端に苦情を言われたのですから、これには参りました。が、すでに引越先、就職先も出社日も決めていたので納得してもらうしかありません。と言っても断固としてアニメーターになりたいという強い気持ちからではなく、人生の一大事をいわば流れのままに決めてしまった訳ですが。
 余談ですが、30年ほど後に、東映動画改め東映アニメーションの社屋を訪れた際に周辺を歩いてみましたら、驚いたことに、そのアパートが前世紀の外観そのままに残っていて、何だか過ち多い若き日が今もそのままそこにあるような気がして、うろたえてしまったものです。

 アド5は東映動画を退社したベテランアニメーター田島実さんと、中堅の岡田敏靖さんが中心になって興した作画プロダクションでした。はっきり訊いたことはないのですが、ファイブは設立の5人という意味だったのかも知れません。
 マンションのドアを開けると小さな玄関、その横にキッチン。2間続きの明るい部屋には絨毯が敷き詰められ、動画机がきっちりと配置されていました。入ってすぐの部屋の奥に田島さんと岡田さんが斜向かいに机を並べ、横の部屋では他のアニメーターの方々が仕事をしていました。私は田島さんたちと同じ部屋の右横の机を割り当ててもらい、その日からすぐに本番の動画を描き始めることになりました。
 室内では古くからの馴染みらしい田島さんと岡田さんが様々な話を交わしながら手を動かし、他の人たちは時折口を挟む程度で黙々と仕事をしていました。現在のように個人用の音響機器は発達も普及もしていなかったので、部屋にはラジオの音と話し声、鉛筆の音だけが響いていました。私は、机の位置の関係もあって他の人たちとは最初に紹介してもらっただけでほとんど言葉も交わさず、全員の名前も覚えていないほど、ただひたすらに仕事をする日々でした。

その52へ続く

(09.03.06)