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アニメの作画を語ろう
シナリオえーだば創作術――だれでもできる脚本家[首藤剛志]

第36回 
『戦国魔神ゴーショーグン』レミー島田のモデルになった女性・その1

 『戦国魔神ゴーショーグン』は、一見、荒唐無稽なロボットものであると言われても仕方のない作品である。
 しかし、荒唐無稽と呼ばれる作品の中に、どこかに現実にいるかもしれない人物が、多少デフォルメされていても登場していれば、単なる荒唐無稽ではない、リアリティの香りのする作品ができるのではないかと、僕は思った。リアリティ風味、荒唐無稽料理と呼べるような作品である。
 どうしたら、そんな作品が作れるだろうか……などと、僕は、深く悩みはしなかった。
 実際にいる人間の性格、行動をモデルにして、キャラクターを作ればいいのである。
 すでに、その時点ではまだ映像化されていなかったが、その後アニメ化された『街角のメルヘン』という作品で、実在するガールフレンドの性格や行動を、ほんの少しだけデフォルメして主人公の女の子として登場させたことがある。彼女ががしゃべった台詞など、ほとんど、実際のガールフレンドが話した言葉そのままである。
 『戦国魔神ゴーショーグン』には、様々な人物が登場するが、その全てに、デフォルメはしているが、大なり小なり僕が知っている実在する人物のモデルがいる。僕が、完全に空想や想像で作ったキャラクターは、メカであるロボットのゴーショーグンぐらいだけと言っていいだろう。そのゴーショーグンですら、ラスト付近では、僕の知っている人の人格らしいものを持ってくる。
 でも、どうやったら、ロボット・アクションものの登場人物で、実際に存在する人間をモデルにすることができるのだろうか。
 簡単である。モデルになる実在の人間が、フィクションの世界の中で、どういう台詞をしゃべり、どういう行動をとるかを想像してみればいいのである。あいつなら、あたえられたフィクションの世界の中の状況で、こんな行動は絶対しない。こんな台詞は絶対、しゃべらない。……そのかわり、きっと、こういう行動をする。こういう態度をとる。こういう台詞を言う。それを、フィクションの世界の中でやらせるのである。
 架空の世界の中で、実在する人間を動かしてみるのだ。
 あなたの周りに実在する人間達は、アニメや、ドラマや、コミックに登場するキャラクターではない。あなた自身の会ったことのある人、友人、知人、兄弟、両親、あくまで、存在する人間である。
 それを、あなたがフィクションの世界で動かすのだ。
 自分の知っているごく平凡な人間が、アニメの登場人物になれるはずがないよ。……そう、思われるかもしれない。
 しかし、あなたの周囲にいる人達のキャラクター(性格・行動)は、よく観察すれば、決して平凡ではない。1人ひとり、違う人格を持っているはずである。
 そして、なにより、あなたの周りで生きている人達なのである。
 あなたが見ているアニメや、ドラマや、コミックに登場するキャラクターは、あなたの周りで生きているだろうか……?
 あなたの周りで実際に生きている人間を、フィクションの世界の中に入れ込んで動かしてみよう。いや、もしかしたら、あなたが想像する以上に、彼らは、勝手に動きだすかもしれない。
 それが、フィクションの中の登場人物に、不思議なリアリティをもたらしてくれるはずである。
 では、具体的に『戦国魔神ゴーショーグン』の赤一点、女性ファイター・レミー島田の場合はどうだろう。普通、ロボットアニメの紅一点と言えば、かわいくて、優しくて、マスコットガール的存在になりがちである。しかし、レミー島田は、そんなお人形的キャラクターとは、ちょっと違う。妙に、リアリティがある女性のはずである。
 それは、レミー島田の性格・行動の中のある部分が、実在する女性をモデルとしているからだ。……と、少なくとも僕は思っている。
 誰かといえば、僕のガールフレンドだった人である。
 だったという過去形を使ったのは、僕が『戦国魔神ゴーショーグン』を書いたころは、彼女は、僕の友人ではあったかもしれないが、ガールフレンドではなく、ドイツに住み、ドイツ人と結婚していたからである。
