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アニメの作画を語ろう
シナリオえーだば創作術――だれでもできる脚本家[首藤剛志]

第218回 気がついたらニューヨーク

 世界における『ポケモン』などということを考え始めてしまった僕は相当病気である、と前回書いた。
 そもそも書くのが苦手でありながら、相手に対し好き勝手なことを表現して生きていく手段として、仕方なく一番楽そうな「書くこと」、それもすぐれた文体を考える苦労がなさそうな――本当は結構苦労したのだが――脚本を主な仕事にしてしまった僕である。
 そこそこ好き勝手にやっていられればいいのに、世界中でヒットする――それにはいろいろな要素があるにしろ――つまりは世界中の人たちの共感を得ることのできる作品(僕の場合は脚本の部分だが)を意識すること自体がおかしいのだ。
 世界中の共感を得られるような事柄――たとえば、共感という表現が適切かどうかわからないが、みんなの共感を得る宗教、思想、風俗、習慣――を見つけ出そうとしても、それを試みた人は数限りなくいただろうが、僕の薄い知識の範囲ではそれができた記録はない。限られた地域でも、そんな例はまれだろう。
 教室の隣の席の友人の共感を得ることすら難しい僕には、それを考えることさえナンセンスの極みである。
 みんなが納得できそうなものなら、科学的な法則、数式、公式などが考えられないこともないだろうが、僕の器にはとても入りきれない。
 こんなことをテーマに書きだすと、薄学(博学ではない)な僕でも、きりがなくなり、そもそもアニメ脚本について語るはずのこのコラムの趣旨から遠くに行きすぎてしまう。
 ただですら余談の多いこのコラムで、脚本についての記載が余談になってしまっては、なにがなんだかわからなくなる。
 だいいち、脚本家としての僕は、まともな脚本を語るには異端(?)とも言える変な存在――これ、自分で最近気がついたから手遅れもいいところである――だから、脚本を書く人間の中には、こんな珍種もいるんだなあ程度の参考程度にしかならないだろう。
 僕自身が脚本を書くのに3ヶ月もかかっていない『ミュウツーの逆襲』の説明に、数倍の日数をかけてしまったのは、やっぱり変である。
 本来、作品は、観客がその作品を見た瞬間から観客それぞれのものであり、作り手の意図や説明などほとんど意味のないものだと思う。
 何を感じるかは、観客の自由である。
 むしろ、観客がどんな感じ方をし、どんな批判をするか知りたいのは、作り手のこちらのほうである。
 僕はこんな表現をしたけれど、あなたどう思った? それを知りたいのが作り手側の好奇心である。
 作り終わった時点で自分の気持ちも終わっていればいいのだが、自分が書いたつもりのものが観客に伝わっていないとしたら、気になるのである。
 勝手なもんである。
 なまじ世界でヒットしたなどと聞くと、ますます不安になる。
 映画『ポケモン』のヒットしたという「世界」が欧米限定だとしても、日本ではない。
 日本だと言っても、それは映画がかかった都市限定である。
 もっとも、日本はほぼ全国を網羅しているTV網があるから、劇場上映後TV放映されたときの視聴率でヒットが想像できる。が、そもそも、その視聴率というものが、本当に信頼できるものであるかどうか、いまだに疑わしい。
 そんなことを考え出すと、世界から、隣の家のTVで『ポケモン』が映っているかどうかまで、気になりだすのである。
 こうなったら、病気と呼ばずになんと呼んだらいいのだろう。
 ともかく病室に1人でいるのはよくないと思い、6人部屋に変えていただいた。
 けれど、そこには僕よりずっと重病の方も入院していたから、その方たちと接しているともっと気分がマイナーになる。
 体の検査結果が出て、退院が決まる。
 医者や看護師さんや事務員さんにまで「『ポケモン』期待してます。がんばってください」なんて言われる。
 本人、顔は笑って見せるが、気持ちは「うわー、えらいこっちゃ」である。
 シリーズ構成(シリーズ・コンストラクション)に復帰した僕に、プロデューサーやスタッフは気を遣ってくれた。
 入院中は仕事をしていないにもかかわらず……もっとも『ポケモン』アニメの場合、立ち上げこそ少しはがんばった記憶もあるが、いつもは他の作品に比べたらほとんど仕事をしているとはいえない。脚本会議の現場に座っていて、他の方の脚本を読んで、たまに、ぼそっと意見を言うだけである……。
 入院を仕事中の病気扱いにして、ギャラをいただけるように取り計らってくださった。
 『ポケモン』の脚本陣は優遇されているという話どおりだ。
 なんだか申し訳ないのと、この調子で監督の意向どおりに10年以上続けるとしたら、僕の存在はいらないんじゃないか、とも思った。
 多少の工夫は必要だろうが、このまま続けていくのに十分な力のある脚本家の方がそろっているのである。
 アニメ『ポケモン』開始当初、監督から冗談まじりに「首藤さん、いつ倒れても大丈夫ですよ。代わりにシリーズ構成のできる人、脚本陣の中にそろっていますから」といわれた。
 そうだよな……とも思う。
 しかし僕は、かなりロングランの番組に関わってきたが、にもかかわらず安定するということが性にあっていないようなのだ。
 同じ番組でも、必ず変化させようとする。
 『ポケモン』の場合、映画を3弾まで考えたが、次に考えたのは、いつになるかもしれない最終のエピソードである。
 4弾目から最終前までの、変化しつつも映画的スケールを持つエピソードが、全く思いつかない。
 監督は、僕が『ポケモン』を3、4年でひとくぎりしたかったことを知っている。
 監督が10年は続けると考えている以上、それに逆らう気はなかった。
