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アニメの作画を語ろう
シナリオえーだば創作術――だれでもできる脚本家[首藤剛志]

第21回
書くことが嫌いな男は、いかにして鉛筆を持つようになったか PART 5

 「シナリオ研究所」は、20枚シナリオ修業の成果を見るためかどうかは知らないが、中間テストのような意味合いで、三十分(二百字詰め原稿用紙、約60枚)のシナリオを書けと言ってきた。読んで批評していただけるのは現役プロの脚本家だという。
 普通なら、張り切らざるを得ないところだが、20枚が60枚になったところで、習作であることには変わりがない。映像化されるはずもなく、賞状や賞品を貰える訳でもない。どうしたものかと思ったが、三十分といえば、一応、シナリオと呼べるものにはなりそうである。「シナリオライターになる!」とガールフレンドに言った手前、何も書かずに「止めました」では済まない状態にもなっていた。
 それに、授業料を払った記憶はないくせに、「授業料を払った以上、せめてシナリオを批評して貰って、元を取らなければ……」と、人並みなこと――どこが人並みだ?――を考えることにした。
 僕は、彼女に言った。
 「シナリオを書くから、しばらく手紙は休む」
 「いいわよ。どうせ、三日にいっぺんぐらい会っているんだから、手紙が来なくてもかまわない」彼女は、軽くそう言って頷いた。
 僕は、ひさしぶりに、鉛筆と消しゴムと原稿用紙を取りだした。
 言い忘れたが、彼女への手紙は、万年筆で書いていた。親しい仲にも礼儀あり……手紙を鉛筆で書くのは失礼である。ここは大事なところである。修正のきかない万年筆だと、……修正液など使った手紙は鉛筆より失礼である……少なくとも、手紙一枚分は、誤字、脱字、奇妙な文章は書けなくなる。失敗すれば、破り捨てて書き直すしかない。手紙を書き慣れてくると、自然と書き直しのない文章を書くようになってくる。
 自分の書く文章に慎重になると同時に、書き直すことに嫌悪感を持つようになる。
 シナリオには直しが付き物だと言われている。プロデューサー、演出家、その他から様々な意見が出てきて、制作側によりけりだが、シナリオは叩き台だ……と言う意見が平然とまかり通っているという所もあるという。その御意見に従って、自分の書いたシナリオを当たり前のように直して、平然としている脚本家も多いという。自分のシナリオを書き直すのが、脚本家の仕事だと思っている人すらいるらしい。
 こういう人たちを、脚本家とかシナリオライターとは、呼びたくない。
 単なる便利屋、書き屋、である。
 確かに、書き直しが必要な時もある。
 その原因が、自分の書いた脚本の中にある……つまり、ろくでもない、変てこな脚本を書いてしまった場合もあるだろう。
 が、その時、へらへら笑って、他の御意見に同意したり、他からの御意見を有難く頂戴する……そんな性格の人は、まず、ほとんど、ましな脚本は書けないと思う。
 自分の書いたものを直す時には、まず嫌悪感を持ち、それでも書き直さなければならないとすれば、そのこと自体に、そんな脚本を書いてしまった自分自身への屈辱感を感じるような性格が必要だと思う。
 そういう性格のない人が、自分が書いた脚本でありながら、その後、演出家、俳優、その他、様々な人の意見や思いが積み重なってやっと完成する作品の中で、自分の書いた何かの存在を感じることができるだろうか?
 自分の書いた脚本の作品です……と、言えるのか?
 それなのに、他の人たちのいいなりになってでき上がった脚本を元にした作品を、「あれは、私の脚本作品です」と、胸を張って喜んでいるシナリオライターが、最近、やたらと多い気がするのは僕だけだろうか?
 それでいいというのであれば、僕は、もう、何も言う事はない。
 ただ、僕が思うところの、少しはましなシナリオライターになとうとするならば、手紙、書き直しが難しくポストに投函したら戻ってこない手紙、つまり、ごたごたと直しを要求してこない手紙……特に、それがラブレターの場合、直しを要求されるということは、返事がかえってこない、終わりを意味するに等しいことになる。……ともかく手紙を書くことが、20枚シナリオを何本も書くより役に立つことは確かだ。
 というような偉そうなことは、今だから言えることで、十八才の僕が、シナリオを書くのだから、万年筆などと、強気なことは言っていられない。だいいち、60枚も書くとなれば、手紙の数倍である。