 ついでだが、ややこしい言い方に聞こえるが、その女性のドイツ人の夫とも、僕は何度も会っているし、僕としては友人のつもりである。
 レミー島田のキャラクターとそのガールフレンドとのキャラクター上の関連性は、語ると少し長くなりそうだが、僕がいまだにシナリオライターをやっている事にも関係があるので、この機会に書いておくことにする。
 したがって、話は、このエッセイの、21話あたりに戻ることになる。時は20歳前後……僕は、ガールフレンドに、シナリオライターになると宣言した。……当てにならないなあ……と思いつつも、彼女もそれを認めてくれた。彼女には、20歳までに外国に住む、という夢があった。……彼女に、夢という表現は当たらないかもしれない。彼女にとっては、実現することが夢であって、事実、英語の勉強をしながら、外国で暮らす費用をアルバイトで溜めていた。
 そこに、突然、当てにならないボーイフレンドが、シナリオライターになるなどという夢を持ちだしたのである。……もっとも、僕にすれば、シナリオライターになるなどということは、夢などというほど大げさなものではなかった。大学受験に失敗した代わりに、「脚本家にでもなってやろうか」の程度だし、第一、生まれながらにして、書くことが嫌いな性格の僕である。シナリオライターなど、夢というよりは、ホラ話に近かった。
 しかし、シナリオ研究所で書いた脚本は、わりと好評だったし、脚本家の山田信夫氏がタイプライターで書いた原稿を、僕が200字詰め原稿用紙に清書した作品が「戦争と人間」(当時は大作として評判になった)だったこともあり、映画に関心のないガールフレンドも、僕の脚本家になるという宣言を、まんざら、ホラ話だと思えなくなってきたようだった。
 さらに、決定的だったのが、20歳の時に、10代の頃に書いた「大江戸捜査網」が放送され、タイトルに僕の名前が乗った事だった。
 テレビに名前が出た以上、ホラ話ではない……と、一応、誰もが思った。多分、家族も、友人も、僕のガールフレンドも……。
 このあたり、今は沢山あるシナリオのコンクールのひとつに入賞したら、もう脚本家になったつもりになる脚本家志望者に似ていなくもないこともない。
 この現象、入賞した本人を持ち上げる賞の主催者や、本人の周囲にも責任があるとも思うが……それだけで名刺に脚本家という肩書きを入れる人もいるというから、いささか驚く。
 もっとも、本人自身、自分が脚本家だと思えば、原稿の1枚も書かなくても、名刺に脚本家の肩書きを入れるのは御本人の勝手であるから、僕が文句を言う筋合いではない。
 物を書く人の肩書きなどなんの責任もないから、本人が恥ずかしくなければ、あなたも名刺に、作家、脚本家、漫画家、イラストレーターなどの肩書きをつけてもかまわないのである。
 ただし、「どんな作品をお書きですか?」と聞かれて困っても僕は知りません。
 名刺の余談だが、物書きには、色々な組合がある。それに所属していれば、もちろん肩書きにしていいと思う。
 ただし、「日本脚本家組合」とか「シナリオ作家組合」とか、組合はちゃんとしていても、所属している作家達がどうかは、分からない。
 ある程度の審査を受けて年会費さえ払えば所属していられるが、問題は、現在、その作家が書いているかどうかである。
 今、原稿を書いていない人はもちろん、売れない原稿ばかり書いている人は、基本的に無職である。物書きに限らず売れない自由業は無職と同義であり、どこの組合に所属していても本質は同じである。
 だから、僕なんかいつも有職と無職を繰り返しており、「僕の職業ってなんなんでしょう?」といつも自問自答している。
 さて、お話戻って、僕の周りは、「大江戸捜査網」でTVに名前が出たと喜んでくれたが、僕自身はピンとこなかった。「大江戸捜査網」という以上、アクションものだと思い、目一杯、アクションのアイデアを入れたのだが、週1度の放送では、予算もないし時間もない、こんなアクションは普通の人間じゃ不可能だ。第一セットも作れない。それに、登場する俳優のスケジュールもある。1週1回の番組の撮影は、3日か4日しか撮れないのである。本格アクション物は無理である。ということで、僕を「大江戸捜査網」に紹介してくださった脚本家が直しを入れて、アクション部分をばっさりなくして、親子人情物になっていた。その脚本家さんには、大変迷惑をおかけした。要するにストーリーは、僕が書いたものだが、放送されたものはアクションもののつもりがお涙頂戴の人情ものになっていたのである。題名も「花嫁の父」……どこがアクションものじゃ? 僕は、その時、ふと思った。これがアニメだったら、予算も安く、セットもスタントマンも俳優も絵で描ける。
