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アニメの作画を語ろう
シナリオえーだば創作術――だれでもできる脚本家[首藤剛志]

第42回 『戦国魔神ゴーショーグン』 アニメは1人じゃ作れない

 作品の入り口である脚本と、出口に近いアフレコに半ば強引に立ち会わさせていただいていた僕だが、実は、実際のアニメの絵を作っている現場の事は、ほとんど知らない。
 せいぜいBGMの音楽打ち合わせで、こんな曲が欲しいと、作曲家にメニュー出しする時に、顔を出すぐらいである。
 『戦国魔神ゴーショーグン』の脚本打ち合わせも、制作会社の葦プロの近くではなく、アフレコスタジオのある新宿の喫茶店で、ひそやかにやっていたから、葦プロのある西荻窪には、月に1度もいかなかった。
 ともかく脚本家と僕が――僕が脚本を書いた時は僕自身が――OKを出したシナリオをプロデューサーが持っていき、数ヶ月後には、絵コンテとアフレコ用台本と、ほとんど絵の入っていないフィルムが、アフレコスタジオに届けられ、音響監督や声優の方達と、ご対面するのである。
 アフレコ現場には、各話の演出家も立ち会うのだが、顔見知りにはなるが、名前までは覚えきれなかった。
 失礼な話だが、誰が演出の湯山邦彦氏で、西村純二氏で、大庭寿太郎氏で、長尾粛氏なのか分からなかった。
 演出の人たちも、音響監督の他に、いつもいて台詞に意見を言う僕の存在を、何者かといぶかっていたかもしれない。
 別に、僕が演出の○○です、とか、シリーズ構成の首藤です、などと自己紹介し合った覚えもない。
 ほとんどのアフレコに立ち会っていたプロデューサーの相原義彰氏が、お互いを紹介してくれたかもしれないが、こちらは、絵の入っていないフィルムを見る事に夢中で、顔と名前の一致する人はいなかった。
 音響監督の松浦典良氏が、絵の入っていないフイルムと絵コンテを見比べながら、声優の方達に指示を出すのを、僕が横からのぞき込み、時々、アドリブの台詞を僕が入れて見るというアフレコ風景だった。
 僕が演出だと思っていた人が、実は絵コンテを描いた人だった事もあったと思う。
 だが、後で製作リストを見ると、演出と絵コンテを同じ人が描いている場合も多いので、それぞれの話数で、名前は知らないが、この人はあの作品の人、あの人は、この作品の人という見分け方はできてきた。
 演出の人は、絵のろくに入っていないフィルムの完成に忙しかったのだろう、アフレコ後の飲み会にも出ずに、急ぎ足で葦プロダクションに帰っていった。
 演出、絵コンテの人と、名前と顔が一致したのは、次の作品『ミンキーモモ』で、同じメンバーが演出と絵コンテを担当してくれる事が多かったのと、『ミンキーモモ』になってはじめて総監督という名で、湯山邦彦氏が登場し、みんなを紹介してくれたからだ。
 むしろ『戦国魔神ゴーショーグン』の頃、彼らの名前を覚えたのは、たまに取材に来るアニメ雑誌記者の人たちから○○さんの演出はどうですか? ××さんの絵コンテの出来はどうですか? と質問されて、ああ、そういう名の人が演出や絵コンテを書いているのかと、知らされるぐらいだった。
 もちろん、原画やデザインで評判の高かった、いのまたむつみさんや影山氏や本橋氏の絵の違いは分かったが、原画とキャラクターデザインと作画の仕事の違いも分からなかった。
 編集も、脚本を書いた山崎昌三氏は知っていたが、編集自体の仕事内容は予想はできたが、実作業は知らなかった。
 もう1人、脚本を書いた演出家、湯山邦彦氏とは、『ミンキーモモ』以後はいやというほど顔を合わせ話し合うが、『戦国魔神ゴーショーグン』の時は、電話で何度か打ち合わせをしたぐらいだ。
 番組の開始前後は、シリーズ構成として、局や代理店のプロデューサー、スポンサーとよく打ち合わせをするが、番組が始まって8話ぐらいになると、その人たちとも会わなくなる。その後出会うとしたら、無事に番組が終わった打ち上げのパーティか、さもなくば、視聴率やスポンサーのおもちゃの売り上げが悪くて番組が打ち切られる時だ。
 番組が打ち切られる時は、局やスポンサーの人たちに会わずに、プロデューサーから、突然、言われる事もある。
 視聴率が悪いからとか、おもちゃの売れ行きが悪いから、どうにかしてくれ等という相談を受ける事もなく、打ち切りは、いきなりやって来る。
 幸い、僕の作品は、打ち切りより延長の方が多かったから、ましだが、まじめなシリーズ構成は、視聴率とおもちゃの売り上げが気になって、夜も寝られなかっただろう。
