アニメーション思い出がたり[五味洋子]

その37 『魔法のマコちゃん』と私

 現在、『崖の上のポニョ』が公開中ですが、そのモチーフのひとつにアンデルセンの「人魚姫」があるようです。赤くて丸い体をしたポニョは淡水の中でも平気らしいので、人魚というより金魚のお姫さまのようですが。
 実は私は子供の頃に文庫本でアンデルセンの原作を読んで以来、人魚姫というロマンティックなモチーフに特別な思い入れがあります。
 アニメーションの方でも人魚をモチーフにした作品には、手塚治虫さんの実験短編『人魚』や、以前にも紹介したラウル・セルヴェの『シレーヌ』、そしてロシアのアレクサンドル・ペトロフの『マーメイド』と、傑作が多く見られます。『くもとちゅうりっぷ』で知られる政岡憲三さんも後年には『人魚姫』の完成に執念を燃やしておられ、アニメーションに対して「動画」という言葉を提唱された政岡さんが生前に建立された「動画誕生の碑」は政岡さんのデザインされた人魚姫を元にした像になっています。人魚というものは船乗りばかりでなく、クリエーターの魂を刺激するものでもあるのでしょうか。

 日本のTVアニメにも人魚の登場する作品がいくつかあります。富野喜幸(当時)監督の『海のトリトン』に出てくる人魚の女の子ピピもそのひとつです。私はこのピピに非常に新鮮なキャラクター性を感じたものですが、今日はそれについてではなく、東映動画(当時)の魔女っ子シリーズのひとつ『魔法のマコちゃん』について書こうと思います。
 『マコ』は1970年11月から1971年9月まで全48本放送されています。主人公マコは人魚姫。人間の青年に恋したマコは人間の少女の姿となり「人魚の涙」という魔法のペンダントを使いながら人間世界で暮らしていくというストーリーです。恋が大きな要素になっているとおり、それまでの『魔法使いサリー』や『ひみつのアッコちゃん』とは対象年齢を上げた作りになっており、この辺にも70年代初頭の気分が反映されていると思います。
 放送期間は私の受験と大学生活に重なっていますがしっかり見ています。その名もズバリ「人魚姫」というサブタイトルの第30話が放送された日には、間に合うように東京から群馬の自宅まで急いで帰ったものです。ちなみにこの回の作画監督は直後に美少女作画で名を馳せる荒木伸吾さんでした。
 『マコ』の中心となった演出家は敬愛する芹川有吾さん。脚本は辻真先さんと雪室俊一さんが中心でした。キャラクターデザインは高橋信也さん。青いシャツブラウスに太いベルト通しのついた白いボックスプリーツのジャンパースカートという、当時流行のスタイルに海を思わせるカラーリングが清新です。青い瞳に大きくカールしたポニーテールと白い髪飾りがチャーミング。ちょっぴり大人っぽい主題歌は最後の台詞が決め手。
 オープニングと第1話の作画監督は岡田敏靖さんです。嵐の海の作画の素晴らしさと、人間になる前のロングヘアのマコがきれいで、私はすっかり岡田敏靖さんのファンになりました。脚本・辻真先、演出・芹川有吾、作画監督・岡田敏靖のこのトリオが生んだ傑作はこの第1話「初恋」と、愛娘マコが心配で人間界にやって来た父・竜王の右往左往を描いた第13話「パパとデート」があります。この第13話は実際に2人の年頃のお嬢さんを持つ芹川さんの父親としての心情が反映されて、コミカルな中にも味のあるいい話になっています。芹川さん自身「魔女っ子ものでは『マコ』が好き」という思い入れの深い発言をされています。
 芹川さん得意のコメディタッチの作品では、お忍びで来日した某国王子とマコのつかの間の交流を描いた第26話「いたずら王子」(作画監督は田中英二さん)も欠かせません。
 『マコ』の基本舞台は学園ですが、時代を反映して公害問題に取り組んだ第12話「海のひびき」、第22話「誰かが呼んでいる」、第25話「山のかなたへ」と、マコの魔力でも解決できない問題作が並び、他にも学園改革等の社会への目を感じさせる作品が多く見られます。そして最終話を控えた第46、47話の前後編では軍事演習を絡めた「妖怪の涙」という大異色作が作られています。ロマンティシズムと社会性、これが私が『マコ』に惹かれた源だと思います。
 実は『マコ』の放送は月曜の夜7時からと、アニ同の集会とぶつかっていたために終盤は再放送時に見たのですが、最終回だけはどうしてもリアルタイムで見たくて、当時はまだ東京のアパートの自室にテレビがなかったので、わざわざ群馬の実家まで帰ったりしています。それほど私は『マコ』が好きだったのです。
 現在のアニメ界はキャラクターの絵のレベルをきれいに揃えるのが至上のことになっていますが、当時は毎回、スタッフによって絵柄も動きも異なるのが当然で、色んな顔のマコがいました。荒木さんの描く美しいマコはもちろんですが、私は岡田さんの端正なマコが大好きでした。数年後にほんの偶然から私はこの岡田さんのいらっしゃる小さな作画プロに入社することになります。その頃のことはもう少し後に記そうと思いますが、つい最近、岡田さんが今年5月にご病気でお亡くなりになっていたことを知りました。まだ63歳の若さだったそうです。いつか、と思いながらついに『マコ』のお話はうかがえないままでした。この場をお借りして謹んでご冥福を祈らせていただきます。

その38へ続く

(08.08.22)