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アニメの作画を語ろう
シナリオえーだば創作術――だれでもできる脚本家[首藤剛志]

第214回 さいきんばてたのかなあ

 今回いきなり余談である。
 先日、脚本家連盟の会合で、このコラムをお読みの脚本家の方から、僕のコラムの感想を聞いた。
 「書きたい放題で面白いですね。業界や、書かれた方たちの反応がこわくないんですか?」的な意味合いのある感想だった。……あくまで僕が感じた意味合いである。
 御本人が、そのつもりで言ったわけではないかもしれない。
 別にこのコラムに嘘を書いたことはないし、相手の業界がしっかりしているところで、書かれた方たちがしっかりしている人たちなら、僕のコラム内容を気にもとめないだろから、僕も怖くはない。
 もちろんこのコラムは、僕の主観が入っているから、別の主観を持っている方は反発を感じるかもしれない。
 僕の主観が前面に出すぎて、相手を傷つけることもあるかもしれない。
 けれど、その方たちに悪意を持っているわけではないし、コラムに実名がでる方には了解を取っている。
 もっとも、アニメマニアの方には実名が出なくても、その人が誰であるか分かるから意味ないよとも言われるが……。
 それでも、書きすぎな点もあるかもしれないから、このコラムの編集の方のチェックは受けている。
 「言いすぎ書きすぎのところはカットしてください」とお願いはしている。
 それでも、ほとんど、僕の書いた文章をカットされたことは少ないから――もっとも誤字、脱字の訂正はしょっちゅうである――それは、僕に好きなことを書かせようというアニメスタイルの編集方針の度量の大きさであろう。
 もっとも、編集長の毎日連続のコラムなど(大変な労作である)、言いたいことをかなり書いているようで、若干の遠慮が感じられるところもある。
 これは僕の言いたい放題だが、それぞれのコラムを書いている方たちが、もっと言いたい放題書いた方が、読者には面白い気がする。「こんなつまんない脚本を、絵コンテにしろなんてたまらないよ」などというコンテマンのぼやきに、「俺の脚本をこんなコンテにされて迷惑だ」という脚本家がそれぞれ、相手に悪意を持たず、作品本位で論争するコラムなどがあれば、面白いし、アニメ業界で仕事をしようとする方たちにも参考になると思うのだが……まあ、そこまでは、アニメスタイルにもそれなりのしがらみがあるだろうから、無理かもしれないが。
 それにしても、アニメ関係のインターネット雑誌(?)として、他のアニメのPR公式ホームページとくらべアニメスタイルはとてつもなく面白いと思う。
 で、冒頭の脚本家の方は「首藤さんのコラムと別の意味で、板垣さんのコラムも面白いですね」といわれた。
 「板垣さん?」
 僕は板垣と聞けば板垣退助しかおぼえがない。脚本家の方は「演出家の板垣さんです」。
 演出家といえば、すぐ思いつくのは映画、TV、演劇である。
 「板垣なんて聞いたことないぞ……」と思いつつ、きょとんとした返事をしたら、脚本家の方も「???」。僕が板垣さんを知らないことにきょとんとしている様子である。
 でもって、気になったからインターネットで検索したら、板垣と書いたとたん「板垣退助」が候補に出てくる。
 僕にとっては「板垣退助」は、政治家でお金のお札である。演出家ではない。
 そこで、「板垣」「演出家」で検索した。
 ぎょっとした。
 そこに、アニメスタイルのコラムが出てきたのである。
 板垣伸氏のコラムである。
 あわわわわ……である。
 アニメスタイルの水曜日が僕のコラムで、板垣氏は木曜日のコラムを書いているのである。
 冒頭の脚本家の方が、僕が「板垣」の名前にきょとんとしたのに、きょとんとしたのは当たり前である。
 「あんた、自分のコラムを載せているアニメスタイルの他のコラムは読んでいないの?」ということになる。
 読んでいますよ。
 脚本家と違い、絵が得意ですから、ギャグ的に絵を挿入して、かなりきつい内容でもソフトに表現できてうらやましいと思います。
 世代が違うので、登場する人物に知らない人がいるのと、僕の知っている人が、彼にとっては先輩であっても、僕にとっては年下のひとであったり、そのギャップがおもしろかったりもします。
 しかし……肝心のコラムの作者の名前に覚えがないのはどうしたことでしょう。
 僕も、そろそろ痴呆症、アルツハイマー? 不安になってきました
 でも、自分のいままでを考えてみると、なんとなく安心しもしました。
 僕は、書かれた内容は覚えていますが、作者の名前は覚えていないことが多いのです。
 かっこいい言い方をすれば、内容重視で、それを作った作者の名は二の次になっています。
 そりゃ、夏目漱石が「吾輩は猫である」「坊ちゃん」の作者であることは知っています。
 しかし、作品内容のほうが強烈に僕に残っています。
 もちろん、出会った人、印象に残る人物の名は覚えています。
 ここはアニメ関係のコラムですから、仕事関係で出会った人は覚えています。
 作品として実現はしなかったけれど、お会いした人もいます。人柄はともかく、作品を作るにはこりゃだめだと(たぶんお互い)そう思ったことも数多いです。みんな個性派ですからね。
 アニメマニアの方がカリスマ的に思っている方たちにはほとんどあっていて、その方たちの顔や名前は性格は覚えています。何よりその方たちの作られた作品も……。その方たちが僕を覚えているかは知りませんが。
 今回、板垣伸さんの名前を覚えました。
 ごめんなさい。
 コラムは読んでいたんですけれど、作者の名前まで神経が行き届かなかったのです。

