さて振り返るに、押井が「国際的に評価の高い監督」を得るようになったのはいつごろだろうか。
1995年の『GHOST IN THE SHELL』の劇場公開時、観客動員数は12万人で、配給収入はその年の20位(20位の作品の配給収入は4億3000万円)にも入っていない。アニメの興行としてはほどほどの成績だ。
この『GHOST IN THE SHELL』が一躍メディアで注目を集めるようになったのは1996年8月のこと。米国の「ビルボード」誌のホームビデオ部門で『GHOST IN THE SHELL』が1位になったのだ。坂本九の「上を向いて歩こう」以来、33年ぶりのビルボード1位は話題となり、押井は1996年のマルチメディアグランプリ(通産省など主催)でMMCA会長賞(人物表彰の中では最高の賞)を受賞している。
『GHOST IN THE SHELL』が注目を集める前後から、アメリカやヨーロッパにおける日本のアニメの人気に、マスコミが注目するようになっていた。そのような状況の中、『GHOST IN THE SHELL』と押井は「欧米でのアニメ人気」の代表、といったポジションを担うことになった。このような流れから1997年の「教育白書」(文部省[当時])には、メディア芸術の振興の中でアニメの充実にも触れるようになっている。
さらにこの流れを後押ししたのが1999年公開の映画「マトリックス」(監督:ウォシャオスキー兄弟)だ。仮想現実へジャック・インするための首後ろのプラグ、文字をあしらったタイトルバックなど、『GHOST IN THE SHELL』を思わせる細部の多いこの映画だが、ウォシャオスキー兄弟自身も、『『攻殻機動隊』を好きな映画として挙げている。
ミュージシャンズ・ミュージシャンという言葉がある。世間的にはマイナーだが、多くのミュージシャンから尊敬され、彼らに影響を与えているミュージシャンのことである。おそらく『GHOST IN THE SHELL』と押井は、そのような存在として、(よくも悪くも)斬新なイメージにどん欲なハリウッドへと浸透していったのではないだろうか。