アニメーション思い出がたり[五味洋子]

その9 スクラップブック

 高校で図書委員の仕事をするうちに若い女性の司書の先生と仲良くなった私は、司書室の奥にある非閲覧用の書庫の中で、新聞の縮刷版の存在を知りました。縮刷版とは、日々の新聞を縮小印刷して年月別に雑誌のようにまとめたものです。データベースもない時代、それは情報の宝庫でした。中に、アニメ作家の久里洋二さんによる小さな連載コラムがありました。久里さんの名前は『みんなのうた』で知っていましたが、久里さんはそのコラムの中で簡単なアニメの作り方や、カナダのアニメ作家ノーマン・マクラレンについて書かれていました。それまでに雑誌等でパラパラマンガの延長のようなアニメの作り方を読んだことはあったと思いますが、作家として、TVや映画以外のアニメーション作品が作れることを知ったのは、もしかしたら、この時が最初なのかもしれません。ノーマン・マクラレンの名を覚えたのも、この時だったと思います。
 学校図書館の蔵書で飽き足らない私は、夏休みを丸まる使ってバスで市立図書館に通い詰め、10数年分ほどの新聞縮刷版を読み通しました。館外持出禁止、閲覧も係員の目の届くところでという決まりなので、毎日、古い順に数冊の閲覧を申し込んでは、カウンターから少し離れた簡易テーブルに移って目を通し、アニメ関連の記事や評があると、それを手書きでレポート用紙に書き写しました。なぜ手書きかというと、この頃、コピー機は紫色に仕上がる湿式コピーが公用に出始めた頃で全く一般的ではなく、仮にコピーできたとしても当時の機械では写真などは潰れてしまって用を成さなかったからです。学校内で配布されるプリント類もワラ半紙にガリ版刷りが当然の時代でした。今ならパソコンのクリックひとつで何でも検索可能なのですから、手書きで何万字にも及ぶその労力は想像もつかないことと思います。若さゆえの無謀とも言えますが、でも、そうやって一文字、一文字書き写すことで、私は文章の組み立て方や批評の書き方を学んだような気がします。
 当時は、今のようにオタク専科のような記者さんもいなかったはずですので、記事の割り振りはおそらく公平、作品を見る目もアニメだからと手心を加えることもなく、一般の映画と同列に厳しかったろうと思います。当時はまだ「テレビまんが」と呼ばれていた時代ですが、新聞のテレビ評のコーナーでは、他の番組といわゆるテレビまんがを分けて論じることはなく、優れた作品であればジャンルにこだわらず取り上げ、論評していました。今も覚えているのは、読売新聞で「質向上するタイガーマスク」の題で、『タイガーマスク』の第55話「煤煙の中の太陽」を取り上げた評と、『みなしごハッチ』の第38話「ゆずり葉の歌」を取り上げた評です。当時のアニメは、今の一部の作品のように作り手も見る側もオタク同士という一種の共犯関係にあるものは見当たらず、大人が真剣に子供に向かって、あるいは視聴者全般に向けて作られていたと思います。見る側も、スタッフや制作会社に対する知識もない分、かえって惑わされることなく作品そのものに向かい合っていたような気がします。だから、前記の評は、大人が真面目にアニメに向き合って評してくれたものとして、読んでいて非常に力づけられたのです。こんな風に、優れた作品には偏見なく接し、論じ、賞賛すること。この時学んだ姿勢は今も私の中に根づいています。

 図書館では、中学時代に片思いと思っていた男の子と再会し、高崎城の城址公園まで共に歩いて夕暮れまで話し込むという思いがけない出会いもありました。といっても、すでに互いの家も遠く、何より当時はメル友どころか、家庭用の固定電話すら全戸には普及していない頃でしたから、その後何の進展もなかったのですが、一途な日々の中の小さな思い出です。

 手書きのレポート用紙が何冊もたまると、今度はそれを項目別に切り分けて年代順にスクラップブックに貼っていきました。スクラップブックは、用紙に升目が入って使い易いマルマンのものを愛用していました。縮刷版からの写しを貼り終わったところからは、現在の新聞記事の切り抜きと、折々に見たアニメの感想をこれもレポート用紙にまとめたもの、そして、出身の小中学校を回って、校内掲示用のグラフ誌の古い物を譲ってもらい、アニメ関連の記事を切り抜いて一緒に貼りました。グラフ誌はオールカラーで写真も大きく、スクラップブックの中でとても見栄えがしました。
 これらがひと通り完成すると、懇意にしていた司書の先生に見てもらい、意見を仰ぎました。1冊目の表紙の裏には「はじめのおわりに」と題する前書きをつけました。「はじめ」というのは、自分のアニメーションに対する思いの具現化の第一歩、「おわり」は、その第一段階という意味です。編集というには余りにも幼いものでしたが、後にアニドウで手書きからの『FILM 1/24』を担当するはるか以前から私にはそうした志向があったこと、そしてそれに目を通してくれる人の意見や感想をとても大切にしていたことを懐かしく思い出します。
 これら数冊のスクラップブックと、前回書いたアニメ作品のデータと感想を記した数多くの手帳。若き日の情熱の詰まったこれらを、私はその後、引越しを繰返しながらも10数年間そばに置いて大切にしていましたが、とある事情から他の資料と共に自ら全てを廃棄してしまうに至ります。思い出すこともつらいその事情については、いずれ記さねばならないことでしょう。

その10へ続く

(07.06.08)