アニメーション思い出がたり[五味洋子]

その12 白雪姫

 『白雪姫』は高崎市内の映画館で観ました。夏休みのリバイバル上映の時です。平屋の小さな館で、今はもうありません。その頃、テレビで淀川長治さんが映画について自在に語る帯番組をお昼に放映していたので、それを見てからバスで出かけ、当時の映画館は入れ替え制がありませんでしたから、一度入ったまま、午後一杯を館内で過ごしました。
 併映はディズニーランドの「イッツ・ア・スモールワールド」を題材にした映画でした。それなりに面白かったとは思うのですが、さすがに何回も繰返し観るほどではなく、その時間はロビー(というより廊下?)に出て、バスケットに入れて持ってきたビン牛乳と菓子パンの間食をとったり、本を読んだりして過ごし、それが終わる頃にまた中に戻って『白雪姫』を観ました。日に2、3回は観ています。これは多分、手塚治虫氏の文章によく出てくる「ディズニーの『バンビ』を40回以上観た」というのを、自分なりに真似をしていたのだろうと思います。でも、肝心の映画がよくなくては真似をしようとしてもできるものではありません。私にとって『白雪姫』はその点、完璧でした。
 ディズニー映画は、東映長編、東宝特撮映画と共に幼い頃から映画館で親しんできました。時には三者の上映期間がカチ合って、どれかを選ばねばならないということもありましたが。『白雪姫』はそれまでに観たどのディズニー映画よりも好きな作品です。
 実は私はディズニーアニメ全般をそれほど好いてはいないのです。素晴らしい色彩や、贅沢なアニメート、優れた音楽、マルチプレーンをはじめとする技術開発等々には、本当に感嘆を惜しまないのですが、卑屈な上目遣いをしたミッキーマウスの笑顔や、ドナルドダックの狂騒や、アメリカ的なオーバーアクション、最終的に解決されることとはいえ、はみ出し者が執拗に虐められる展開や、ケバケバしいアメリカン・ビューティなヒロインたちが、どうにも好きになれないのです。
 ディズニーの短編の中では昔も今も『丘の風車』が一番好きというのは、いわゆるディズニー・キャラクターが出てこない、鳩やネズミもキャラクタライズされていない、自然の映像詩であるからだと思います。同じ理由で『ファンタジア』の『くるみ割り人形』のシークエンスも大好きです。でも、かつて胸を衝かれる思いで観た『みにくいあひるの子』を例にとれば、その豊潤なアニメートと研ぎ澄まされた演出力に今も感嘆しますが、こちらの許容力が減少していくのか、幼いあひるの子をあそこまで追い詰める展開に年々耐えられなくなっています。こうした展開にはウォルト・ディズニーその人の生い立ちが影響しているのではないかとも言われますが、そうした分析はまた別の話。
 ともあれ、『白雪姫』は、昔も今も変わらずに私の胸で輝き続けています。落ち着いた暖かみのある色彩。ふっくらと東洋的で親しみ深く、美女というより野暮ったくもある姫の顔の造形(だからこそ、最初にボロをまとって床を磨いているシーンが、お姫さまが虐められているように見えない)と、この世のものとも思われないその歌声(吹替え版しか公開されなかった当時、どんなにその本物の歌声を聴きたいと願ったことでしょう)。七人それぞれに象徴的な性格分けがされているために嫌味な感じを受けない小人たちの存在。考えに考え抜かれたことが時を経るほど理解されてくる展開の巧みさと、残酷でさえある原作のアレンジの仕方の妙。『眠れる森の美女』の魔女マレフィセントといい、悪女の芝居を描くことが実に上手いディズニーアニメの中でも筆頭格に魅力的な継母の女王と、グロ派と称されるディズニーアニメーターの一派の昇華された描写力。複数の作曲家による音楽の豊かさと、いくつもの耳馴染みよいナンバー。とりわけ、小人の家のダンスシーンでグランピィが弾くパイプオルガンの、設定と動きと音楽が一体化した絶妙さは絶句ものです。
 そして、そう、そのグランピィの心が次第に融けてゆく過程の見事さ。「グランピィへ」と記してある姫の作りかけのパイと、姫の危機を察知して誰よりも早く「行こう!」と駆け出すグランピィ。このカットは何度見ても胸迫るものがあり、泣いてしまいます。過度に擬人化も洗練もされていない森の動物たちの柔らかなラインもとても好きです。『白雪姫』は、私にとってひとつの大きな夢のかたまりです。人生に「いつまでも幸せに」なんてないと思い知らされるたびに、それはお伽話としての輝きを増していく玉のような存在です。
 『白雪姫』に対する批判は百も承知です。命の危険も忘れて動物たちと掃除に励み、森の小屋で寝入ってしまう姫は確かに「バカ娘」です。でも、そんなところを含めて、ひとつの夢として、私は『白雪姫』を丸ごと愛しているのです。『ホルス』の、その欠点を知り、認識した上で、作品を受け入れていく鑑賞の仕方とは180度違う受容の仕方として。実写を参考にした動きは、王子はともかく、姫に関してはきちんとアニメーターというフィルターを通した動きになっていて魅力的と思います。ディズニーアニメは動き過ぎて気持ち悪いという意見に関しては、生まれた時代をお恨みなさいとしか言えませんね(笑)。歓びの幅は広い方が幸せなのですから。

その13へ続く

(07.07.20)