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アニメの作画を語ろう
シナリオえーだば創作術――だれでもできる脚本家[首藤剛志]

第66回 脚本家は辞めたつもりが……

 『街角のメルヘン』だけはやって、アニメシナリオに切りをつけよう。
 そう思って僕は、この作品を書き始めた。
 前にも述べたが、脚本を書き始めたといっても、元は、18歳の時に書いたものがあるから、その舞台を、1968年ごろの新宿から1984年当時の新宿に移すだけである。
 シナリオを書く作業は、あっという間に終わり、後は、でき上がりを楽しみに待つだけだった。
 その後、数年間、アニメ脚本の仕事は、健康不良を口実に、ほとんどやらなかったといっていい。
 『さすがの猿飛』のフジテレビ側のプロデューサーだった岡正氏から、「翔んだカップル」の実写版のスペシャルの仕事がきて、久しぶりの実写版だというので、『さすがの猿飛』や『魔法のプリンセス ミンキーモモ』で一緒に脚本を書いた土屋斗紀雄氏に手伝ってもらい一時間半の作品を書いたぐらいである。
 この作品、主人公の2人というより、脇役の竹中直人氏のワンマンショー的怪演が目立ちすぎの、奇妙な作品にでき上がった。
 今も相当面白い、俳優兼映画監督の竹中直人氏だが、若い頃の喜劇俳優としての竹中直人氏の壮絶怪奇なおかしさを知るには、うってつけの作品だと思うが、残念ながら、ビデオ化はされていないようだ。
 脚本も、竹中直人氏の面白さによりかかった感じがあり、脚本の質的に語るべきところは、あまりない作品である。
 いずれにしろその頃の僕は、意地になったように、脚本を書かなかったような気がする。
 だが、『街角のメルヘン』が映像化された事で、アニメに対して未練のようなものが残ってしまったのかもしれない。
 どこかで、自分はアニメを書く脚本家なのだ、という意識が身についてしまっていたのだ。
 それに、書く事自体は完全に辞める事はできなかった。『まんがはじめて物語』の一応メインライターとして、2クールごとにやってくるキーポイントになる作品は、書くのが義理というか習慣になっていた。
 すでに終わったはずの『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の絵本風小説の仕事も入っていた。
 TVアニメをやっていないすき間をねらったように、『まんが世界昔ばなし』の舞台ミュージカル化の話も、毎年のように入っていた。
 この仕事は、子供向けミュージカルとはいえ、手の抜けない、言い方を変えれば、面白い仕事だった。
 「目覚し時計」という劇団が上演していたが、実際は、『まんがはじめて物語』や『まんが世界昔ばなし』を作っていたダックスという制作会社が親会社のような劇団だった。
 だから、それらを放映していたTBSや、スポンサーなどが協賛していた。
 なぜか、全労済までバックにつけていた。
 かなり大きな協賛団体がついていたためか、ミュージカルを上演する劇場が半端でなかった。
 作品規模のわりに、劇場が大きいのである。
 厚生年金大ホール、日比谷公会堂、名古屋に行っても中日劇場クラスだった。
 新宿の紀伊国屋ホールあたりだと、小さすぎるというスケールである。
 収容人員が多い芝居は、客の集中力を舞台に集めるのが大変である。
 客が大人ですら大変なのに、僕の関わったミュージカルは、対象が子供である。
 子供は、芝居に飽きると、泣くわ騒ぐわ、おまけに客席をかけ回る。
 その集中力は十分間と保たない。
 この飽きっぽい客を、ミュージカルに釘づけにするのは、容易ではない。
 おまけに、子どもたちを連れてきている大人たちもいる。
 その大人たちにも、面白いミュージカルだったね……と、ある程度、満足させなければならない。
 芝居としては決して高い値段ではないが、それでも映画よりは数倍高い料金を取るのである。
 いわゆる子供だましの作品では困るのである。
 さらに、舞台は生き物である。
 毎回毎回、出演者のコンディション、集中力、客層で、舞台の雰囲気が変わっていく。
 舞台上の失敗や、装置の事故も起こる。
 観客の子どもたちの学校や幼稚園によっても、客の反応が変わっていく。
 同じ芝居をやっているつもりでも、1回として同じ芝居にはならない。
 そして、観客の反応が、じかにこちらに伝わってくる。
 そこが舞台の魅力――役者と乞食は3日やったらやめられないとかいう言葉があるらしい――といえばいえないこともないが、台本、作詩の僕としては、上演のたびに心臓が凍る思いがする。
 おまけに、僕に言わせれば、当時も今も日本のミュージカルは余程の一流役者でないかぎり、芝居は下手、歌は聴いてられない、踊りは見てられないレベルである。
 その日本の中でも、僕の関わったミュージカルは、三流クラスか、素人に毛が生えた俳優が、演じているのである。
 上演する方もいい度胸だが、その台本を書く僕もいい度胸である。
 そんなミュージカルを、冷や汗をかきながら、100回以上もやったのだから、僕も相当なマゾヒストである。
 ただ、それだけやると、子供を含め観客の興味を舞台に引き止めるコツのようなものは、少しは分かったような気がする。
 結局、今も、ミュージカルというと、ギャラをほとんど無視して台本と詩を書いてしまうのは、僕が体質的に舞台とミュージカルが好きな人種だからなのだろう。
 舞台に関わる人たちにとって、ショーほど自己満足を刺激するオバカな商売はないのである。
 もっとも、商売になるほどもうかっている人は、一握りしかいないだろうが……。
 余談だが、芝居やTVドラマや映画に出たがる演出家や脚本家がよくいるが、僕はその気持ちがよく分かる。
 実は、僕はアニメージュというアニメ雑誌のイベントで、武道館の舞台に立った事がある。
 それも、たった1人で、数千人、いやもしかしたら万を越える観客の前で、スポットライトを浴びて、僕の書いたアニメ脚本の説明をした。
 その時間は五分ぐらいだろう。
 それでも、たった1人でスポットライトを浴びた快感とも呼べる体のしびれに、今でもむずむずしてくる。
 と同時に、これに慣れたら大変な事になる、とも思った。
 スポットライトを当てられる事がやめられなくなる気がした。
 その時、僕は、売れない役者が、下手で才能もないのに、舞台にしがみついて芝居をやめないで一生を費やす気持ちが、よく分かった。
 スポットライトと舞台の魔力は、人間をおかしくする。
 だから舞台役者という仕事だけはやめようと思った。
 ついでに、本来、出たがりの僕だが、余程出なければならないイベント以外では、スポットライトが当たらないように、おとなしくしようとした。
 そうしていたら、そのうちイベント自体からほとんどお声がかからなくなった。
 めでたしめでたしである。
 その話はともかくとして、こんなふうに、アニメ脚本から離れたつもりでも、書くという事からは、何となく離れずにいてしまった。
 次に、僕の前に現れるアニメ作品は『銀河英雄伝説』という作品だが、その作品まで、書くという事から足が洗えなかった一番の理由は、小説の存在だった。
 基本的に書くという作業が嫌いな僕には、小説も向いているとは思えない。
 だが、1984年の『戦国魔神ゴーショーグン』のノベライズあたりから、いまだに小説を書いているのは自分でも不思議である。
 もしかしたら、枚数に換算するとアニメと同じぐらいか、それ以上書いているかも知れない。
 僕と小説との関わりについては、『銀河英雄伝説』のお話をする前に、次回まとめてお話しようと思う。

