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animator interview
うつのみやさとる(1)


 うつのみやさとるの存在は、90年代以降の日本のアニメートについて語る上で、非常に重要である。特に、代表作である『御先祖様万々歳!』で見せた、極めてシンプルなキャラクターと、リアルな芝居によるアニメーションのスタイルは、実に独創的で、そして斬新だった。それは、多くのアニメーターに影響を与えている。
 彼は感性や直感で描くタイプではなく、それまでの知識や、自分独自の方法論を基にして、理論的に描くタイプのアニメーターなのだという。今回は、彼が影響を受けたアニメーションや、アニメに関する考えを交えて、色々な話をうかがってみる事にしよう。


2000年12月27日
取材場所/東京・荻窪
取材/小黒祐一郎
構成/小川びい、小黒祐一郎
PROFILE

うつのみやさとる(Utsunomiya Satoru)

1959年生。愛媛出身。アニメーター。血液型はA型。高校卒業後、テレコム・アニメーションフィルムに入り、アニメーターとして活動を始める。その後、スタジオエイトバイテン等を経て、フリーに。前回の「animator interview」でも話題になっているように、かなり早い時期から「動き」に関して素晴らしい才能を見せ、独創的な仕事を残している。
 代表作は『AKIRA』、『御先祖様万々歳!』、『THE 八犬伝[新章]』3話、『とべ! くじらのピーク』等。
 現在は、大友克洋監督の劇場作品『スチームボーイ』に参加している。


【主要作品リスト】

小黒 まずは、アニメーターを志したきっかけは、というあたりから始めたいんですけど、よろしいですか。
うつのみや いいですよ。僕は大阪出身なんですけど、大阪のTVには、東映長編を15分ぐらいずつ細切れで放映する枠があったんです。それを小学校の時に観て、「なんて、きれいなんだろう」と思ったんですね。「こんな宝物みたいな映像って、凄いなあ」って。それがずっと引っかかっていたんです。高校時代になって、自分の将来の職業としてイラストレーターとか漫画家とか、そういう方向も考えたんですけど、その原体験が引っかかっていて、それで「アニメの道もいいかな」と思ったんですね。
小黒 高校時代というと、アニメブームの頃ですか。
うつのみや そうですね。『ヤマト』がブームになって、僕も『ヤマト』好きでしたよ。
小黒 そうすると、高校を出て専門学校に行かれたんですね?
うつのみや いえ、行かなかったんです。東京へ出る資金のために、バイトしながらお金を貯めて。それで、友達同士でアニメスタジオの見学に行こうという事になったんです。あの頃は、そういうのが流行っていたじゃないですか。その時、見学に行くなら「画も見てもらおう」と思ったんですね。それで、テレコムへ行ったんですよ。そこが、大塚(康生)さんをはじめ、昔憧れた映像を作った人達がいるスタジオだという事は知っていましたから。で、画を見てもらったんです。そうしたら「なんで、今頃来るの?」って言われちゃったんですよ。
小黒 はあ?
うつのみや ちょうど新人募集を締め切って、人選を決めてしまった直後だったらしいんですね。
小黒 ああ、それで、断られた?
うつのみや いえ、苦笑いしながらも、入れてくださったんです。
小黒 画を見てもらったと言うか、苦笑いされたのは具体的にはどなただったんですか?
うつのみや 大塚(康生)さんです。
小黒 他には見学に行かれなかったんですか。
うつのみや 他には、サンリオも見学しましたよ。
小黒 やっぱり、当時からフルアニメ志向なんですね(笑)。





