アニメ様365日[小黒祐一郎]

第85回 悔しいと思った(番外編3)

 前回に続いて番外編。今日は、アニメに熱中し続けた理由についてだ。僕は子供の頃から、熱しやすくて冷めやすい性格だった。小学生の頃から模型、切手集め、落語など、色んな趣味にハマった(全部インドアな趣味だが)けれど、しばらくするとどれも飽きてしまった。落語なんて、レコードで聴いたり、寄席に通うだけでは物足りなくて、ホールでやる落語会に行ってしまうくらい凝っていたけれど、1年か2年で、熱が冷めてしまった。だけど、中学の時に興味を持ったアニメだけは、まるで飽きなかった。
 アニメに飽きなかった理由はいくつかある。アニメを意識的に観始めた頃、刺激的な新作が次々に発表されていたというのも理由のひとつだ。それから、アニメに興味を持つようになってすぐに、過去に僕が知らない名作や傑作が沢山あるのを知った。それらのタイトルをいつか観たいと思った。新しい作品にも過去の作品にも観たいものが沢山あったので、飽きるヒマがなかったわけだ。また、観ると言っても、話を追うだけでなく、スタッフを気にしたり、作画等の技法的な部分に注目したり、あるいはデテールをチェックしたりと、色々な楽しみ方があった。作品に対するアプローチの仕方についても、バリエーションが豊富だった。サントラを聴いたり、ビデオ録画をしたり、セル画を集めたり、同人誌を作ったりと、色んな方法があった。つまり、僕にとって、アニメは攻略しがいがある対象だった。
 振り返ってみると、年上のアニメファンや、濃い人達に出会ったのも大きい。例えば、アニメショップでできた友達から刺激を受けた。当時は、作品研究を目的にした堅い同人誌もあり、そういったものからも影響も受けた。色んな人の言葉を耳にしたり、意見を読んだりして、「そんな見方があるのか」と思い、「そんな楽しみ方があったのか」と驚いた。勿論、アニメ雑誌の記事からも同様の影響を受けている。アニメ雑誌の濃い記事を読んでも、その記事の背後に、アニメを楽しんでいる編集者やライターの存在が感じられた。世の中に、自分が知らないポイントに着目して、アニメを楽しんでいる人がいるという事を知ると、少し悔しいと思った。自分でもおかしいと思うのだけど、悔しいと思った。悔しいから、自分も意識して、それと同じように楽しむようにした。そのために努力もした。
 30年も前の事なので、もう記憶が曖昧で、具体的な例を挙げるのが難しい。以下は喩え話だが、アニメの美術に興味を持っているファンがいて「あの作品の背景はここが凄い」と熱く語っていたのを聞いたら、その後で、自分も背景を気にして観るようになる。あるいは、友達が声優が好きで、声優をポイントにして作品を楽しんでいるという話を聞いたら、自分も声優を気にして観るようになる。そんなパターンを繰り返していた。
 こんな事があった。これは大学に入ってからの話だが、ある敏腕若手演出家と話をする機会があった。東京ムービーのギャグアニメの話題になり、その演出家は「東京ムービーのギャグアニメなら『元祖天才バカボン』よりも、旧『天才バカボン』の方が好きだ」と言っていた。僕は『元祖』の方が傑作だったと思っていたので、彼の意見がちょっと意外だった。その演出家は「旧『バカボン』の芝居がいい」と言うのだ。説明を聞くと、彼が言っている事は筋が通っている。筋が通っているし、「旧『バカボン』の芝居がいい」という発想は、当時の僕にはなかった。リミテッドな作画の魅力は知っていたが、ギャグアニメで丁寧な芝居やる事の面白さが、まだ分かっていなかった。それが悔しかった。自分が知らないポイントだったから、そのポイントを気にして旧『バカボン』を観ようと思った。『バカボン』のビデオが入手できたのは、それから数年経ってからだった。ビデオでチェックして「なるほど、これが、あの人が言っていた芝居か」と思って感心した。
 自分が知らない「アニメを楽しむポイント」があると悔しい。色んな着目点でアニメを楽しみたい。学生時代の僕はそう思っていた。いや、実は今でもそう思っている。

第86回へつづく

(09.03.13)