 誤字脱字や変な文章で、いちいち原稿用紙を破り捨てていたら、部屋中、紙くずの山になる危険性がある。それを考えれば、やっぱり、鉛筆と消しゴムである。
 少しは、シナリオについて知識を持ちだした彼女が聞いた。
 僕の手紙は読んだことのあるガールフレンドも、まだ、僕の書いた20枚シナリオさえ読んだことはなかった。僕自身が、読んでもらおうとも思わなかったこともある。
 「で、何を書くの? あれ、書くの?」
 「あれ」とは、夢の国「フィナリナーサ」から来た男の子の話……つまり、後に主人公を女の子に変え「ミンキーモモ」という一年以上続いたアニメシリーズになった作品の原形である。
 「あれを作るには三十分じゃ無理だよ」
 その話の中のエピソードの一つぐらいならできるかもしれないが、僕は、それを書くつもりはなかった。
 たかだか「シナリオ研究所」の映像化される可能性の全くない提出作品に、夢の国の男の子の話のエピソードの一つですら使うのは、もったいないと思っていたのだ。今、思えば、我ながら背筋が寒くなるほど傲慢で強気である。
 では、何を書く? ……何も書くものがなかった。でも、何か書かなきゃ……。で、しょうがないから、なんの考えもなく、面倒くさいから、決めた。
 「きみと俺を書く……」
 その時、たまたま二人は、新宿西口の中央公園にいた。
 いつもそこで会っていた。お互いに小田急沿線だし、お金がないし、二人だけで外で出会う場所といったらそこしかなかった。
 新宿駅の西口から公園までは、一本の道でつながっていた。
 その道は、今も、新宿西口から地下道から高層ビル群の間に出て、公園につながっている。
 その道で、十八才の男女が、春、偶然出会って、なんとなく、デイトするでもなく、散歩するでもなく、夏、秋、とりとめのない話をしながら、新宿駅から公園へ続く道を歩く。冬、唐突に二人の間に別れがあり……春、また、偶然再開する。その一年間のストーリー。もっともストーリーと呼べるかどうか分からない。その一年間にたいしたことは起こらないからだ。それじゃあ、あんまりだから……。
 「いちおう、君は不良少女風」
 「なぜ、私が不良少女なのよ」彼女からの当然の反発である。
 「フィクション。フィクション」僕はごまかす。
 「で、あなたはずうずうしい軟派浪人」と彼女が言う。
 「不良と軟派じゃ当たり前すぎるじゃないか……俺、純粋でおとなしい童話作家志望の十八才」
 純粋でおとなしい童話作家志望には、モデルがいた。
 山本浩くんというマンガ家志望の同級生で、彼女と僕の、共通の知りあいでもあった。
 「首藤君と山本さんじゃ、性格、正反対じゃない」と彼女はあきれた。
 「フィクション。フィクション。それに出会った二人の過去や境遇を描く気はない。あくまで、性格をモデルにするだけだよ」
 僕自身、最初はそのつもりだった。 実際は、二人の間でかわされる台詞のほとんどが、実際に二人が口にした言葉そのままになった。
 舞台は、新宿西口からの道と公園だけにした。
 二人は、いつもそこにいたから他の場所は必要なかった。
 二人の間にドラマになりそうな会話もないから、童話作家志望の十八才が、季節の移り変わりで変貌する新宿西口の道から受けるメルヘン的なイメージを彼女に語ることにした。それも唐突に……。そのイメージの中に、不良風彼女も巻き込まれ、彼女自身の新宿西口に対するイメージを語りだす。もっとも、語るといってもイメージだから、ストーリーがあるわけではなく、映像で見せればいいからイメージシーンに二人の台詞は必要なかった。
 二人が主人公だから、イメージシーン以外の台詞は、二人だけ……。
 道を行き交う人々の会話は、騒音であり雑音でしかない。
 その夜、ガールフレンドと別れてから、徹夜でシナリオを書いた。
 登場人物は、かって知ったる自分とガールフレンドだったし、舞台も知り尽くしている道と公園だった。
 書き上げたときは、次の日の昼過ぎで、用意した消しゴムも必要なかったし、破り捨てた原稿用紙もなかった。一気に書いてしまったのだ。
 ただ、枚数は100枚近く、時間にして五十分近いシナリオになった。
 規定の60枚を大きく越えていたが、どこも切る気持ちになれなかった。どうせ、映像化されないシナリオだし、枚数制限を越えているから読まないと言われれば、それでも結構だと居直ってそのまま提出した。
 ところで、皆さんへの確認の意味も込めて、断っておくが、今、色々なところでやっている小説やシナリオのコンクールでは、枚数制限を破るのは止めておいたほうがいい。まず、読んで貰えないし、僕が審査員でも読まないだろう。
