アニメーション思い出がたり[五味洋子]

その17 あの頃のアニメ(4)

 この時期で印象的な作品といえば、何と言っても、『ホルス』の余熱を受けて生み出された東映長編の大傑作『長靴をはいた猫』(1969年3月)ですが、これについては各所で述べていますので名を上げるのみとし、1970年3月に公開された『ちびっ子レミと名犬カピ』に話を移しましょう。
 『レミとカピ』は、私の敬愛する芹川有吾さんの演出で、芹川さん特有の時流に乗った悪ふざけ的な傾向も散見されはするのですが、それでも「愛と涙の芹川有吾」とふたつ名をとる(私の勝手な命名ですが)芹川さんを語るに外せない作品です。私自身、作品への客観的評価とはまた別の次元で「好き」な作品のひとつです。

 芹川さんにとってこの『レミとカピ』は、長編としては『わんぱく王子の大蛇退治』『サイボーグ009』『同 怪獣戦争』に次ぐ作品。エクトル・マローの世界名作『家なき子』を題材に、芹川さんが得意とし、『わんぱく』や『レインボー戦隊ロビン』にも通じる母恋いをモチーフとする本作は、芹川さんにとっても腕の奮いどころ。主人公レミの、産みの母と育ての母それぞれへの愛、ビタリス老人との師弟愛、共に旅をするカピと一座の動物たちとの友愛が存分に描かれています。
 また、レミと育ての母バルブラン夫人との別れ、吹雪の山中での狼の襲撃と仲間の死、かつて名オペラ歌手だったビタリスの一世一代の「アベ・マリア」の名唱と、サルのジョリクールの最期、その墓前で彼の特訓の成果の逆立ちを披露するカピ等々の涙の名場面の数々。
 極めつけはクライマックス、レミを実の子と知らず船で遠ざかるミリガン夫人をカピの背に乗って追うレミ。ここぞとばかりに高まる主題歌。レミに気づき、スカーフを差し出す夫人。届きそうで届かないレミの手。これでもかの末についに結ばれる母と子の手。その瞬間流れ出す、東映動画ファンなら耳になじみのあの感動のBGM。これで泣かなければ人ではないと言い切ってしまえるほどの盛り上げ方の妙。当時、私も映画館の暗闇で涙を拭いましたし、場内からはレミと一緒になって「お母さーん」と叫ぶ子供の声も上がったものです。後に聞いてみると、同世代人は皆、男女問わず涙したといいます。芹川さんの場合、これでもかの演出が、東映動画のお家柄とでも言うのでしょうか、どこかモダンな雰囲気を持っていて、素直に感情移入させられるのです。

 作画監督の大工原章さんによるキャラクター設計には独特のクセがあるのですが、原画の1人、森康二さんが担当された箇所は森さん一流の細やかさが加わって一目でそれと分かり、格別の味わいがあります。例えば、レミの運命に苦悩するバルブラン夫人の場面。わずかな顔の角度、手の動きが夫人の心の内を示し、声の市原悦子さんの好演もあって、私は実はヒルダの苦悩よりもこちらの方がより深まった芝居に思えるのです。森さんはこのカットを描くために何度もご自分で演技をし、確かめながら描いたと伝えられます。
 また、ビタリスの熱唱と、高熱に浮かされながらも最後の力を振り絞って彼の元へ向かおうとするジョリクールの姿も、実にその心情が伝わって来て涙を誘います。かつての『西遊記』の名場面、吹雪の中を歩む燐々の姿といい、優しい森さんはおそらく心を痛めながら鉛筆を走らせたことでしょう。その痛切さが画面を通して伝わってくる、神技というべき演技です。
 ジョリクールを演じた久里千春さんは『わんぱく』のアカハナでもおなじみですが、独特の哀感を帯びた高い声がこの役にぴったりです。また名優フランキー堺さん演じるカピの、とぼけた味わい。その姿は芹川家の愛犬でもあったセントバーナードで、演出の思い入れもひとしおに感じられます。

 芹川さんは『レミとカピ』の後は長編では『パンダの大冒険』(1973年)『おやゆび姫』(1978年)、隠れた傑作と評価も高い『宇宙円盤大戦争』(1975年)等を手がけますが、むしろ『マジンガーZ』や『SF西遊記スタージンガー』『マシンハヤブサ』『魔法のマコちゃん』『魔女っ子メグちゃん』等々のTVアニメでその本領を発揮し続けます。が、晩年に難病を患われたこともあって、東映動画の大衆娯楽路線一筋の職人監督ともいうべきその長大なキャリアに比して、後世に残るような資料も多くはありません。
 私自身、『わんぱく王子の大蛇退治』への愛着が年々深まるのを自覚し、芹川さんを中心に何らかのものをまとめてみたいという気持ちが高まっていましたが、その矢先。ひとつの悲報がもたらされました。
 『わんぱく』のヨルノオスクニのシークエンスを担当され、以後もずっと第一線で活躍し続けてこられた奥山玲子さんがすでに今年5月にお亡くなりになっていたことが、ご夫君の小田部羊一さんから明かされたのです。
 大変なショックです。常に颯爽として美しかったお姿が今も目に浮かびます。優れたアニメーターであり銅版画家でもあった奥山さんのかけがえのない才能を惜しむとともに、少しずつ失われていく大切なものの大きさに愕然とするばかりです。この場をお借りして、謹んでご冥福をお祈りするとともに、今なんとかせねばという思いに駆られるのです。

その18へ続く

(07.09.28)