アニメ様365日[小黒祐一郎]

第90回 ビデオデッキがやってきた

 前に「僕の家に初めてビデオデッキがきたのは、1981年の秋か年末だと思う」と書いた。前回(第89回 『東海道 四谷怪談』)の原稿を書いてから思い出したが、『東海道 四谷怪談』は録画している。録画して「これは保存しておこう」と思った最初の番組だったかもしれない。保存しようと思ったのは、再放送される可能性が低いだろうと考えたからだ。事実、この作品は再放送される事もなく、永くビデオソフト化もされなかった。近年になってDVD化され、ようやく本放送を録画したビデオを捨てられると思った。
 『東海道 四谷怪談』が放映されたのは、1981年8月16日。という事は、1981年の夏には、我が家はビデオデッキを購入していた事になる。親に無理を言って買ってもらったのだ。わがままな子供だったなあ、と思う。最初のビデオデッキは、東芝のベータマックスだった。若い読者はベータのビデオデッキを知らないかもしれないが、当時はVHSとベータが二大勢力だった。アニメマニアはベータ派が多かったとよく言われる。ただし、我が家がベータだったのは、僕がマニアだったからではなく、近所の家電ショップが扱っていたのが、東芝の商品だったからだ。
 最初に録画した番組は、はっきりと覚えている。夕方やっていた『タイガーマスク』の再放送だ。家電ショップの人にビデオデッキをTVに接続してもらった直後に、試しにテープを入れて、録画ボタンを押してみた。タイガーマスクの必殺技が決まった瞬間で、止め画が続く場面だった。しばらく録画した後、テープを巻き戻して再生したが、止め画ばかりが続いて、ビデオデッキが壊れているのかと思った。止め画が続く場面だから、映像が止まっているのは当たり前なのだが、それでデッキが壊れたかと思うくらい緊張していた。
 その初代ビデオデッキは、相当使い込んだ。壊れては修理に出し、また壊れては修理に出した。ヘッドの交換なんて当たり前。基盤やシャーシまで取り替えた。何度目かに修理に出した時に、サービスセンターのお兄さんが「出荷時の部品がほとんど残っていないですね」と呆れるくらい、何度も部品を取り替えた。そのくらい使い込んだ。
 当時はビデオテープが高価だったので、1本のテープを黒板テープとして使った。つまり、同じテープに何度も録画し、見ては消し、見ては消しを繰り返していたのだ。最初はビデオをコレクションするなんて思いもよらなかった。観たいアニメがあっても、それを気にせずに外出できるようにするため、ビデオデッキを買ったのだ。そのうちに、録画したものの中に、どうしても消したくないものが出てきた。そのうちのひとつが『東海道 四谷怪談』だったわけだ。
 録画を残したいと思う番組が増え、やがて、TVシリーズ丸ごと手元に残したいという欲が生まれた。思えば、そこから修羅の道が始まった。最初にTVシリーズ全話を残したのは、1982年2月に放送が始まった『戦闘メカ ザブングル』だった。全話を録画したとしても、その全てを観返すわけではない。いつでも好きな時に、どの話数でも観られるという贅沢のために、ビデオをコレクションするわけだ。欲は次第に強まり、録画を残すシリーズも増えていった。やがて、再放送にまで手を出すようになった。当時、テレビ埼玉で「謎の円盤UFO」「プリズナーNo.6」といった名作SFドラマの再放送が立て続けにあり、そういったものも録画した。
 僕がビデオデッキを入手した頃、ビデオテープは1本が2800円から3600円くらいだったはずだ。ビデオソフトではなく、録画用のビデオテープの価格だ。1本の値段が2000円を切った時は、本当に嬉しかった。当時の僕のバイト代は、時給500円だった。1本2000円時代なら、4時間働くとビデオテープが1本買えたわけだ。高校時代の僕のバイト代は、ほとんどがビデオテープに化けた。マニア人生まっしぐらだった。
 同じ日に録画したい番組が2本あったら、テープチェンジが必要だった。時間を自由に使うために、ビデオデッキを買ってもらったはずなのに、ビデオコレクションのために、急いで帰るようになってしまった。当時から「これは本末転倒だな」と思っていた。

第91回へつづく

(09.03.23)