色彩設計おぼえがき[辻田邦夫]

第146回 昔々……85 1995年その5 衝撃の3月(後編) そして東京で僕らを待ち受けていたものは……

何年か前から、僕はカミソリ式のひげ剃り使って髭を剃ってます。それまでは電気シェーバーってのを使ってたんですが、アレって意外と剃った髭が飛び散るんですよね。あ、いや、もしかしたらお値段が高い機種はそんなことないのかもですが、とにかく僕が使ってた数千円クラスのヤツは、剃った髭が見事にあたりに飛び散ってたんですよ。そのことにある日気がついちゃったら、もうねそれが気になっちゃって、結局カミソリ式のひげ剃りに宗旨変えしたのです。
僕はそのカミソリ式のひげ剃りで剃る時にシェービングクリームっていうのを使ってます。ローションとかジェルとか、最近はいろんなのが出てますが、僕は断然シェービングクリーム派であります。ところがですよ、これのね、適量がわからない。
1回にどれくらいの量を顔になすりつけて剃り始めればよいのか、ずっと答えが出ずに今日に至っています。シェービングクリームってあのふんわりした肌触りがよくって、思わずたくさん使って顔につけたくなっちゃうのですが、果たしてそれは、髭を剃る、という本来の行為の助けになっているのだろうか? たくさんつけちゃうと、実は髭ってちゃんと剃れないんではないのか? でも少ないとそれはそれで寂しいし、とか。
髭を剃るたび、そんなことを考えながら、いろいろ試してみてる僕です。でも、やっぱり、どうしても多めにクリームをつけちゃう傾向が。そんな自分の顔を見るのもまた楽しい47歳であります。

さてさて。
ソウル金浦空港で「拉致」された僕ら、2台の車に分乗させられて、まず連れて行かれたのはD社の本社でありました。
どこをどう走ったのか、といっても初めてのソウル。どこを走ってもまるでわかんないのでありますが(笑)、なにやらちょっと下町チック(?)な界隈にその会社はありました。会長室に通された僕ら。そこには僕らを「拉致」させた張本人の会長さんがいらっしゃいました。
「『このたびはありがとうございます』なんて、こっちが言うのはヘンだよなあ、やっぱり」とか考えながら一応ご挨拶。あ、そういえばこの方には東京でお会いしたことがあるなあ、とかだんだんと思い出してきました。すると、次々に知った顔が部屋に招かれて入ってきました。韓国人のアニメーターさんや美術さんたち。みんな東映動画に一時期働きに来てた面々ですので緩く知り合いです。で、しばし歓談。あ、そうそう、みなさんスラスラと日本語で話されるのです。これにはいつも驚かされます。僕らせいぜい「カムサハムニダ」とか「メクチュジョセヨ」とか「チョンマルマシッソヨ!」くらいしか言えないわけで、なんとも不思議な、そしてちょっと悔しい瞬間であります。

本社近くの食堂で他の社員の方たちと一緒に昼ご飯。食べ終わって帰ってきたら「さて、どこに行きたいですか?」と会長。「こちらの制作会社のスタジオが見たいです」と僕ら。なんていうか僕ら、やっぱりこういうところマジメだったんですよね。というか、ソウルのアニメの制作現場なんて逆になかなか見られないスポットであることは確か。僕らがソウルでイチバン見たかったのは実はアニメスタジオだったのであります(笑)。
「じゃ、もうすぐキムさん来るので、キムさんの会社見せてもらうといいですよ」。当時すでにD社はアニメ制作よりも版権管理と出版事業に移行しつつあって、制作現場もだいぶ小さくなっちゃってたのです。ほどなくして到着したのキムさんが社長のE社は、先だっての劇場版『DRAGON BALL Z』の追い込み時も主力として参加してくださったプロダクションです。なので、まさにいまホットな現場を見学できるというワケでした。