 もちろんそれは、アニメ制作会社の社長もプロデューサーも、同じ気持ちだと思うが……。
 いずれにしろ、僕は、アニメの製作事情は始めと終わり近くしか知らず、その間の状況はほとんどわからなかった。
 あまりの忙しさに、1日のうちに3度も車の事故を起こした制作進行の苦労などを聞いたのは、ずーっとあとのことである。
 ともかく『戦国魔神ゴーショーグン』の時は、脚本を作る事、アフレコの台詞いじり、予告編のコメント作りに専念できた。
 おまけに、アフレコ後の音響監督やキャストたちとの飲み会があったから、脚本のギャラの安い事以外、たいした不満もなく楽しくやっていた。
 もっとも、ギャラの安さは脚本に限った事ではなく、他のスタッフはもっとひどかったらしい。
 ギャラの安さと仕事の過酷さで、日本のアニメ界は、優秀なスタッフが生活できずに消えたり逃げていき、その損失はずいぶん大きいと聞いている。
 そして、今も一部を除いて、その状況は続いているという。
 最近、ビデオやDVD等の二次使用権が認められ始めた脚本家は、アニメ界では最も優遇されている業種だと、他のアニメ業の人からうらやましがられているという。
 もっとも、これには脚本家の二次使用に対する長い間の戦いがあり、僕が脚本家になったころは、その最中だった。
 今も、原作のないオリジナルアニメのシリーズ構成は、著作権がみとめられていない場合が多く、シリーズ構成者個人で著作権を交渉するしかないようである。
 そんな苦労を思うと、原作をプロデューサーの言いなりにそのまんま脚本にして、当たり前のように著作権を取っている普通の脚本家を見ると、腹がたってけっ飛ばしてやりたい衝動にかられるが、これも時代の流れなのだろう。
 確かに、原作のあるアニメの方が、知名度も人気も高く売れるだろう。
 売れれば、著作権料も多く入る。原作物をやりたがる脚本家が多いのも分かる気がするが、そのうち、オリジナルの脚本の書けないシナリオ・ライターばかりになり、オリジナルアニメは滅びるぞと、警告まじりの文句を言うしかない。
 あるヒット作品をやっている時、その作品を書いているシナリオ・ライターから「僕らは勝ち組ですね」と言われて異様な気分になったことがある。脚本家に、流行語の「勝ち組」とか「負け組」があるのだろうか?
 売れている作品と売れていない作品はあるかもしれない。
 しかしそれを、脚本家の勝ち負けで表現していいのか?
 それはただ、売れている作品に乗っかっているだけで、面白いシナリオを書く脚本家とつまらないシナリオを書く脚本家の差とは別のことだと思うのだが……。脚本家の自分を見る価値観も、最近、違ってきているようである。「勝ち組」とか「負け組」とかいう考え方は、作品における脚本の価値を、自ら下げているとしか思えないのだが……。
 脚本家に「勝ち組」とか「負け組」とか考えた事もなかった僕は、完全に「負け組」かもしれない。
 当たり前の事だが、アニメは大勢の人の力で成立している。
 ある日の事、忘れ物を思い出して、『戦国魔神ゴーショーグン』のアフレコをやっているスタジオに行った事がある。
 ちょうどその時、録音の最終仕上げである音響効果や音楽をつけるダビングがおこなわれていた。
 「かちゃかちゃ」という聞きなれない音がしている。
 ダビングルームを覗いてみると、水道管のパイプ部品を、外したり、こすり合わせたりしている。
 ダビングルームに水道などない。
 「何をしているの?」と聞くと、『戦国魔神ゴーショーグン』の音を録っているという。
 「いったいなんの音?」と聞くと、銃を手入れしている音だという。
 確かに、シナリオには、ゴーショーグンのメンバーが銃を分解したり、組み建て直したりしながら雑談をするシーンがあった。
 いままでのアニメには、巨大なロボットを修理するようなシーンはあったが、小さな銃を分解するようなシーンはなかったらしい。
 つまり、大きな機械音は録りだめてあるが、銃を修理するような小さな金属音はなかった。
 だから、水道管を使ってその音を作っているというのである。
 『戦国魔神ゴーショーグン』には、普通のロボット物には出てこない音がよく出てくるから苦労する、と言って笑っていた。
 そういえば、登場人物が風呂に入りながら浪花節を歌っているシーンもあった。
 敵側のブンドルの戦闘シーンに、クラシックが流れるのも異色である。
