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アニメの作画を語ろう
animator interview
うつのみやさとる(4)


うつのみや どういう事ですか?
小黒 つまり……うつのみやさんは、そもそも、それまでのアニメーターの方々と、物の形の捉え方が違っていたと思うんです。
うつのみや それはどの点を指して違うんでしょう?
小黒 それはもう、うつのみやさんが『イッキマン』とか『ウインダリア』で原画を描いていた頃から変わらない、独特なものがあると思うんですけど(注16)
うつのみや ああ、なるほど。そうかそうか。その点については話していませんでしたね。僕の中でいろんな時期があるんですよ。それは時代背景にもよるんですけど、僕が大平君達と同じ世代に生まれていれば違ったんでしょうけれど、現実から出発したフィルムを作ろうという意識は、最初の段階で諦めてしまっていたんです。それで、それ以外の方法はないかという事で、色々と変わった事を、変わった事をとやっていた時期があるんですよ。結局、それが自分のアニメ歴にもどうしたってフィードバックされて、今の自分が形作られるわけですけどね。あの当時は意識して、変わったものをやってましたね。
小黒 当時、『イッキマン』の時にうつのみやさんが原画を描いたシーンを観て驚いたんですよ。主人公のイッキが海に落ちるシーンだったと思います。友達がスタッフとしてその作品に参加していたので、「あそこの原画を描いたのは誰?」と訊きましたよ。それで、そのシーンの原画を見る機会もあったんですが、これも凄かった。なんて不思議な原画を描く人なんだろう、と思いました。波しぶきを、物体として描いてらしたんですよね。「こういう形の物体なんです」って。普通はもっと記号として処理すると思うんですけれど。
うつのみや ええ。
小黒 あの時に、うつのみやさんが提示していたのは、「立体をちゃんと描く」という事だったと思うんですよ。それまでも、森本さんやなかむらさんもやってらした事だとは思うんですけど、それをかなり意識的にやっている印象がありました。
うつのみや そうですね。確信的にやってましたね。水も物体なんだから、物理法則の影響は無視しないで描こうとは思ってました。
小黒 キャラクターの方も、似てる似ていないではなくて、ちゃんと立体としてフレームの中に描くんだ、という意識があった。いや、多分、そのせいで似なかったんですよね。その意識が『御先祖様』にそのままつながっている印象があるんです。
うつのみや ああ、そういう部分は仰るとおりだと思いますね。誤魔化したくないという意識はありましたから。「目がここに付いているのなら、この角度ならこう見えるだろう」って。いや、ホントに今でもキャラクターは恐ろしく似ませんけど(笑)。いつ頃から変わった事をやり始めたのかなあ。『カムイ』までは普通に描いていたような気がするんですけど。いつからか変わった事を、変わった事を、というふうなスタイルになって。井上君から「どこへ行くんだ?」みたいに言われた事もありましたね(笑)。
小黒 漫画指向というよりはリアリズム指向。
うつのみや リアリズム指向……とは言えないですね、その当時は。
小黒 でも、様式美よりはリアリズムなんですね。
うつのみや 根本的にはそうなんですけどね。自分は画が下手なので、シンプルな絵柄を描いていますから、スタイルとしては様式的になりますが、映像的にはリアルにしたいですね。
小黒 下手という事は、ないでしょう。
うつのみや いえいえ。
小黒 それまでにも「動かすためにはキャラクターはシンプルな方がいい」とか、「骨格はちゃんと描くんだ」とか、言われてはいたわけですけど、実際にはなかなかそんなキャラクターでアニメは作れませんよね。『御先祖様』って、それをやっちゃった作品じゃないんですか。
うつのみや そうかもしれませんね。
小黒 そういう点では、かなり究めたんじゃないですか。大塚さんの時代でも『ルパン』なんかは、もうちょっと複雑でしょう(笑)。
うつのみや まあ、あんまり凝った事をやると、スケジュールが間に合わなくなるような気がしたのが一番だったのかなあ。カッコいい画も描きたいんですけどね、やっぱり向き不向きがありますから。
小黒 いえいえ。やっぱり装飾性を排して、という意識はあったんでしょう?