 僕の書いた100枚近いシナリオは書き終えるまで題名をつけていなかった。気の利いた題名も思いつかなかったから「十八才の童話(メルヘン)」という、芸のないそのまんまの題名にした。
 数週間後、原稿が戻ってきた。批評が書いてあった。悪くはなかった。
 というより、好評だった。否定的な事は何も書いていなく、「台詞が上手い」「構成がいい」「人間が生きている」誉め言葉ばかりだった。「うまい」という言葉を「上手い」(じょうずい)と書くのを、恥ずかしながら初めて知った。
 誉められるのはうれしいが、ピンと来なかったことも確かだった。
 台詞は、ガールフレンドがしゃべった言葉の中で印象的だったものを断片的に放り込んだものだし、構成も意識したものではない。二人の男女が、出会って、付き合って、別れて、また会った。ただそれだけだし、新宿西口の道の周りの風景が、春夏秋冬そして春と、勝手に起承転結をつけてくれたようなものだ。人間だって、実際に生きている二人をモデルにしているから生きているのが当たり前の様な気がした。
 彼女の意見も聞きたかったが「私が不良少女なシナリオなんて読まなくていい。だいいち、シナリオの善し悪しなんて、素人の私に分かる訳ないわ」と言って読んでくれなかった。
 僕としてもそれでよかった。シナリオの文体は特殊で、僕自身、どんな名作と言われる脚本も、読んで面白いと思ったことがなかったからである。それは、今も変わらない。プロと呼ばれるようになった今は、シナリオはシナリオと割り切って読むから、多少の善し悪しは分かるつもりでいるが、読み物としては、最悪の部類に入ると思っている。
 今も「シナリオ」や「ドラマ」という雑誌が、シナリオを掲載しているが、シナリオ初心者の人が、よく最後まで読み続けることができると感心してる。
 そんな僕が、少なくともプロの一人には好評なシナリオを書いたのである。
 「しめしめ」である。その後、提出を求められたシナリオは、どれも「十八才の童話」一本にした。新しいシナリオを書いて、けなされるのは嫌だし、提出する度に、読み手が変わる。
 他のプロのライターが、「十八才の童話」をどう評価するか興味もあった。何人ものプロが読んだはずだが、不思議なことに誰も否定的な意見を言わず、けなしもしなかった。
 ただ、20枚シナリオを誰にでも勧めていた先生が「これは日本では作れないね」と言ったのを覚えている。「この脚本は、生まれるのが十年、早すぎた」と、言ってくれた人もいた。
 書いた本人が、作れるとは思っていないで書いているから、「ごもっとも、おほめをいただきありがとさん」と言うしかないが、実際、作ろうという奇特な人が出てきたとしても、無理な作品だったと思う。おそらく世界中のどこでも作れはしないだろう。
 今の僕が「十八才の童話」を読んだとしたらどうだろう。やっぱり出来が悪いとは言わないと思う。しかし、首をひねるだろう。批評するのに困る脚本なのだ。で、しょうがないから「悪くはないが、作るのは難しいね」と答えるだろう。
 なぜ作るのが難しいか、それは次回に語ることにするが、ともかく「シナリオ研究所」時代は、それ一本だけで押し通した。
 その間、書いたのは、ガールフレンドへの手紙だけである。
 それでも、結構、首藤と言う名前は、一部のプロのライター達に知られるようになった。脚本家達は、酒飲みが多い。安酒を飲みながらの彼らの話題のほとんどが、そのころのテレビや映画の製作体制への愚痴や、お互いの書いた作品のけなしあいか、監督の悪口、下品になると色恋沙汰の話……禄な酒ではないのだが、たまに、最近の研究生の中にいい新人はいないのかねという話になる。ほとんどの人が僕の作品を読んではいないくせに 「首藤と言う珍しい名前の奴が、変なシナリオを書くらしい」……という噂が出た。
 その噂のもとが「十八才の童話」たった一本であることを、彼らのそれぞれは知らない。僕の脚本を読んだ人が、同じ脚本を読まされていることを知らないのである。ばれたら、えらいことになるところだった。
 当時「シナリオ研究所」には、その上に「研修科」というのがあり、それには、シナリオの試験があった。
 ずうずうしく、その試験にも「十八才の童話」を出し、ちゃっかり入り込んだ。20枚シナリオをシナリオと思えない僕には、この脚本は生まれて初めて書いたといえるシナリオだが、その後もいろいろ役に立ってくれた。ついでに、おまけまでついてきた。
 前回の終わりにも書いたが、その十六年後、誰にも作れない筈のこの作品が「街角のメルヘン」という題名で、アニメ化されてしまったのである。そこらの事情も、まとめて次回にお話しようと思う。