 脚本家としては、何となく申し訳なく、音響関係の苦労に頭の下がる思いがした。
 1本のアニメを作るのに、音響だけでなく、各部所で、そんな苦労があったに違いない。
 最終回のアフレコには、その後に打ち上げのパーティのある事も手伝って、スタジオにはあふれんばかりの関係者が集まった。
 これが、みんな『戦国魔神ゴーショーグン』の関係者! 大勢過ぎてびっくりした。
 もちろん、その場に来た関係者の何倍もの人が、『戦国魔神ゴーショーグン』の制作に関わって、それぞれ苦労してくれていたに違いない。
 僕は殊勝にも、この人たちのためにも、面白い脚本を書かなければと、意を新たにした。
 僕は、正直な話、視聴者を意識して脚本を書いた事はない。
 視聴者受けを狙って脚本を書くタイプではないのだ。
 どちらかといえば、自分が楽しく面白ければいいと思っていた。
 だが、『戦国魔神ゴーショーグン』を書いて、少なくとも、スタッフ・キャスト、作品に関わる人たちだけには、面白く楽しめるような仕事になる脚本を目指そうと考えを新たにした。
 当時は、変わっていると言われた予告編も、視聴者を意識したわけではなく、作品とスタッフ・キャストのノリを考えて作っていたのである。
 今はさほど珍しくないタイプの予告だが、ここに載せさせてもらう。
 最初はまともだが、僕自身が、だんだんおかしくなるのがよく分かって照れ臭い。
 たとえば、初め、第2話についた予告は北条真吾が……、
 「グッドサンダーはついに発進した。だが、人類最初の瞬間移動地点は、予定された場所ではなかった。襲いかかるドクーガの魔の手に、ファイターレミーの操縦する新型メカ、トライスリーは絶体絶命の危機に。それを救ったのは意外にも……。次回、戦国魔神ゴーショーグン『激闘トライスリー』にご期待下さい」
 ……と言っていたものが、第九話では、
キリー「よォ、俺はキリーだ。ドクーガのダイヤ鉱山で戦いの最中、土地の娘アルーシャと真吾がいいムードに……。ちぇっ、ラブ・ロマンスは、俺が一番乗りのつもりだったのに。まぁ、いいさ。俺にはレミーがいるもんな」
レミー「キリー、勝手に決めないで!」(キリーにひじ鉄)
キリー「あ、いてっ。次回、戦国魔神ゴーショーグン『ダイヤモンドは燃えつきて』で、ふふん、また会おうぜ!」
 ……となり、第十二話ではついに悪役のはずのブンドルが登場。
ブンドル「戦いは美しくなければならない。そして、美しきものは目に見えぬ宿命(さだめ)で結ばれている。レミー・島田、君はけなげでかつ美しい。次回、戦国魔神ゴーショーグン『別れのモンマルトル』。君に、真紅の薔薇を捧げるのは、この私だ……」
 第19話では、やはり悪役のはずのケルナグールが……、
ケルナグール「何? 予告編? このワシが? グハハハハ、ついにワシの出番がやって来たのか! そうとも、ブンドルだけにやらせる手はないわい。次回、戦国魔神ゴーショーグン『叩けロンドン秘密基地』。えっ? 叩けだとォ。ワシの基地が叩かれてたまるか! それに、たった2人の子供にだとォ〜。……こんな予告。出るんじゃなかった」
 と、ぼやき。最終話近くになると北条真吾が……、
真吾「ドクーガとの戦いに決着が着くまで後半年。グッドサンダーはついに捨て身の攻撃を開始した。我々に待っているのは生か死か。そして、その間にもビムラーとケン太の謎が次第に明らかにされていく。次回、戦国魔神ゴーショーグン『海の敵を叩け』。レミー、キリー、俺達は何のために戦ってきたのか……。もう予告で冗談なんか言ってられないぜ」
 とまじめそうに言いながら、最後に冗談ぽくなり……。ついにはレミーとブンドルが(第25話予告)、
ブンドル「華麗なるクロージングは間近だ。レミー・島田、ラストタンゴは私といかがかな」
レ ミ ー「あなたの心臓が止まったらお相手するわ」
ブンドル「その日を楽しみに、次回、戦国魔神ゴーショーグン……」
レ ミ ー「『決戦秒読み開始』。あなたがもう少し人並みだったら好きになったかもね」
ブンドル「トゲのある言葉すら美しく響く」
レ ミ ー「あ〜ぁ、開いた口も塞がらず……See You Again……」
 ……となる。
 予告の録音には笑いが絶えなかった。
 その後の、僕のシリーズ構成作品は、次回の内容すら言わない予告が増えていった。
 ところで、ロボット物として、いまのところ僕にとって、『戦国魔神ゴーショーグン』は最初で最後の原作・シリーズ構成作品ということになっているが、いったいどういう作品だったのか、次回にまとめてみようと思う。