うつのみや ある程度意識して排除しましたね。不思議なもので、ずっとそういうスタイルでやっているとデコラティブな画が描けなくなってきた、というのもあったんですけど。
小黒 もともと、学校で画を学んだりしていたんですか。
うつのみや 一応、工業高校のデザイン科に通っていましたけどね。
小黒 じゃあ、デッサンなんかは、やっているわけですね。
うつのみや あ、デッサンは巧いですよ。自分で言うのもナンですけど。何か見て描くのは、巧いんじゃないかな(笑)。ただ、それと何もないところで、一から画を描くというのとは違いますから。そっちの方がハイレベルですよ。
小黒 なるほど。確かに所謂絵画と、アニメとはまた違いますよね。アニメは通常は、実際の山を見ながら背景を描くわけではない。
うつのみや そう、いろんな方法論がありますよね。だから、楽しいんですけど。だから、僕みたいに、そんなに巧くなくても、色んな方法論使って、色んな事ができて、いいんじゃないでしょうか。
小黒 ふむふむ。
うつのみや あの、ここで、最近考えている事を言ってもいいですか。
小黒 どうぞどうぞ。
うつのみや 残念ながら『人狼』はまだ見ていないんですけど、それでも断片的に仕上がったものは見ているので、そこで抱いた印象があるんです。それに、最近はCGも台頭してきたという現状もあって、これからアニメーションはどうなるのかっていう事が凄く知りたいんですよね。だから、他の方の意見も、この「WEBアニメスタイル」で、凄く聞いてみたいと思っているんですよ。そのために、まずは自分から石を投げようと思うんですけど。
小黒 はい。
うつのみや やっぱりね、僕らがやってきた事っていうのは、もう――敢えて言いますけど――どんどん無意味になってしまっているんですよ。最初に挙げた、うめだりゅうじ君がいかに凄い事をやっていたって、今ではCGの演算処理でできてしまいますからね。そうなると、僕らの必要性そのものが疑わしい、とさえ思うんですね。もう、絶滅する動物のようなものではないかという危惧があるんですよ(苦笑)。
 でね、僕も3Dソフトをちょっといじって分かったんですけど、もう僕でも3DCGが作れちゃうんですね。で、作った3DCGをセルシェーディングすれば、普通のセルアニメに見えるんです。そのクオリティについても、『八犬伝』の1話とか「浜路再臨」、あるいは――細切れのフィルムで判断するのは非常に失礼だけども――『人狼』までも、技術でアニメーターの足りない部分を補えば、できるものだと思うんです。
小黒 つまり、そんなに腕のよくない人でも、あのぐらいのものができるようになるだろう、と。
うつのみや ええ、そういう気が凄くしているんです。勿論、それにはいい面と悪い面があって。いい面というのは、完成度の高いフィルムを量産できる時代になる、という事ですね。僕らの後に出てきた、フルアニメをやろうとした人達っていうのは、さっきも言ったように生活を捨ててまで、玉砕戦法で作っていったけれども、CGというツールを使えば、玉砕せずに量産して長編が作れると思うんです。あとは、一番最初に僕が感じた、アニメーションそのものに対する絶望感を取っ払ってくれるという事です。もの凄く複雑なカメラワークや、画面上の大勢の人を同時に動かす事が可能になる。そうした、フォローできる範囲が、凄く大きい。 ただ、そうなると、淘汰されるアニメーターも多分出てくる気がする……。昔ならアニメーターが描いていたメカアクションを、今、CGが肩代わりしている作品も実際にありますしね。そういうふうにアニメーターの存在意義が脅かされるというマイナス面もあるんですね。
小黒 脚本家や小説家の仕事で言うと、手書きからワープロ打ちに変わったのと同じですよね。ちょっと前まで「モノ書きが、ワープロみたいな便利な道具で書いていいのか」みたいな事を言う人がいたわけですよね。で、さらに遡ると、「小説家は万年筆なんて、そんな便利な道具で描いてはいかん」という時代があったわけです(笑)。まずは、墨をするところからやらねばイカン、と。