   つづく


●昨日の私(近況報告というより誰でもできる脚本家)

 あなたが、いわゆる制作会社の「いいなりライター」になるかならないかは、あなたの勝手である。
 いずれにしろどんな方法でもいい。
 あなたが、アニメ制作会社に取り入って、そこの作品のレギュラーになったとしよう。
 それは難しいことではない。
 あなたはまだまだ新人である。
 ギャラも安いし、プロデューサーの言うことも比較的よく聞く脚本家だとしたら、誰があなたを、放っておくだろう?
 気がつけば、月に1本はレギュラーの脚本を書いている事になる。
 あなたは、しっかり使いやすい脚本家として、この世界に存在できる。
 今、TVやOVAが消費するアニメの数は、膨大である。
 人材が不足しているのである。
 ある程度、脚本の形らしいものを書ける人なら、業界は咽から手が出るほど欲しいのである。
 おめでとう。
 あなたは脚本家である。
 それだけの感覚を持つ勉強をしてきたし、映画もたっぷり見てきた。
 断っておくが、僕がこのコラムで言ってきた事をしてない人は駄目ですよ……。
 ちゃんとやっている人は自分を脚本家と名乗って恥じる事はない。
 ここいらではじめて、本屋に行って、「脚本の書き方」なんていう本を読んでみるのもいい。
 あなたのレベルだったら、HOW TO 本に書いてある事も、なるほどと理解できるかもしれない。
 シナリオ技術ばかりか、丁寧に脚本家処世術まで書いてある本もある。
 しかし、それはそれでなるほどと思うだけで、真に受けてはいけない。
 HOW TO 本の真似などしだすと、「HOW TO 本」のいいなり脚本家になってしまう。
 本当はね……実は、あなたはこれからなのである。
 あなたは、アニメ脚本で、かつかつ食べて行ける、脚本家のタマゴにすぎない。
 しかし、タマゴでもひなでも脚本家である事には違いない。
 食べて行ける以上、プロの脚本家と呼んでいいだろう。
 したがって、脚本家になる方法としての僕の話は、これで終わりである。
 問題は、あなたがこれからどんな脚本家になるかである。
 この世界には、脚本家とか放送作家と呼ばれる人で食べて行けている人は、200人ぐらいはいるだろう。……いるかなあ? 僕にもよく分からない。
 だが、あの脚本は、あの脚本家しか書けないだろうと言われる人は、そうは多くない。
 せめてその程度には、どうせ脚本家になったんなら、なってみたいものである。
 でなければ、人様以上に大金持ちになれるわけでもなく、誰からも尊敬される偉人の伝記に載せられるはずもなく、人間国宝になる心配もなく、国から立派な勲章をもらえるわけでもない――芸術何とか賞はもらえるかもしれないが、それは別ですよ。脚本家がもらっても、あんまり尊敬されないもん――、つまりその程度の脚本家を一生の仕事に選んだ甲斐がない、というものである。
 これからは、あの脚本はあの脚本家しか書けないだろうと言われる程度の脚本家になる事を、一緒に考えてみよう。
 ただ、そういう脚本家イコール売れている脚本家とは限らないから、貧乏は多少覚悟した方がいいかもしれない。
 さらに断っておくが、これを書いている僕が「あの脚本はあの脚本家しか書けないだろうと言われる程度の脚本家」かどうかは、完全に棚に上げているので、そこのところは、よろしくお考えください。

   つづく
 


■第67回へ続く

(06.09.13)

 
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