   つづく


●昨日の私(近況報告)

 異性と付き合う方法……。なんといっても異性と会話をしなければ、話にならない。地球上にいる自分は1人だけという自信を持って語りかけよう。
 男女共学だったら、異性がすぐ近くにいるのだから、ほんの少しの勇気でいい。相手は誰だっていい。この際、自分の好みにこだわる贅沢は捨てること。バレンタインデーに、義理ではないチョコレートを何十個ももらっている奴ならともかく……そんな満ち足りた奴は、屈折したところがないから、もともと、人間の紆余曲折を描く物書き(脚本家)には向いていない。
 ここで問題にしているのは、義理チョコさえ、数年間もらった事のない君の事である。
 義理でもチョコレートのひとつぐらいもらえる奴は、それを話題に、女の子と話すきっかけができる。そんな奴も、ここでは問題にしない。
 ともかく、異性の友達が1人もいない人は、なにがなんでも異性に話しかける事である。
 話題はなんだっていい。天気の良し悪しだって構わない。学校の悪口だっていい。相手だって話しかけてくるのを待っていると思い込んで話してみる事だ。気安い奴だと、引かれても構うな。
 人間の半分は異性だ。べらべら喋っている内に、乗ってくる相手もいる。もっとも、自分がちょっとしっつこいなと思ったら、さっと引いて、他の異性に乗り換える事。その引き際の鮮やかさが、印象に残るように……。
 時を見て、数日後、また話しかけると、相手はもうすでに一度は話した事のある友達である。取っ換え引っ換え話しかけていると、あっという間に、あなたのクラスの異性は、みんな友達になる。
 ただし、恋人になったなどと、高望みした錯覚は持たない事……まだ、友達である。
 男女共学の場合は、話した後の引き際の鮮やかさが、その後の異性交際を発展させるこつだと思っていい。
 ある程度、引き際のコツを覚えたら、クラスや学年で評判のいい相手や、もててもてて困っていそうな相手に挑戦しよう。
 たとえば、あなたが男の子なら男の子達がいつもうわさにしている可愛い子や、美人の子に話しかけてみよう。
 その時は、相手にされなくても当然という自覚を持って挑もう。
 相手は付き合い上手だから、そこそこ話し合ってくれる時もある。
 運がいいと、周りの連中が、あの子はもてるだろうからと敬遠しあって、誰も声をかけず、空き家だったりすることもある。
 そんな時は、すんなり空き家に忍び込める。つまり、割と簡単に友達になれる。
 普通は、もてる人や、可愛い人、美人の(またはかっこいい)人は、すでに相手がいる。
 そこに君が割り込むと三角関係になる。そこで恐れてはならない。
 後から割り込むあなたは振られて当然なのである。
 だが、案外そうはならない。いつも付き合っている相手より、新しく目の前にうろつき出したあなたを、新鮮に思ってくれる場合も多いのである。
 すでにでき上がっていそうな関係の男女には、あえて三角関係になるように……。そんな挑戦する勇気を持とう。
 その時も、引き際をうまくやる事だ。後ろ髪を引かれているよな、物欲しげな感じで引かないこと。
 気持ちよく、さっそうと引くと、そこがまた印象に残る。
