アニメーション思い出がたり[五味洋子]

その122 フィルムはなぜ?——杉本コレクションの行方

 長い転勤生活の間にはいくつもの悲しい別れがありました。それぞれに冥福を祈る中で今も心に翳りを残すのは杉本五郎さんのことです。
 杉本さんについては連載第100回でも書きましたので重複は避け、ここでは日本一の質量と言われた杉本さんのフィルムコレクションのその後について書きます。
 生前の杉本さんは私たちアニメファンには惜しみなくそのフィルムを無償で貸与、あるいは自ら映写機を回して見せてくださいましたが、その生計はTV局や映像制作会社に記録フィルム等を貸し出した料金で立てられていました。それが大日本フィルムという会社です。杉本さんの死後は、長く助手を務めてこられた金子啓次さんが管理していましたが、やがてその金子さんも亡くなり、杉本さんのフィルムコレクションが遺されました。
 誰もがフィルムのその後を案じていた中で不可解なことが起こり始めました。私が初めて目にしたのはNHKの番組のEDでした。後継者のいないはずの大日本フィルムの名が資料提供で流れたのです。使用されたのは古いニュース映像の一部と思われます。フィルムというのは焼きや傷の入り具合によって癖がありますから、杉本さんのフィルムだということは見れば分かります。大日本フィルムの名はしばらく続き、ある頃から別の社名に変わりました。前後してある噂が流れてきました。

 以下は事の次第を不審に思い調べてみた結果です。すでに時効とはいえ重大な事実を含むので匿名で書きます。内容については出来事に関与した者、および第三者からの証言を得ています。

  • 杉本さん所有のフィルムコレクション(以下、杉本コレクションと表記)は杉本さんの死後、助手の金子啓次さんが管理していた。
  • 金子さんは独身のまま死去し、相続人のない杉本コレクションが遺された。
  • 遺産は国庫に接収されることとなったが、室内には現金、預金通帳の類は見当たらず、フィルムについては東京地裁八王子支部が東京国立近代美術館フィルムセンターに引き取りを打診。
  • フィルムの相続に関して血縁関係のない複数の人物が名乗り出たがいずれも却下された。
  • 相続の係争中、フィルムセンターの担当者と弁護士が福生の杉本さん宅に赴いたところ、封印が動かされた形跡があり、フィルムが置かれていた場所の一部が空白状態になっていることを発見した。
  • 後日、センター職員がフィルムを運搬。持ち帰ったフィルムを検品したところ、アニメーション、ニュース映像、記録映画を中心にしたフィルムがあらかたなくなっていた(注:杉本さんとセンターとは親交があり、おおかたのフィルムについては把握している)。
  • 杉本さん宅周辺住人が、センターの搬送より先に若い男性たちが車で乗りつけ大量の荷物を運び出し持ち去るのを目撃している。
  • 一連の行為は刑法の住居侵入罪、窃盗罪に当たるが弁護士判断で不問に処された。

 その後、フィルムセンターで検品したフィルム缶の一部からかなりまとまった額の現金が発見され、相続人不在のため国庫に収められたとのこと。杉本さんと親交のあった方の話では、裁判で万々一の敗訴の際の賠償を考え、またその後のコレクション再開の資金にと密かに貯めておいたお金であろうとのことです。杉本さんはその存在を秘密にしたまま逝かれたのです。現金や通帳を誰がどうしたのかは定かではありませんが、この遺産までが奪い去られなかったのは、この事件の中で唯一の救いであろうかと思われます。
 前述の、ある噂とはこの事件と実行者についてのものです。それについてはここには書きません。杉本さんと関わりのあった人、およびその周辺の誰もが知る事柄です。公然の秘密どころか、当人自らが公言さえしています。しかし、不問に処されたとはいえ犯罪行為であることに変わりはなく、昔から杉本さんと親交のあった方々は皆この事件に対して今も激しい感情を抱いています。
 そしてそれ以上に懸念されるのはフィルムの劣化です。私などが言うまでもなく、フィルムは生き物です。適切な場所に保管し適切なケアをし続けなければ劣化してしまいます。たとえ死ぬまで自身でそれができたとしても、その後もそれは必要です。後継者の、そのまた後継者がいなくては成り立たないことです。最近の地震の頻発をみても日本中どこがいつどんな災害に遭うかも知れません。それから守り、万一の場合の修復は可能でしょうか。今後はデジタル変換してのデータ保存も必要になってくるはずです。事件当時は先々のことは考えもしなかったでしょう。でも友人知己の物故の続く昨今、明日はどうなるか分かりません。フィルムの保存のためには公的機関に委ねるのが一番ではないでしょうか。コレクションが今そこにあることは杉本さんにとって本意でしょうか。私は協力者から直接実行時の話を聞きました。「あの頃は何も知らなかったから」と、その人は悔いていました。

 フィルムセンターではフィルムの保護活動を進めています。寄贈されたフィルムは修復され、あるものは「発掘された映画たち」のタイトルで企画上映され一般に公開されています。私が鑑賞した回では寄贈者の方がセンター職員からの紹介を受け、満場の拍手を浴びて晴れがましい様子でした。私にはその方が杉本さんとだぶって見えてなりませんでした。フィルムが今どんな状態におかれているかは知りませんが、経年劣化が確実に進んでいることは否めないでしょう。取り返しのつかないことになる前に決断を、杉本さんに大恩を受けた1人として切実に願ってやみません。

その123へつづく

(11.12.16)