    つづく


●昨日の私(近況報告)

 仕事場を小田原から東京の渋谷に変えることにした。
 事情はいろいろあるが、小田原で書こうとしていたものが、溜まりすぎ、澱のようになってきた気がし、少し遠くから見つめ直し、整理してみようと思ったのが最大の理由といえるかもしれない。
 小田原では資料の山に埋もれ、身動きがとれなかったのだが、幸いにして、小田原市立図書館が僕の蔵書の寄贈を許してくれた。
 ついでに、屋根裏部屋に眠っていて、家がつぶれそうなほどあった僕のアニメや小説、舞台関係のものも、全て図書館に保存してくれるとおっしゃってくれたので御好意に甘えることにした。
 色々なアニメシリーズの原作・原案・シリーズ構成をして、ほとんどの脚本の管理をしてきたので、制作会社よりシナリオや資料の数のそろっている作品もある。アニメブームの昨今、売れば一財産だと言う人もいるが、捨てれば誰かに持っていかれる危険があるし、下手な処分をして問題になるのはとても困ると悩んでいたところだった。
 資料として価値のあるものは残すべきだという図書館側からの申し入れは、渡りに船……とてもありがたかった。
 ともかく、僕に関係のあるシナリオやそのほかの資料は(ビデオ・LDを含めて)ほとんど、小田原市立図書館に保存されることになった。ワープロ・パソコンが普及する前の、(僕のワープロ導入は、他の人より遅れている)原稿用紙に鉛筆や万年筆で書いた生原稿もある。「まんがはじめて物語」「まんが世界昔ばなし」「ゴーショーグン」「ミンキーモモ」のシナリオ、なぜか、僕の手元にあったセル画……「さすがの猿飛」「ようこそようこ」はもちろん、今、コラムで話題にしている「街角のメルヘン」のビデオ……。僕としては数の少ない実写もののシナリオも、保存されている。もちろん、僕の関わった「ポケットモンスター」のシナリオもあるし、世界一売れたという英語版のビデオもある。その他、あまり知られていない「超くせになりそう」シリーズまでそろっている。色々な人から送っていただいた「同人誌」やグッズ……もっとも、それぞれの作品のコアなファンの方達が所有されているものには、とてもかなわないが、首藤剛志のほとんどが、小田原市立図書館にあるといっていい。
 おかげさまで、今、僕の仕事場や家には、首藤剛志関係のものはわずかしか残っていない。
 小田原は東京からそう遠くないし、箱根や伊豆と比べても、梅や桜やツツジの花の街として……ふた月に一回は祭りをやっているお祭り騒ぎの街として……小田原城はもとより、有名な文学者の住み着いた落ち着いた雰囲気の街として……小田原提灯と蒲鉾と梅干しの他に、意外と見どころの多い街である。ついでに最近CMになった日本一海に近い早川駅もすぐ隣の小田原漁港にある。ともかく、市立図書館も小田原城址公園内の環境の良い場所にあるから、ついでがあって、もしも、僕の関係した作品に興味のある奇特な方がいらっしゃれば、のぞいてみてください。
 僕関係のものは、いちおう永久保存で、貸し出しや持ち出しこそできないが、申し出れば閲覧できるようになっている。
 僕自身も、自分が寄贈した資料調べや、小田原の海、山、街の雰囲気に浸るために、月に二回ぐらいは行くつもりでいる。
 

■第22回へ続く

(05.10.19)

 
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編集・著作:スタジオ雄  協力: スタイル
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