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COLUMN
アニメ様の七転八倒[小黒祐一郎]

第19回 『ギャートルズ』四方山話(2)
地平線の彼方に、男の人生を見た

 DVD-BOX解説書の作業をやるにあたって、メーカーさんから『はじめ人間 ギャートルズ』のサンプルビデオをいただいて、観返した。
 『ギャートルズ』は本放送でも観ていた。放映開始が1974年だから、僕は10歳か。当時、ほぼ全話を観たんじゃないかと思う。巨大なマンモスの肉を食べたりとか、サル酒を呑んだりとか、そういった原始人達の暮らしぶりを楽しんでいた。それと、例の叫んだ文字が石になって飛んでいくあの表現、あるいはカタキバ折れマンモーとか、死神といった奇天烈なキャラクターも好きだった。まあ、子どもらしく、いかにも子どもが好きそうな部分を楽しんでいたわけだ。
 次に観たのが、1980年代半ばの再放送。僕は大学生で、20歳前後。すでにバリバリのアニメマニアだった。一時期、先輩ライターの池田憲章さんの影響で、毎日放映されるTVアニメの内容やスタッフ名をノートにメモしていたのだけど、『ギャートルズ』の再放送は、それをやっている頃だった。その再放送では、確か最初の数話は観ていない。作画や演出に関して、色々と見るべきところがあったので、喜んでメモをしながら観ていた。後になって1話からチェックしていればよかったなあと、後悔したのを覚えている。
 それから20年。40歳を過ぎて3度目の『ギャートルズ』である。この20年の間に『ギャートルズ』はビデオソフト化もされなかったし、再放送で観る機会もなかったのだ。
 
 観返してどうだったかというと、面白かった。作画や演出に見るべきところも多いが、普通に話だけを観ても面白かった。最初の数話はノリが今ひとつで、あれ? こんなだったっけ、と思ったけれど、2クール目くらいからメキメキと面白くなっていった。一度、ビデオを観始めたら止まらなくなって、6時間くらいぶっ続けで観てしまった事があった。
 原始時代ものに相応しく、話も表現も大らかだし、ダイナミックだ。細かい事を言うと、あまりにもまとまりのない話もあるし、似たエピソードが続いたりする。丁寧に作り込まれたシリーズではないが、それはあまり気にならない。むしろ、乱暴に作られているところも、作品の方向性にあっているようであり、心地よい。
 前回も書いたように『はじめ人間 ギャートルズ』は、「週刊漫画サンデー」に連載された大人マンガの「ギャートルズ」と、学習雑誌に連載された「はじめ人間 ゴン」と「はじめ人間 ギャートルズ」を原作にしている。原作と照らし合わせながらアニメ版を観ると、確かにシリーズ中に、大人マンガを下敷きにしているエピソードと、子どもマンガを下敷きにしたエピソードが混在している。そして、大人マンガを原作にした話は、やや口当たりがソフトになっているとはいえ、やっぱり大人の目線の話になっている。
 今の僕には、圧倒的に大人向けのエピソードの方が面白かった。とうちゃんが若い女に惚れたり、モテる男に嫉妬したり、といった話が印象的だ。シリーズが進むうちに、大人向けのエピソードの割合は減っていく。これはちょっと残念だった。いや、勿論、自分が子どもの時には、子ども向きの話が好きだったのだけど。
 