うつのみや そうですね(笑)。ちょうど『星のオルフェウス』を作っていた頃で、凄いゴージャスでかっこいいスタジオでしたよ。ディズニーの写真でしか見た事がないような、円形のライトテーブルがあったりしてね(注1)
小黒 それで、入られてから、テレコムにはどのくらいいらっしゃるんですか。
うつのみや 1年半ぐらいですかね。テレコムを辞めたのは……うーん、要するに、当時の僕は、凄く生意気だったんですよ。入ってみて分かったんですけど、アニメーションって、映像上の制約が多いんですね。例えば、今でこそCGでやれるようになってきましたけど、実写のような微妙なカメラワークができないんです。キャラクターも実写のようにやろうとすると労力的に大変なんですね。僕は、現実をそのまま写し取りたい、実写を基本にしたい、という気持ちがあったんで、アニメーションって、僕が考えていたほど表現手段として凄いものではないんじゃないか、と思ったんです。それで、「もう辞めちゃおう」という気持ちになったんですよ。
 ところが、テレコムの先輩に「一度でも原画をやってから辞めてもいいんじゃないか」と言われた事もあって、エイトバイテンという、作画スタジオを紹介してもらって、そこで原画を始めたんです。そうしたら、別の魅力を見つけて面白くなってね。そのまま、ここに至るという感じなんです。
小黒 最初に原画をやられた作品はなんだったんですか。
うつのみや 『子鹿物語』です。
小黒 その、今、おっしゃった、別の魅力というのは、どういうものだったんでしょう。
うつのみや ああ、それは単純に、自分の画が動く、という事なんですよ。まあ、当たり前の事なんですけど。僕は――まだその夢は果たせてないんですけど――アニメーターになろうというより、監督になりたかったんですね。そういう立場からすると、映像の可能性とか、制約を考えるうちに、アニメーションに一旦絶望しかけたわけなんです。でも、今度は一職人として原画をやってみたら、画を動かす面白さを再認識した、という事ですね。 まあ、でも『子鹿物語』は、作品自体が大人しかったので、なんだか自分に向いてないなあと違和感を持ってもいたんですけどね。師匠の北島(信幸)さんにも、「ドンパチの方がいいんじゃないの」なんて言われてましたね。
小黒 その時点で、すでに、画がアクション向きだったんですね。
うつのみや ええ、そうですね。でも、今振り返ると、再出発するにはよかったんじゃないかと思います。出来はどうあれ、映画を作ろうという方向性を持っていた作品だったので、そういう喜びは感じられましたし。
小黒 その後は?
うつのみや 劇場『レンズマン』という作品があって、初めて2コマ作画でやれるというので、凄く喜んだのが印象的かな。マッドハウスの川尻(善昭)さんの原画なんかも見る事ができて、大変刺激になりました。それから、マッドハウスにちょっとお世話になって。その後かな、スタジオジュニオに行ったのは。で、ジュニオを辞めた後は、フリーで、という道筋です。
小黒 『カムイの剣』の時に、大塚康生さんが、りん(たろう)監督に、うつのみやさんを紹介した、という話を聞いた事があるんですが。
うつのみや あ、それは違うんですよ。テレコム在籍中、さっきも話したとおり、アニメーションに絶望して辞めようかと思っていた時に、大塚さんが「原画をやってみてからでも」と言われて、『幻魔大戦』をやっている当時のマッドハウスを紹介してくださったんです。その時は、結局、気が進まなくて行かなかったんですよ。今思うと、ちょうど、森本(晃司)さんとか梅津(泰臣)さんとかが台頭してきた時期でしたから、ちょっと残念ですかね。
小黒 ああ、そうなんですか。以前、りんさんに話をうかがった時に「大塚さんが紹介してくれただけに、当時から動きは巧かったよ」とおっしゃっていたんですよ。それで、てっきり、大塚さんから紹介されて、すぐにテレコムからマッドハウスへ行かれて、活躍なさったのかと思っていました。「うわあ、なんてカッコいいんだろう」って。
うつのみや りんさんにそう言われたのは、光栄ですね。でも、実際にはマッドハウスに行くまでにはタイムラグがあったんです。けれど、その方がドラマチックだから、これからはそれを定説という事にしましょうか(笑)。
小黒 (苦笑)。仕事をしていて、手応えが出たのはいつ頃からなんですか。


(注1)円形のライトテーブル
作画する部分が円盤状になっており、回転する形式の作画机の事。動画用紙ごと、円盤を回転させて画を描く。
うつのみや 僕自身としては『子鹿物語』から手応えあったんですけど、北島さんに認めてもらったのは『アニメ80日間世界一周』なんですよ(注2)。あれが僕にとって、初めてのアクションらしいアクションの作品だったんです。確か、8話と13話をやっているのかな。
小黒 その後、『御先祖様万々歳!』までで、エポックメイキングだった作品というと?
うつのみや やっぱり『魔人伝』ですかね(注3)
小黒 ああ、道場のシーンですね。あれも話題になりましたねえ。
うつのみや 以前から、カンフーアクション物が好きだったんですけど、初めてまとまって頂いたカンフーアクションシーンという事で、かなりノッてできた、という事が大きいですね。また、ああいうカンフーものはやってみたいとは思っているんですけどね。
小黒 その後が『AKIRA』になるんですか。
うつのみや そうですね。『魔人伝』のすぐ後が、『AKIRA』ですね。あれはでも……この際だから言っちゃいますけど、非常に悔いの残る仕事になっちゃいましたね。
小黒 と、言いますと?
うつのみや 色んな事情があって、粗い仕事をしてしまったんです。じっくり作るべき作品で、ああいう仕事をしてしまったという事で、今でもフィルムを見ると直したくなります。
小黒 具体的にはどの場面をやられてるんですか。