「まあ、いらっしゃい!」とキムさん。あ、思えば彼女とはひと月前に東京で会ってたんですよね。なんかちょっと不思議な感じ(笑)。D社をあとにして今度はE社に向かいます。これまた場所はよくわからないんですが、この界隈、何社かのプロダクションが集まってるとのこと。とりあえず中へ招き入れられまして、早速見学。ちょうど忙しい作品が終わった直後でスタッフさんはだいぶ帰られたあとでしたが、それでも実際作業中の現場を見られたのは超ラッキーでありました。
僕が気になるのはやはり仕上げ部門。スタジオの2階が仕上げの部屋になっておりましたが、いやあ、やはり闘ってる! って感じの空間はいいですね! 短時間に効率よく作業を進めるための工夫が随所に見られて、たいへん勉強になったのです。
たとえば絵の具の瓶。普通は細身のガラス瓶に入れた絵の具をずら〜っと並べるんですが、正直言って机周りってスペースに限りがありますからなかなかたくさん並べられない。で、このスタジオではなんと35mmのネガフィルム、ほら普通のカメラのフィルムの入れ物ですよ。そのケースに絵の具入れて使ってました! もちろんたくさんの量を使う色はガラス瓶なんだけれども、少しずつしか使わない色、だけど色数は結構使う、なんて場合にはこの方法はいいです。高さも低いので机の引き出しにずら〜っと並べて入れられる。
あ、そういえば日本国内(東映動画社内?)では「トレス瓶」っていう小さいサイズのガラス瓶があって、それに入れた絵の具でトレスさんたちは色トレスしてました。僕らも考えたら、検査時のちょっとした直し用にトレス瓶入りの絵の具使ってたなあ。

さらなる工夫は乾燥棚の使い方。セルに塗った絵の具を乾かすために塗ったセルを1枚1枚棚に入れていくんですが、ここでは省スペースのためにグイッとまるめて棚に突っ込んでいました。棚板の上下の隙間3〜4センチの間に横U字に丸めて押し込んでいくわけです。セル自体に元に戻ろうとする反発力があるのを上下の棚板で押さえ込む形になるからセル同士ひっつかないんですね。長いセルの場合には僕らもよくそういう方法を使ってましたが、ここではなんとスタンダードのセルにもそういう方法を使ってました。大きな面積塗ってる場合はムリですが、小さい面積の塗りのものや、セルの右半分左半分くらいの面積にしか塗らないなら、塗らない部分は丸めて逆さになっても大丈夫なわけです。しかも使用している絵の具が粘性の高い太陽色彩の絵の具なので、こういう芸当ができるのかも。あ、ひょっとしたら僕が知らないだけで、国内の仕上げプロダクションさんでも太陽色使われてるところでは同じことがされてたのかも知れないですが、いずれにしても粘性の低いSTAC絵の具を使っている僕らには、なかなか思いつかない方法が使われていて目鱗でありました!
他は作画も美術もみんなやっぱりそれぞれ独自の工夫があったようで、なかなかいい勉強になりました!

さて。見学が終わったらもう夕方。夜はキムさんに連れられて韓国宮廷料理の超高そうなレストランへ。先ほどのD社の会長さんのもうけてくださった宴席であります。ここで美味しい料理を堪能。で、そのあとはなんとカジノです。ソウルには公営のカジノがあるのですね。実は先ほどのD社の会長室にはたまたま日本の某Kプロダクションの社長さんもいらしてて、その社長さんに連れられてのカジノ体験でありました。僕以外のみんなはカジノ初体験。実は僕はマニラで体験済みだったり。で、結果はというと、なんと僕だけずいぶん儲けちゃいました! なので、ホテルへ帰るタクシー代とチップは僕持ち。翌日はそのお金で結構いい鞄を買いました(笑)。

翌日は1日観光。またもE社のキムさんにお世話に。彼女の車でソウル中をいろいろ観光です。で、夜はまたD社会長さんの宴席(笑)。もうね、申し訳ないくらいに大接待旅行になってしまった次第です。そういえば、本来参加するはずのパック旅行はどうなってたんでしょうねえ?(苦笑)
そしてさらに翌日はもう帰国でありました。空港で添乗員さんと再会(苦笑)。お互いあまり喋らずに手続きだけ淡々とこなしてもらって、機上の人となったのです。
その機上で、なんとも大きな悲報に触れました。『ルパン三世』でおなじみの声優・山田康夫氏が亡くなった、というのであります。機内積みの日本の新聞で知ったのでした。これにはショックでありました。僕らは会話も少なく、飛行機は成田へ。
そして成田空港では、さらに驚くべきニュースに触れることになりました。その日の午前、東京の地下鉄に何者かの手によってサリンがまかれて死者多数! 大混乱、大事件になっておりました! 呆然とする僕ら。1995年3月20日でありました。

第147回へつづく

(10.11.30)