 今までの相手より、あなたの方が潔くて格好よく見える時もあるのである。つまり、引いたように見えても、相手の異性の中では、ちっとも引いて見えないのである。
 確実に相手の心の中に残るといっていい。
 相手の気持ちは少なくとも揺れてはくれる。
 僕の経験上、三角関係の場合、後から出てきた方が、絶対、優位である。相手の彼や彼女は、あなたの存在にあわてて、醜態を見せる場合が多い。
 「オレの彼女に手を出すな」とか「わたしの彼とつきあわないで」などと慌て出すと、ますますあなたは優位に立つ。
 君は、飄々としていればいい。その人とは、友達関係以上のそぶりを見せなくていい。
 相手は、慣れ親しんだ今までの彼や彼女より、あなたの方が魅力的に見えてくる。
 「女房と畳は新しい方がいい」という古いことわざは。いまだに存在しているのである。
 ただ、三角関係は、うまくいっても、また別の誰かが参加してくる時がある。昔の彼や彼女が復活してくる可能性もある。
 そうなると、ごちゃごちゃとややこしい事になるから、そこは覚悟しておいてほしい。
 そのごちゃごちゃをいくつも体験するうちに、だんだん異性の気持ちが分かるような気持ちになってくるだろう。
 僕がここに書いているのは、恋人を作る方法ではなく、あくまで、異性とはどんなものかを知る方法である。
 異性を知って脚本家になるために役立てる方法である。
 恋愛騒ぎが刃傷ざたになっても、いっさい責任は取らないからそのつもりで……。
 三角関係が、はしにもぼうにも掛からず、あなたが無視された場合はそれはそれでいい。
 あなたの中で揺れ動いた気持ちが、脚本を書く上で参考になる。
 ともかく、勇気を持って、片っ端から異性と付き合う事をお勧めする。
 さて、問題は男子高や女子高、男だらけの体育系の学校や女子大……つまり異性自体とそもそも交友の少ない場合である。
 歳の差のあまりない妹やお姉さん、兄や弟のいる人は幸せである。できるだけ、いいお兄さんやお姉さん、いい妹や弟さんになって、兄弟から異性を紹介してもらう手がある。年下の男性はいやだという女性もいるだろうが、何も恋人にするわけではない。異性に慣れる事が目的である。
 できるだけ兄弟姉妹の友達の話し相手になろう。
 ただし、あまりに歳の差がある場合は、他の趣味者と勘違いされる危険性があるから気をつけよう。10歳以上も違う妹やお姉さんの友達と付き合うとなると、年上ならともかく、年下だと精神的病気を疑われる。
 さて、困るのは、兄弟にも親戚にも異性のいない場合である。
 周りを見渡しても、お母さんぐらいしか異性のいない人……合コンとか、学外のクラブとか、色々工夫はしているようだが、いかんせん異性と話す機会が少なくて、どこかぎこちない。
 まるで、異性と話せない人もいるらしい。
 そんな時は、もう、街に出るしかない。街で異性を探すのだ。
 そのことについては次回に話そうと思う。
 ところで、ここは異性との交際法を教えるコラムではない。
 あくまで、「誰でもできる脚本家」のコラムである事を忘れないでほしい。

   つづく
 


■第43回へ続く

(06.03.22)

 
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