(注2)『アニメ80日間世界一周』
海外との合作で制作されたTVシリーズ。VHDとしてリリースされた際のタイトルが『どうぶつ 80日間世界一周』、後に国内でTV放映された際のタイトルが『アニメ 80日間世界一周』。

(注3)『魔人伝』
87年にリリースされたOVA『真魔人伝バトルロイヤルハイスクール』。ちなみこのタイトルの「人」の文字は、「人」の上に「神」が乗るのが正式な表記だが、WEB上では再現不可能であるため、本稿では「人」と表記する。
うつのみや 鉄雄と金田が言い合いする場面ですね(注4)。言い合いしている最中に、鉄雄の能力が発現し始める、というね。それから、ベビールームがどんどん崩壊していく場面ですかね。
小黒 ええっ、粗くはないと思いますけど。
うつのみや いえいえ。
小黒 ちょっと失礼な言い方になってしまいますが、『AKIRA』って、作画に関しては、凹凸のある作品ですからね。
うつのみや アニメーターの個性がそのまま通っているようなところがありますからね。劇場作品でああいう風に個性が通ってしまうというのは、最近では珍しいんじゃないですか。アニメーターにとってはありがたいところもあるんですけどね。
小黒 その頃までで、うつのみやさんが影響を受けた方って、いらっしゃるんですか?
(注4)鉄雄と金田が言い合いする場面
有名な「俺に命令すんな!」のセリフがあるシーン。ベビールーム崩壊のシーンでの、鉄雄と金田の会話にも、彼らしいリアルな芝居がある。 『AKIRA』については「作品紹介(1)」 を参照。
うつのみや いっぱいいますね。順番なんてつけられないんですけど、森本さん、梅津さん、井上(俊之)君――リアルタイムで画を見て影響を受けたのは、この3人が大きいですね(注5)。 あと、フィルムを見て影響を受けた方と言うと、宮崎(駿)さんとか、大塚さんとか、木村(圭市郎)さん、金田(伊功)さん、なかむら(たかし)さん、友永(和秀)さん――やっぱり、名のある方っていうのは、どこか得るところがありますよね。……あ、そうだそうだ、影響を受けたと言うと、月岡(貞夫)さんもそうですね。あと、田中敦子さん。これはもう、実際に原画を見て「敵わないなあ」と思ったんですけど。
小黒 月岡さん、ですか。実際に、描いているところを直接ご覧になった事はあるんですか。
うつのみや 見た事はないですね。ただ……パラパラ漫画を見たんですよ。
小黒 パラパラ漫画、ですか?
うつのみや ええ。あれが、凄いショックでしたね。アニメーターになってすぐの頃だったんですけど、『わんぱく王子』のパラパラ漫画を見たんですよ(注6)。あれは東映動画の商品だったのかな。多分、そうだと思うんですけど。王子が熊か何かを投げ飛ばすカットの動きを、パラパラとめくって見られるようになっていたんですよ。それが、伸び縮みは入っているんだけれども、「お化け」を使った奇を衒った動きはひとつもなくて。見ていくと、「この画の次はこの画がきますか。あ、今度は、こんな画がくるのか。これがくるとは想像できなかったけれど、確かにこれですよね」という感じでね。こちらの想像の範囲を越えているんだけど、確かに正解だと思えるような、完成度の高い、それでいて、かなり面白いものだったんです。あのスタイルとしては、ちょっと見た事がないくらいの完成度でしたね。
小黒 完成度と言いますと?
うつのみや あの当時、東映長編はまだ、伸び縮みがあるスタイルで、その中でも『わんぱく王子』は伸び縮みの多い作品だったんです。でも、そうしたクラシックなスタイルを使いながらも、どこかリアルだったんです。正に、「未知との遭遇」と言うか。カルチャーショックって、ああいう事のような気がします。
小黒 なるほど。
うつのみや それと同じような感動を受けたのは――って、話が逸れちゃいますけど――その後、うめだりゅうじ君の作品を見た時ぐらいかな。


(注5)森本さん、梅津さん、井上君
森本晃司はかつてはトリッキーなアクションを得意とするアニメーターとして知られ、近年では監督としてミュージッククリップ等を手がけている。アニメーターとしての代表作は、『スペースコブラ』等。梅津泰臣はリアルかつ美麗な作画でファンを魅了したアニメーター。代表作は『ロボットカーニバル』、『機動戦士Zガンダム』等。近年の作品に『MEZZO FORTE』がある。井上俊之に関しては前回の「animator interview」 を参照。

(注6)『わんぱく王子』のパラパラ漫画
『わんぱく王子の 大蛇退治』は、東映動画の長編黄金期を代表する作品。63 年公開。

●「animator interview うつのみやさとる(2)」へ続く

(01.03.29)


 
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