アニメーション思い出がたり[五味洋子]

その16 あの頃のアニメ(3)

 『巨人の星』に2年遅れて1970年4月から放送が始まった虫プロ制作の『あしたのジョー』では、この作品で初めて私は、富野喜幸(現・由悠季)さんの名前を意識しました。富野さん自身は『鉄腕アトム』の昔からTVアニメに関わっておいでなのですが、私が意識し出したのはここからなのです。それは、いつか書いた、スタッフの名前をメモすることを始めた時期とも関係あるのかもしれません。意識と言っても、その印象は失礼ながら、何だか地味な回ばかりをやっている演出の方だなあ、というものでした。ジョーとライバルたちの対決等の華々しい回は崎枕(=出崎統)さんたちが手がけており、富野さんはいわば「つなぎ」に当たる話を手がけることが多かったことからきた印象でしょう。後に見返すと、富野さんは、そうした一見地味な、ストーリー的には大きな動きのない回で、キャラクターの感情の機微を表わす芝居を試みていることが分かるのですが。私の富野さんに対する印象がリアルタイムで好転するのはそれからやや後、富野さんが初の総監督を務めた『海のトリトン』(1972年)の最終話での、善悪の概念が一気に覆る衝撃の展開を目の当たりにしてのことでした。

 当時、他に目を引いたのは1968年9月からの『サスケ』、1969年4月からの『忍風カムイ外伝』でした。両作とも(現)エイケンの制作で、原作の白土三平調を忠実に再現した画風と鮮烈な色彩に驚かされました。まだモノクロの作品も多かった時代です。
 思えば、エイケン(旧・TCJ)というのも不思議な会社です。歴史的にはテレビCMの制作会社を前身とし、1963年9月の大人向け深夜アニメ『仙人部落』という異色作をスタートにTVアニメに参入、同年10月には『鉄人28号』で日本初の巨大ロボットアニメを始め、11月の『エイトマン』ではSF色豊かな脚本と、桑田次郎の原作マンガのクールなイメージを生かした作画で大人びたムードを放ち、その後も続々と作品を送り出し続けながら、現在まで社命を保っています。そんな長い歴史と力量を持ちながら、他の、同じようにTVアニメの草創期近くから活動してきた東映動画、虫プロ、東京ムービー、タツノコプロ等々が、あるいは社名を変え、時に危機に陥りながらも、会社としてのカラーを持ち、社を代表する演出家やアニメーターが輩出しているのに比べれば、歴史の表舞台に立つことも少ないように思えます。途中から作品歴にファミリー向け作品が多くなり、現在では放送中の作品がアニメ的な魅力に乏しい『サザエさん』『親子クラブ』であることも注目度に関係しているのでしょうか。最近では「アニメーションノート」4号(誠文堂新光社)の記事のように、日本で唯一デジタルに移行しないセルアニメシリーズ『サザエさん』の制作会社という一風変わった注目のされ方をしていたりします。また、当サイトの書籍紹介によりますと『文化としてのテレビ・コマーシャル』(世界思想社刊)の中に『テレビ黎明期のCMアニメの実態 ビデオコレクション「TCJの歴史」を手がかりに』という章があり、TCJがTVアニメ時代に素早く対応できた理由なども考察されているそうですが、同社がアニメ史に果たした役割は少なくないものがあると思います。

 さて、この頃はアニメ映画も様々な作品が現われました。アニメラマと称する虫プロの大人向け作品『千夜一夜物語』(1969年6月)、『クレオパトラ』(1970年9月)もそうです。これらが作品として成功していたかどうかは微妙ですが、アニメの裾野を広げる役割は果たしていたことでしょう。一手塚ファンとしては、手塚氏のメタモルフォーゼ志向をスクリーンを通して実感するという楽しみはありました。売り物の「エロティシズム」については、田舎の女子高生が何のためらいもなく劇場に入って鑑賞できたということで推して知るべしではありますが。
 同じ虫プロということでいえば、1970年3月の『やさしいライオン』は、絵本調の柔らかな画面とミュージカル形式に、演出も務めた原作者・やなせたかしさんの持つ叙情味がよくマッチしており、悲劇的な内容でありながら、やなせ作品が時として持つ過度な自己憐憫が社会批判の方向を向いて発露されているために一段昇華されたものとして印象的です。
 印象的といえば、これは実は後にTV放映で見たのですが、1968年10月に大映系で公開されたという『殺生石 九尾の狐と飛丸』は、色トレスを多用した独特のアクの強い画面が脳裏に焼きつくカルト作で、初めて見た時には衝撃を受けたものです。制作は日本動画、演出は八木晋一、作画監督・キャラクターデザインは杉山卓の各氏と資料にはあり、演出の八木氏とは、杉山卓、影山勇、岸本政由ら三氏の共同演出によるペンネームとのことです。

 前述のアニメラマや、さすがに私は見ていませんがレオプロダクションのポルノアニメ『(秘)劇画 浮世絵千一夜』(1969年10月)を含め、こうした異色作がスクリーンで公開されたこの頃はアニメ史に限らず時代そのものが混沌とした特異な時期だったような気がします。そんな思いでTVに目を移せば、1970年4月からのバラエティ番組「祭りだ! ワッショイ」の中の『おたのしみアニメ劇場』のコーナーで、歌謡曲を題材に毎回異色のショートアニメが連発されて驚かされたものですし、一方、特撮映画に目を向ければ、噴出する時代の情念が今も異彩を放つ「ゴジラ対ヘドラ」が同じ1970年4月に公開されています。これらは、混迷を深めながらも過ぎつつあるアナーキーな時代を映すものと言えるのではないでしょうか。
 余談ですが、当時、映画といえば忘れられない体験があります。学園紛争がモチーフの実写映画「いちご白書」(1970年)を見に行った時のこと。警官隊が突入して学生たちを力ずくで排除しようとする場面で、場内から若い男性の「やめろー!」という叫びが上がったのです。学生運動、反権力。そうしたことが切実に身近な時代の1コマでした。

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(07.09.14)