うつのみや 「過程が大事だ」という発想ですよね。漫画の世界でも同じような事があったらしいですね。手塚治虫さんが、活躍し始めた時期は、描き版だったんです。漫画家の原稿をトレースして、印刷のための版を作る人がいたんですね。で、そういう作業をしていた人に言わせると、「写真製版によってダイレクトに写した物には、味がない。こうやって、一度人の手を経て、再構築するから、そこに味が生まれるんだ。そこに芸術性があるんだ」という事なんだそうです。でも、今はそういう事を言う人はいませんよね。
小黒 つまり、価値観が変化するわけですね。
うつのみや いや、と言うより、誤解して捉えていた部分が消えていくわけですね。
小黒 ああ、そうか。必要以上のところに価値を見出していたのが消えるわけですね。
うつのみや そうです。便利な道具を使う事によって損なわれる部分は、本質的なものではない、という事ですね。
小黒 逆にね、ワープロがこの世に出た頃って、ワープロで書かれたものをもらうと、ありがたかったんですよ。「わあ、綺麗な手紙だ」って。今は、全然、そういう感覚ってないですよね。手書きで長い手紙もらった方がありがたみがあるくらい。そういうふうに、意味合いって、どんどん変わっていってしまいますよね。今、CGは人の温かみがないみたいな言い方をされるけれども、それも今だけの問題でしょうね。結局、「何を表現したいのか」という事が問題になるという事ですよね。ワープロが当たり前になれば、ワープロで印字された原稿の美しさには意味がない。当然の事ながら「何が書かれているか」だけが問題となる。それと同じように。
うつのみや そのとおりだと思いますね。何よりも、僕らの仕事では、できなかった事ができるっていうのが、大きいですね。例えば、歩いている時の、リアルタイムの服の動きっていうのは、何度も僕らは、頭の中の映像を元にシミュレーションし直して、作画をテイクし直して作るんですけど、CGならば、正解が簡単に出ちゃいますからね。
小黒 少なくとも、滑らかに動く、みたいな事は、もう目的じゃなくなっちゃいましたもんね。例えば、あるものがクルッと回るっていうのを描くのは、凄く大変な事で、それができるアニメーターって、もの凄く優秀な人だった。綺麗に回ると、みんなが驚いてくれた。つい最近までそうだったわけですけど。そんな事は、もう意味がない。
うつのみや そうやって、クルッと回転させる事そのものが難しかったから、そのアニメーターに高いお金を払って依頼していた、そのシステムが崩壊するんですよ、これから。だから、いくら技術的に優れていても、そのスタイルが、作品スタイルで要求されなければ、優秀なアニメーターであっても要らなくなるかもしれないんですね、恐ろしい事に。そういう意味では、技術的に優れたアニメーターっていうのが、生きにくい時代がくるかも知れないですね。まあ、そこは、マイナスだけじゃなくて、プラスに考えていきたいです。
小黒 逆に、今までリアリズムだ、表現主義だ、みたいな事を言っても、基本的には手で描いたものだから、たかが知れていると言うか、垣根が曖昧だったわけですけど、その表現の範囲が広がっていくでしょうしね。そうなれば、リアルなものだけではなくて、表現主義的なものの価値も上がっていく。
うつのみや 上がっていくはずですね。絵画で言えば、印象派が台頭してきた頃は、雑に描いた、いたずら描きみたいなものだって言われていたわけですけれど、カメラが登場して写実画が一旦意味を失うと、印象画の方が再評価されたりしたわけですよね。同じ事が、多分、アニメでも起きるんじゃないでしょうかね。
小黒 全くそうですよね。
うつのみや だから、これからは、作品を管理する、もしくは監督としてトータルに物事を作っていく立場の人間には、夢のような、ホントにクリエイティブな時代が来るんじゃないですかね。







(注16)『ウインダリア』
86年に公開された劇場作品。彼は後半の、廊下で王様が刺されるシーンの原画を担当。




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(01.04.21)


 
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