色彩設計おぼえがき[辻田邦夫]

第167回 昔々……104 1995年その24 いよいよ『最強への道』、ところが……

さあ、いよいよ放送が始まりました『輪るピングドラム』、みなさんご覧いただけましたでしょうか?(ニヤリ)
そんな『輪るピングドラム』の制作現場は、僕がこれまでに経験したことがないほど女性スタッフの多い現場です。なので、いつも以上に身の回り、身だしなみに気をつかってる僕です。そのひとつが髭。毎日必ず剃るように心がけてます。
ひげ剃りと言えば、以前ここでも書きましたが、シェービングクリーム問題。先日、いままで使っていたものを使い切ったので新しく買いにお店に行ったところ、「シェービングジェル」っていうヤツと眼が合いました。色つやがとても爽やかな感じがしたので買ってみまして、早速お試し。
文字どおりジェルでありまして、ぷるんぷるんのジェルを手のひらに出して、ぬるぬると顔に塗っていきます。ヒンヤリしててここまではとっても爽やか。ところが、いざ髭を剃り始めたら、あれ? 思ったほど爽やかに剃れません。そこかしこを引っかけて流血沙汰(泣)。やれやれ。でもまあ、そのうち慣れるのでしょうが……。

さてさて。
だいぶ間が空いてしまいましたが、お話は1995年に戻ります。
阪神淡路大震災、それに地下鉄サリン事件と、なんとなくざわついた、というか緊張感の漂う1年だったように思います。
そんなフンイキに突き動かされたわけでもないとは思うのですが、仕事のタイトルもとにかく盛りだくさんだったこの1995年。その最後を飾ったのは、やはり劇場用作品でありました。劇場版『DRAGON BALL 最強への道』。そして同時上映、劇場版『ご近所物語』。この2本が怒濤の1995年最後〜翌1996年最初の仕事となりました。
前述のとおり、劇場版『ご近所物語』(脚本:影山由美、作画監督:馬越嘉彦、美術監督:行信三、監督:志水淳児)については、僕はキャラクターのカラーデザインといくつかのシーンでの特殊彩色の設計をしただけで、色指定作業は別の方が担当しました。

で、問題の劇場版『DRAGON BALL 最強への道』。脚本:松井亜弥、キャラクターデザイン・作画監督:山室直儀、美術監督:辻忠直・東潤一、そして監督:山内重保という布陣。ちなみに演出助手には、境宗久と長峯達也の2人。『スイートプリキュア♪』と『ハートキャッチプリキュア!』の新旧プリキュアのシリーズディレクターの若き日であります(笑)。
僕が正式に参加が決まった夏の終わりには、まだまだ絵コンテ作業は半分もすんでない状況で、とりあえずぽつりぽつりと宣材用のスチールとかが回ってくるくらいの状況でした。僕自身、TVの『ご近所物語』やら劇場版『セーラームーンSS』やら、加えて「ドラゴンクエストVI」の仕事やらで大忙しだったので、『最強への道』の方の作業については半ば放置でありました。なんていうか、ここ数年ですっかり東映的劇場作品のスケジュールを見切ってしまっていたので、まあ、まだまだ先だよね〜、とそんなフンイキ。
ところが僕の知らないところで、『最強への道』はいろいろマズイ自体に陥っていたのでありました。単に絵コンテが遅れている、といった話ではなくて、どうも内容面の根本的ところが原因の模様。そして……

「『最強への道』の全体的な見直しの会議をする!」

プロデューサーの森下さんから号令が下りました。僕らメインのスタッフ全員と、制作の面々、企画の面々は、大泉のスタジオに近い、光が丘のホテルの大きな部屋に召喚されたのでありました。10月19日の夕刻のことでありました。

第168回へつづく

(11.07.12)