 大人向けのエピソードの中でも、傑作中の傑作が「ハルカーンドンドンの巻」(6回B・12話 脚本/山崎晴哉 演出/岡部英二)だ。サブタイルがわけがわからないのは、いつもの事である。シリーズの途中まで、ほとんどのサブタイトルがこんなノリなのだ。これは笑いの少ない話で、ちょっとした異色作でもある。この話が観られただけでも、『ギャートルズ』の仕事をやってよかった。
 以下、オチまで紹介してしまうので、DVD-BOXを買って観るのを楽しみにしている人は、読み飛ばすように。最近、とうちゃんの様子がおかしい。やたらと細かい事を気にしたり、すぐに落ち込んだりする。医者に診せると、ハレホレシビラだと言われる。つまり、一種の神経衰弱であると。どうやら、かあちゃんが口うるさく文句を言うのも、ハレホレシビラになった原因であるらしい。
 一方、ゴンとドテチンが地平線の向こうに何があるのかを知りたいと思い、「あっち」へ向かって旅立つ。「あっち」には、まだ誰も行った事がないのだ。このあたりの大雑把な設定は『ギャートルズ』ならではである。かあちゃんに言われて、とうちゃんはゴンとドテチンを連れ返しに行く。ようやく見つけたゴンに、とうちゃんは言う。「おい。なんだって、こんな遠くへ来たんだ」「だって、あっちに何があるか見たかったんだもん」。そう言われた彼は、地平線の彼方を見る。そして、何かを思いつき、ゴンを家に帰して、代わりに地平線の彼方へ向かって歩き出す。どこまでも続く平原を歩いていく姿に、エンディング曲「やつらの足音のバラード」がかぶさる。
 やがて、地平線の向こうから一人の男が現れる。彼は鼻が高く、髪や髭がモジャモジャで、違った言葉を話す。つまり異人である。とうちゃんと彼は立ち止まり、話をする。異人も地平線の彼方に何があるのかを知りたいと思って、こちらに向かって歩いてきたらしい。彼が住んでいるところにも口うるさい嫁さんや、手がかかる子どもかいるのだそうだ。「ハッハハ。こっちも似たようなもんでさ」と、とうちゃん。互いに納得して、2人は自分が来た方向へと帰る。
 家に帰った彼は、地平線の向こうで何があったのか語らずに、ひたすらマンモスの肉にかぶりつく。かあちゃんが、明日から食べるものがないと彼に告げると、「ガハハ」と高らかに笑う。そして、マンモスの肉を食べながら、腹の中で「どこの国でも、男はつらいよな」と独りごちる。これでオシマイ。

 あんまりにもよくできた話なので、驚いた。この話は、小学生や大学生の時に観た記憶がないのだけど、それは当然で、どう考えても子どもに分かる話じゃない。大学生なら頭では理解できるだろうけど、胸にジンとはこないだろう。観ても印象に残らなかったに違いない。
 とうちゃんは家長として働いて、家族を養う事に対するモチベーションを失ってしまったわけだ。はっきりとした理由はない。家族の事が嫌いになったわけでもないし、狩りがつまらないと思ったわけでもない。なんとなくやる気を失ってしまった。で、違った場所に行ったら、何か素晴らしい事があるんじゃないかと思って旅立った。だけど、地平線の彼方で知ったのは、世界のどこに行っても生活は同じ。やるべき事は変わらないという事だった。
 誰もが一度は考える「俺の人生、これでいいのか?」という悩みを、テーマにしている。だけど、毎日働いて家族を喰わせていかなくてはいけないという現実の前では、そんな悩みを持ち続ける事はできない。ガツガツ喰って、スタミナを付けて、明日も働かなくては! その気持ちを女房に告げないところもいい。どうせ、言ったって分かってもらえない。いや、男としては口にすべきではない。それが男の人生だ。
 テーマとしては普遍的なものだし、極めて現代的なものである。それを原始時代を舞台にしたファンタジーの中でやっているのがいい。原始時代だからこそ、中年男の人生の悩みを、暗くならずに描く事ができた。同じ話を現代を舞台にしてやったら、随分と湿っぽい話になっているだろう。
 
 この「ハルカーンドンドンの巻」も、マンガ「ギャートルズ」にあるエピソードだ。中央公論コミック文庫版だと、1巻の最後に掲載されている。『はじめ ギャートルズ』は原作を使うにしても大胆に膨らませる場合が多いのだが、この話では原作をあまりいじっていない。原作は、子ども達(ゴンとドテチンではなく、娘とゴンにあたる息子)が地平線の彼方に歩いていったところから始まる。その後で、とうちゃんに相当するキャラクターが、子ども達を探しに行って、代わりに自分が地平線の彼方を目指す展開も同じ。マンガは異人と別れて、自分の家に帰ろうとするところで終わる。何しろ、たった6ページしかない短いものだ。アニメと比べると、地平線の向こうを目指す動機が弱いし、最後の一押しがない。だけど、カラっとしているし、簡潔だ。これはこれで別のよさがある。
 アニメでは、それに前半のとうちゃんがノイローゼになる部分と、最後の帰ってきてからのシーンを足したわけだ。原作は「どこに行っても、人の暮らしは変わらない」と語ったもので、アニメではそれに「家族を養う男の大変さ」を加えている。その事で、オッサンの胸に染み入る大人のマンガ。大人のアニメに仕上げているのだ。アニメスタッフのナイス脚色である。
 
(2005/08/12)

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■第20回へ続く

(05.07.28)

 
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