 しかし監督は、長年のつきあいで、僕が、やると考えたらとんでもないことをやるタイプだと思っている。
 つまり、シリーズ構成上、風変わりな展開にすると、僕がこのシリーズを終わらせる方向に持っていこうとしていると考えたようだ。
 時々「この展開だと、シリーズが終わっちゃう」という言葉が出た。
 「終わらす気はないけれどね」と僕が言っても、昔の強引なシリーズ構成法を知っている監督は、やる気になったら終わらせかねない脚本家が僕だと思っている節がある。
 僕としては、終わらせる気はないが変化はつけたい。主人公の成長は描きたい。しかし、その方法が見つからない。
 退院当時のもやもやに、それが加わる。
 考えると食欲がなくなる。拒食症は女性に多いものだと言われているが、男の僕でもそれに近い状態になるようだ。
 1日、何も食べない日もある。
 なんとかしようと、あせるから精神安定剤を飲んでもみる。
 脚本会議で立ち上がった瞬間に気が遠くなり、心配してビルの玄関口まで、スタッフ全員に見送られてタクシーで家に帰ったこともあった。
 「限界かな……」
 自分でもそう思ったのを覚えている。
 そんな時である。
 御前会議で御前様の発言が耳に入った。
 御前様は、日本の国民的大ヒットアニメを、かなり意識していたらしい。
 日本ではけた外れのヒットアニメも、アメリカではさほどの記録は残せなかった。
 その理由として、その国民的ヒットアニメは、日本で公開したそのまんま(声は英語に吹き替えただろうが)アメリカで公開したが、「『ポケモン』はアメリカ向けに作りかえた(もしくは編集しなおした)からヒットした。『ポケモン』のヒットは、アメリカ用にそれなりの工夫をしたからだ、という。
 いささか、得意げな発言に聞こえた。
 ちょっと、びっくりした。
 「日本で作ったままを外国に持っていくから、がんばってくれ」といったのは、ほかならぬ御前様だったからだ。
 だからこそ、「自分とは何か」というルネッサンス以降のヨーロッパ的思考(これには、当時のヨーロッパでも凄まじい抵抗があった。人間は神が生み出したというカトリックの思考に反逆する思考だからだ)を『ミュウツーの逆襲』のテーマに潜ませたのだ。
 どんな形で、アメリカで公開されたのか確かめたくなった。
 外国で、日本映画がどんな風に変えられるかはよく知っていた。
 なにしろ、僕が最初に見た「ゴジラ」は、アメリカ人が主役の「ゴジラ」だった。
 日本映画の「ゴジラ」を編集し、アメリカ人の登場するシーンを撮影し付け足したものだった。
 ドイツで見た「日本沈没」(旧作)は、日本では3時間近くあったのに、ドイツでは1時間半、あっという間に「日本沈没」で、これは、正直、ドイツ版のほうが面白かった。日本的うじうじシーンが、すっぱりカットしてあったからだ。
 でも、『ミュウツーの逆襲』がそんな風に変えられていたのなら、テーマもへったくれもない、別の映画である。
 そこからの僕の行動は、自分でもやっぱりどうかしているとしか思えない。
 当時、『結晶塔の帝王』が完成し、そのアメリカPRを兼ねたイベントで、少数のスタッフがアメリカに行くことになっていた。
 そのアメリカ行きに便乗させろ……といったのである。
 前にも書いたように、『ミュウツーの逆襲』のヒットのお祝いにスタッフ一同がラスベガスにご祝儀旅行したことがあり、その時、いろいろな事情で僕は行かなかった。その映画の脚本家だったのに、である。旅行を企画した方は気分がよくなかっただろう。
 で、僕の言い分は、「あの時、行かなかったのだから、今度は行かせろ」である。
 無茶苦茶な言い分である。
 プロデューサーは困っただろう。今回のアメリカへの旅は、僕が行くことは予定に入っていない。無理難題である。
 結局、「行き先はロスで、PRとイベントが目的の旅行だからあきらめてください」と丁寧に断られた。
 僕は、ロスには興味がなかった。
 人種のるつぼ(古い表現だなあ)ニューヨークで、 『ポケモン』がどういう形で公開され、どうヒットしたかを知りたかった。
 プロデューサーや監督がロスに行くため、その期間、脚本会議も休みになった。
 その期間を狙って、海外旅行に詳しい妻の妹に協力同行してもらい、妻と当時5歳の娘を連れて、ニューヨークに行った。
 ブロードウェイにもセントラルパークにも歩いていける、日本にあるような派手な大ホテル風ではないが、高層ビルではあるにしろ、気分は落ち着ける気持ちのいいホテルだった。フロントはこぢんまりして、ニューヨークの常伯者に気に入られそうなホテルだ。
 エレベーターでは、数人にガードされたどこかで見たようなアンチャン風の男と乗り合わせたが、他の誰も素知らぬ風で無視していた。
 僕たちの部屋の階の1階下で降りて行ったが、同じエレベーターに乗っていた老夫婦の婦人が夫につぶやいた。
 「キアヌ・リーブス?」
 夫のほうが、さりげなく頷いた。
 「マトリックス」の頃のキアヌ・リーブスである。
 妻と娘は、その後、2度、同じエレベーターに乗り合わせたそうだが、サインを求めるどころか声もかけなかった。
 実は、部屋の中では妻と同行の妹は大騒ぎだったのである。
 「キアヌと同じホテルよ」
 僕は言った。
 「キアヌ・リーブスは騒がれたくないから、このホテルに泊まっているんだ。ほっとけよ」
 「で、たけぴょんは?」
 義理の妹は、僕、「たけし」を「たけぴょん」と呼ぶ。
 「え? え……俺は 『ポケモン』の脚本家だ」
 このホテルの誰もそんなことを知っちゃいない。『ポケモン』の名すら知らないだろう。僕らは知りたくもない日本人の家族連れだった。
 なんだか自己嫌悪で、ますます気分がマイナーになった。
 だが、このニューヨークでの1週間の短い旅は、いろいろな意味で僕に影響を及ぼした。

