アニメーション思い出がたり[五味洋子]

その8 中学、そして高校時代

 1967年、虫プロ商事から「COM」が創刊されました。私がまだ中学生の頃です。前にも書きましたが、私の住む町には本屋さんがなかったので、「COM」の創刊号との出会いは奇跡に近い出来事です。たまたまバスで出かけた市内の、今はもう取り壊されてしまったデパートから続く小さな商店の並びの一番端、本屋さんと呼ぶよりブック・コーナーと言った方がいいような小さな一角の前に「COM」の創刊号が置かれていました。手塚治虫氏のライフワークである「火の鳥」の表紙が輝いて見えたものです。「火の鳥」や、石森(石ノ森)章太郎さんの「ジュン」、公募から出てきた岡田史子さんの一連の短編……随分と影響を受け、また愛読したものです。
 「COM」は連載と単発のマンガに情報ページ、評論、「ぐら・こん」という読者投稿とマンガ家予備軍の集いのコーナー等から構成されていました。当時、『鉄腕アトム』と『ジャングル大帝』ですっかり虫プロのファンになっていた私は、「COM」の随所に虫プロ関連のニュースが載っているのを嬉しく読み、TVの『悟空の大冒険』『リボンの騎士』『バンパイヤ』等の虫プロ作品は欠かさず見ていました。

 少し戻りますが、私が中学に上がったその年に、近隣の公立中学4校が合併した大型中学校が新設されました。中学生といえば人生で最も活発な時期。そこへもってこの中学合併は大事件で、校内は活気にあふれていました。私も、それまで幼稚園から一貫した地域の間で固定してしまった、おとなしやかなイメージを知らない新しい友人関係が出来、その中で、自分に隠れたリーダーシップがあることを自覚したりもしました。
 この、中学合併という一種のお祭りがなかったら、私はずっと片隅にいる引っ込み思案な女の子のままだったでしょう。実は中学時代の健康診断で私は背骨に異常が見つかり、それから長い間、固くて重く身体を屈めることもできないギプス・コルセットを装着して生活するようになるのですが、片思いあり友情ありの、太陽のようなこの時代のおかげで、体育の授業は全て見学せざるを得ない自分にコンプレックスを抱くことも全くなく過ごせたのは、今振り返っても得難いことだったと思います。
 そのような中学時代を経て、私は県内有数の進学校である県立女子高に進みました。市内へのバス通学で、放課後に自由に書店巡りができるようになったのも嬉しいことでした。
 クラスでは図書委員を務め、これは中学の時に読書クラブの部長として、他校との交流会等を切り盛りしてきた私にはぴったりでした。
 選択授業は美術を選びました。担当は豊田一男先生。日本における蝋画(ろうが)の創始者の方です。蝋画というのは、下塗りをした絵の上に蝋をひき、鉄筆等でそれを削って墨汁や絵の具を流し込むことで独特の効果を出す手法で、教え子の中からは先生の手法を継いで大成した女流画家も出ています。すでに高齢だった先生は終始穏やかに優しく、授業の始めには前回の授業の提出画から優れた作品をいく枚か選んで黒板に掲示し、どこがよいのか、どう工夫したらよりよくなるかを丁寧に説明してくれ、時には校外授業で、ご自身の作品も収蔵されている美術館へ皆を連れていってくれました。豊田先生はもうお亡くなりになりましたが、ものを見、表現する力を育ててくれた、私の恩師の1人です。

 この頃から私は、見たアニメ作品についてのデータと感想をメモに取ることを始めていました。データといっても、手帳サイズのリングノートに、新聞紙面や作品のスタッフタイトルを元に、サブタイトル、放送年月日、脚本、演出、美術、作画監督の名を走り書きし、特に感銘を受けたものには感想を記す程度のものです。それらのスタッフが作品作りにおいて重要なポジションであることはすでに知っていました。一度では書き留められない人名も、同じ作品を毎週見ていくうちにあるローテーションで同じ名前が出てくること、それらの名前と作品のでき栄えに一種の相関関係があることに気づくようになりました。マニアックな視点の芽生えです。続けて行くうちに、絵の感じや演出の特徴から逆算してスタッフを類推することもできたりするようになっていました。
 アニメ雑誌はおろか、情報というものがほとんどない時代のことです。当時のアニメファン、特撮ファンのどれほどの人が、TVの前で同じようなことを全国で潜在的、同時多発的に始めていたことでしょう。私はアニメだけでなく、東宝の特撮映画や「ウルトラQ」からのウルトラシリーズの円谷特撮は欠かさず見る特撮ファンでもあるのですが、それらは3歳下の弟、富沢雅彦に任せる、いわば情報の棲み分けをしていました。
 当時は深夜アニメなど当然なく、TVアニメの放映本数も多くて週に10本を越す程度。もちろん全てを見ていたわけではありませんが、これはと思う作品のかなりを押さえていたと思います。こうした情報への強い欲求が後の熱心なファン活動へとつながって行くわけですが、それはもう少し先のことです。

その9へ続く

(07.05.25)