 ガールフレンドにそう言ったら……「私に言ってもしょうがないわ……だったら『サザエさん』で『大江戸捜査網』をやればいいでしょ……。でも、ま、シナリオライターになったんだし、それだけでもいいじゃない」
 彼女の言うとおりである。
 やがて、次の「大江戸捜査網」の仕事がきた。
 僕は考えた。「大江戸捜査網」の隠密同心だって、生活がある。
 給料なしで悪人を毎回、殺しているわけではあるまい。
 そのギャラのアップを隠密上層部に交渉する話を書いた。
 そのエピソードは、当然のように没にされ、2度と「大江戸捜査網」の仕事はこなかった。
 なお、『戦国魔神ゴーショーグン』のグッドサンダーのメンバーは、ちゃんとギャラをもらっている裏設定になっている。
 悪の側は、もっとシビアで、作戦に失敗すると、損害賠償金を払うことになっている。賠償金は、一括と分割の2種類あり、ローンだと、年利3パーセント……(ドルの利息と同じぐらい)で、銀行でお金を借りるよりは安くなっている。悪の組織ドクーガは、世界中のほとんどの銀行も経営しているから、幹部が借金した時に、幹部が他の高金利のローン会社にお金を借りに行き、幹部のお金が、ドクーガ関連の銀行から流出するのをを防ぐためである。
 早い話が、ドクーガは、幹部からも金利をとって稼いでいる世界最大規模の銀行でもあるのだ。
 したがって、グッドサンダーのメンバーは、余程のことがないかぎりキャッシュカードを使わない。キャッシュカードで、現在の居場所が分かるからである。
 もちろん、彼らのギャラは、銀行振込ではなく、給料袋である。
 グッドサンダーには、最大の秘密エネルギーであるビムラーとともに、金庫に相当の現金が入っているはずで、メインコンピュターのファザーが管理していると思われる。
 ドクーガの下級幹部の中には、グッドサンダーのビムラーよりも、金庫の現金を狙っている者もいると思われるが、TVシリーズ内では登場しなかった。設定上では、その人物の名前をゼニガスキーとかトリヒキゲンキーンとつける予定だった。
 ところで「大江戸捜査網」の成功とも失敗とも言えない成り行きに、僕はなんだか、脚本家になるということに、白けたものを感じ始めた。
 そのうち、なんと、『サザエさん』の仕事もきた。
 『サザエさん』を受けた脚本家が忙しいということで、手伝ったのだ。
 サザエさんが、運転免許を取りに行って、教習所をめちゃめちゃに壊してしまう話と、スキーで山の頂上から直滑降で滑り、大回転の競技に巻き込まれ、これもめちゃめちゃにする話。「『サザエさん』は、『トムとジェリー』のような、どたばたじゃないんで……」と、断られた。ごもっともである。
 ちなみに、20年ほど後、僕がシリーズ構成した『ミンキーモモ』(俗に海モモと呼ばれている)を書くことになる脚本家の面出明美さんが、僕が断られた頃の数年後、『サザエさん』の文芸担当になるのだが、面出さんは僕の脚本をOKしただろうか? しないだろうなあ……。
 さて『サザエさん』。どたばたはダメだというので、それではと、クリスマスの夜、忍び込んだ泥棒を、ワカメちゃんがサンタクロースと間違え、「プレゼントをもらえない他の貧しい人の家に行って」と頼み、人のいい泥棒は、せっかく盗んだものを、他の家の子供達に配って回り、朝になって警察に御用……。連行される泥棒に、ワカメが絶叫する。「その人は泥棒なんかじゃない……サンタクロースよ!」
 この話も「『サザエさん』には向いてません」と、没になった。ごもっともである。
 もっとも、このエピソード、僕は忘れられず、形を変えて『ミンキーモモ』(俗に空モモと呼ばれている)のサンタクロースの話に使った。