   つづく


●昨日の私(近況報告というより誰でもできる脚本家)

 遅すぎるコメントかもしれない。
 でも、長く残ってほしいアニメの話だから、早すぎるコメントなのかもしれない。
 アニメでここまでできる、というか、アニメでしかできない驚きのあるアニメの話である。
 『マイマイ新子と千年の魔法』のことだ。
 先日、東京ビッグサイトで開かれた東京国際アニメフェア2010に娘と行ってきた。
 企画中のアニメのプロモーションビデオを見るためだが、混雑する会場の中で、数人の人が、山口県の観光パンフレットをささやかに配っていた。
 なんで、アニメフェアで山口県のPR?
 なんとこれ、『マイマイ新子と千年の魔法』のPRも兼ねているそうで……。
 これで『マイマイ新子と千年の魔法』のPRになるかどうか疑問だが、ともかく、アニメとしてだけではなく、映画としても見ておいてほしい作品である。
 山口でもどこでもいいのだが、昔、都だったが今は畑になっている田舎に住む女の子と、都会から転校してきた女の子の出会いから別れまでの話である。
 たいしたことは起こらない。
 ただし、子供目線では、あたりまえでありながら、なにもかも不思議で冒険に満ちた驚きの世界に見えることと、そして子供目線からの生と死を羅列しただけで、ドラマができてしまった作品である。
 なつかしき昭和とも、昭和30年代ともいってほしくない。30年代といっても10年間も開きがある。10歳の子は20歳になっている。
 しかも人生の最も大切な時間である。
 その期間の中のほんの一時期が、いかに人生にとってドラマチックかをたんたんと描いている。
 昭和30年のはじめが、「再現」ではなく「表現」になっている。
 誰にでもある子供時代を表現したものだから、その人が生きている限り古くはならない。
 子供時代を持っている人なら、それが平安時代の人であろうと、平成の人であろうと必見の映画である。
 このアニメには、平安時代の子供が出てくるが、昭和の子供とリンクしそうでリンクしているように見えない。
 が、子供時代ということでリンクしている。
 平成の今の子供だって、リンクできるはずである。
 子供時代のある人は、誰だってリンクできる。
 だから、このアニメは普遍性を持っている。
 こんな子供映画、アニメ以外で作れるだろうか?
 細かい部分が、すべてドラマになっていて……だって、子供の頃はすべてがドラマチックだったのだから。
 それを書き出すときりがない。
 たとえば小刀と色鉛筆で小さいがしっかりしたドラマが成立するなんて、今の僕は思いつかない。
 いつか見ようと思っていたが、渋谷での上映が終わりそうな時期になってあわてて見た。
 そして、見逃さずにすんでよかったと思った。
 渋谷に住んでいるのに映画館を見つけるのに苦労した。
 劇場の前にはポスターが貼ってあるだけである。
 DVD化も危ぶまれるほど不入りだそうである。
 確かに大ヒットは似合わない。
 しかし、いつもどこかの劇場でやっていて、そして、いつかは思い出して見直してみたいアニメである。
 だから、興行成績で消えてほしくないアニメだ。
 こういうアニメを作ることのできる作家がいるということは、日本のアニメが成熟しつつあるという証拠かもしれない。
 ちなみに、僕は、山口県とは、何のかかわりもない。
 このアニメも、本質は山口ではなく、子供だろう。

   つづく
 


■第219回へ続く

(10.03.31)

 
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