 で、まあ『結晶塔の帝王』の話題に戻そう……文体も。
 僕は『結晶塔の帝王』の脚本の第1稿で、後の直しは共作者にまかせた。
 その直しに、僕が適切だと思う人を推薦した。
 脚本会議では、さまざまな直しの意見が続出したようだ。
 関係者から聞いたが、『結晶塔の帝王』の製作費は7億円。僕の書いた脚本は7億もかける脚本じゃない、という強硬な意見も出たという。
 でもまあ、父親が娘にプレゼントする脚本なら、僕としては満足である。
 当時の娘に対するお小遣いなど、1円にも満たないからだ。
 その脚本の直しを担当する脚本家は、色々な意見に融通を利かせられるはず、と僕は思っていた。
 けれど、『結晶塔の帝王』の基本テーマは変えられるはずはないとも思った。
 で、結局、そのテーマは変えられることはなかった。
 前回、ミーの実の母親がタイトルバックの出てくるのは奇妙である、と書いた。
 しかし、その責任が共作者にありるかどうかは分からない。
 脚本直しには,色々な意見が出てくる。
 それをまとめるのが、直しを担当した脚本家の役目である、
 僕にも責任がある。
 「父と娘」「家族の絆」、そういったテーマを共作者に告げずに、勝手に病院に入院してしまったのだ。
 矢のように浴びせかけられるプロデューサーや監督の意見に、手こずった事だろう。
 ミーの境遇がかわいそうである、そんな意見も出ただろう。
 だから、ハッピーエンドに見えるような場面を持ってきたのかもしれない。
 脚本家の知らない部分で、あの実の親が現れた可能性だってあったかもしれない。
 いずれにしろ、僕は『結晶塔の帝王』をそれほど悪い作品だとは思ってはいない。
 テーマが明解だからだ。
 妻の感想は、CGがよくできていてお金をかかけているわね……だった。
 いずれにせよ、『ポケモン』映画に僕は疲れ果てた。
 『結晶塔の帝王』で、僕にとっての『ポケモン』映画は最後にするつもりだった。
 それがどんなにヒットしようとも……。
 気力も体力もなくなっているのを感じていた。

   つづく


●昨日の私(近況報告というより誰でもできる脚本家)

 今年のゴールデンウイークに上演される「鏡のプリンセス ミンキーモモ」というミュージカルへの脚本家側の姿勢がほぼ決まった。
 残念だが、ほぼ裁判になるだろう。
 初代『魔法のプリンセス ミンキーモモ』、2代目『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の脚本関係者が、著作権問題で、ミュージカル後もあるかもしれない3代目『魔法のプリンセス ミンキーモモ』に否定の態度を示すためだ。
 なんだかあわてて、オリジナルキャラクターのオリジナルストーリーのミュージカル「鏡の国のミンキーモモ」にするつもりだろうが、これではバッタものと同じである。
 何も知らずにミュージカルに関わる人たちには気の毒だが、あなたたちの履歴によい結果になるとは思えない。
 観ていただいた方たちにお願いしたいのは、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』が1代目にしろ2代目にしろ、あなたの心に響いていたならば、それを大切にしてください、ということだ。
 そして、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』を、こんな情けない状況に追い込んだ人には、反省してほしい。
 『魔法のプリンセス ミンキーモモ』のスピリッツをおぼえている方は、ぜひそれを次の世代に引き継いでいってほしいと思います。

   つづく
 


■第215回へ続く

(10.03.03)

 
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