 結局、『サザエさん』と僕は、没になった3本だけで縁が切れ、今に至っている。紹介してくださった脚本家も、その3本のせいで『サザエさん』と縁が切れてしまった。申し訳ないと思う。
 この話は、辻真先氏、雪室俊一氏、城山昇氏等、『サザエさん』の常連脚本家の方達も知らない昔話だと思う。
 こんな具合に、自分でも半分無理だと思っている脚本を書いている僕を、ガールフレンドは、黙って見つめていた。
 仕事はほとんどこず、たまにきても、番組になりそうもない企画書。
 制作会社は放送番組にならなくとも、別の仕事をもらうために、つまり局や代理店との顔をつなぐために、通りそうにない企画でも出し続ける必要がある。通らない企画書をさんざん書かされて、つぶれてしまった新人脚本家が何人もいるという。
 企画書だけ書いている企画書のプロライターと呼ばれている情けない人もいるらしい。
 考えてみればいい。
 通りそうな企画を、一介の新人脚本家に任せるはずがない。制作会社は、全社をあげてその企画を通そうとするだろう。
 そして、代わりに新人脚本家が全力をあげて書いた企画書は、無造作に机の上に置かれ、それが山のように積み重なっている。
 余程、信頼できるプロデューサーからの依頼以外、「面白いねえ……。企画書、書いてみてよ」というプロデューサーの甘い言葉には乗らないほうがいい。
 書くなら、少なくともギャラの交渉だけは先に済ませておくことだ。
 僕の場合は一度もないが、ギャラももらえず、企画書を書かされる場合が多いと聞く。どんなに安くともギャラだけは取るべきだ。それが、あなたの脚本家としての存在価値の実証になる。
 本来、企画書とは脚本家が書くものではなく、制作者が書くものである。うまく書ける制作者がいないときに、信頼する脚本家に、企画だけでなく脚本も書いてもらう条件つきで、企画書を頼む。
 脚本家が自分で出す企画書が通るとしたら、それはその脚本家が、余程プロデューサー達に信頼されいて、自他共に実力が認められている場合である。
 安いギャラで、通りそうもない企画書を、やる気のなさそうに書く僕……大きな声では言えないが、もらったギャラごと素人の人に下請けに出したこともある。だって、通りっこない企画なのだから……。でき上がってきたものを読んだら、企画どころか文章にもなっていなくて、あわてて書き直し、素人の人に、ギャラ返せとも言えないから、僕としては、泣きたくなるような、ただ働きになったこともあった。
 もちろん、その企画が通るはずもない。
 これは、企画書を下請けに出した僕が悪いのだから、文句は言えない。
 このころの僕は、脚本家というより、知りあった先輩のプロデューサーや脚本家と、麻雀や酒でつきあい、自由業というおかしな仕事で巻き起こる、とても普通の人に理解できないごたごたや異性交際、めちゃめちゃな面白話、乱れきった話(きっと、作家・中村うさぎさんの一連のエッセイよりおかしいかもしれない)のあいだで生きている人間だった。その話も本当は話したいのだが、その人達がまだ生きているので、その人達の名誉のために……いや、たとえ死んだとしても沈黙を守ることにする。
 つまるところ、そのころの僕は、脚本家ではなく、脚本の世界をふらふら浮遊する脚本家もどきだったのである。
 最近、マイナーな映画雑誌で、脚本家の回想録のようなものを見かけるが、彼らの書く実在する登場人物の姿は、プライバシーの侵害どころか、書く事その事が下品に思える。これぐらいなら書いてもいいだろうという、書く相手に対する甘えが不気味ですらある。僕が知っている書き手の人間像と重なって、腐敗物を見るような思いすらする。
 脚本家やこの業界に住む人達が、みんな、このような人間達だと誤解されては困る。確かにいい加減なところの多い世界である。
 だが、どんな世界でも言えることだが、全てがそうではない。
 かなり真面目な世界だと言っても、笑う人はいないだろう。……いるかなあ。
 だが、さらに真面目な世界観をもって、世の中を見る人もいる。
 脚本家の世界を、ふらふらと泳ぎ漂っている僕……。
 そんな、僕を、じーっと見ていたガールフレンド……。
 まだ、その時は、彼女に、レミー島田的なはじけた性格は、少なくとも僕には見えなかった。

   つづく


●昨日の私(近況報告)

 たまに、こういう質問がくる。
 「私、シナリオライターになりたいんですけど、いったい何を書いたらいいんでしょう」
 そういう質問に答える本は、大型書店に行けばいっぱい売っている。
 すーごーく、親切な入門書である。
 売る人も売る人だが、書く人も書く人である。まして、買う人の気がしれない。
 僕の答えは簡単である。
 「何を書いたらいいか分からない。何を表現したらいいか分からない……そういう人は、シナリオライターになろうと思わないでください」
 それで終わりである。

    *   *   *

 何を書きたいか、何を表現したいか、何を作りたいか、何を人とコミュニケートしたいか……。
 それが分からない人は、布団の中で、「自分が何か」を考えてみてください。
 「自分が何か」が分かりそうになった時、人に何を伝えたいか、何を書きたいか、何を表現したいか、何を作りたいか、何を人とコミュニケートしたいか……が、見つかるような気がしてきます。
 そして、その気持ちを、誰でもいい、親でもいい、友達でもいい、話してみてください。そして、言葉や態度で伝わらない時、何か別のもので表現してみようという気になるはずです。
 さらにいうなら、あなたの気持ちを伝える相手が、答えを返してこない相手でもいいのです。
 例えば、TVのニュース、アナウンサーに言いたいことがありませんか? アナウンサーはあなたに応えてくれません。
 「この野郎、私の気持ちに応えてみろ!」
 いらいらしたあなたは、チャンネルを変えます。どのチャンネルも、あなたの気持ちに応えてはくれません。当たり前です。TVは、あなたに気持ちを伝えようとしているのではなく、TVを見ている不特定多数の視聴者に語りかけているからです。
 ニュースだけではありません。ドラマだって、バラエティだって、アニメだって、あなたはあなたの気持ちを伝えたくなり、その気持ちに応えてほしくなるでしょう。
 「この野郎、私の気持ちに応えてみろ!」
 頭にきたあなたは、TVのスイッチを切るでしょう。
 過激な人は、TVをぶち壊してしまうかもしれません。
 実は、それがあなたの表現なのです。
 あなたは、不特定多数でないあなたの気持ちを伝えたくなりませんか?
 ほんとうになりませんか……? 
 なれなければ、シナリオライターとしての資質はおろか表現者の資質もないと思って、あきらめましょう。
 表現者でない仕事は、世の中にいくらでもあります。
 でもね、そのうちあなたにも分かると思います。
 実は、世の中にあるどんな仕事も表現者がやっていることなのです。
 お店の店員さんは、売るという行為の表現者です。
 いきなりな例ですが、交通整理のお巡りさんも、交通を整理する表現者です。
 結局、どんな仕事も、表現する行為で成り立っています。
 あなたが、1人で部屋に閉じこもっているのなら、閉じこもることが表現です。
 でも、そこからは、何も答えは戻ってきません。
 では、街に出てみましょう。
 そこには、表現者達がいっぱい、自分の表現したいことを行動に移しています。
 あなた自身も街に出ることで、街に出る表現者になったのです。
 そして、それだけでは表現できない事がいっぱいあることに気がつくでしょう。
 それを表現する方法を探しましょう。
 あなたの体の全てを表現したければ、服を脱いで、素っ裸で街を歩いてもいいはずです。警察に保護されるかもしれませんし、精神鑑定を受けるかもしれませんが、あなたの表現は実現されたのです。
 あなたが表現したいこと、それを実行すること。それが、まず最初です。

    *   *   *

 あなたが表現したいことを表現する方法は、いっぱい見つかるはずだ。
 その内の一つが、シナリオかもしれない。もちろん、他の芸術かもしれない。
 最初の質問に戻ろう。
 「私、シナリオライターになりたいんですけど、いったい何を書いたらいいんでしょう」
 ではなく……。
 「私、表現したいことがあるんですが、シナリオライターになって、それが表現できるんでしょうか」
 僕の答えは決まっている。
 「分かりません。あなたの表現したいことがシナリオライターになって表現できるかどうか、それを決めるのはあなたです。……あなたが表現したいことが、シナリオを書くことで満足できるなら、少しはお手伝いできるかもしれませんけれどね。でも当てにしないでください。シナリオを書いて満足するのはあなたなのですからね……」
 くどいぐらい言うけれど、表現したいものが決まってから、その方法(この場合はシナリオ)を決めよう。
 この次は、シナリオを書くために、役に立つことを、僕なりの方法ではあるが、お話していくつもりだ。
 おっと……映画は見続けてくださいね。

   つづく
 

■第37回へ続く

(06.02.08)

 
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編集・著作:スタジオ雄  協力: スタイル
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