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アニメの作画を語ろう
シナリオえーだば創作術――だれでもできる脚本家[首藤剛志]

第170回 今年もよろしく お役にたてればうれしいです

 今年、初めてのコラムになります。
 もうしばらく続くと思いますので、これからもよろしくお願いします。
 このところ、『ポケモン』の話題が続いていますが、現在続いている『ポケモン』の映画も、テレビ版も、7、8年前に僕が脚本を止めて以来、いっさい制作に関わっていません。
 ただし、毎年、プロデューサーのおひとりがご厚意で送って下さる『ポケモン』グッズは、知り合いの子供や、幼稚園の子供たちとの交流に役立って、とてもありがたく思っています。
 ちなみに、娘の通っていた幼稚園は英国国教会系で、僕は無宗教な人間です。英国国教会は『ミュウツーの逆襲』を子供のためになるアニメだと最初に表明してくれたキリスト教の宗派でした。
 『ポケモン』を制作した方達は著作権管理がしっかりしていて、10年以上前に書いた『ポケモン』が、今も世界中を駆け回っているらしく、僕が名前を知らないような国からも、いまだに、著作権料が入ってきて、世界のどこかで、僕の書いた脚本の『ポケモン』を見ている人がいるんだなあ……と、うれしいような恥ずかしいような気持ちにさせてもらっています。
 人間、7年も8年も経つと、僕自身も含めて、経験も積み歳を取り、昔のままとは違ってきます。『ポケモン』もスタッフ名は同じでも、昔のままの同一人物とは違う筈です。
 一般的に、人間歳をとると、頑固になるか、丸くなるかのどちらかといわれますが、僕自身は、『ポケモン』に関しては、記憶がかなり丸くなっているようで、そもそも、現在の『ポケモン』をほとんど観ていないので、今の『ポケモン』に関して何も言えません。
 『ポケモン』と同時期に育ってきた娘も、もともと僕の書いた脚本のポケモン以外、観せていないのですが、中学生になり、周囲も『ポケモン』を話題にしなくなったようで、自分の父親が、『ポケモン』に関わっていたことすら忘れているようです。
 とはいえ、僕の見ていない「花より男子」の映画とか、テレビの「流星の絆」とか。マンガにしても僕が名前も聞いたこともないコミックが話題になっているようで、参考に、「花より男子」の映画をDVDで観たのですが「こんなのあり?」と、頭を抱えてしまいました。
 娘は「あはは、あれはバカバカしすぎて面白いでしょう? でも、あれってパパが観るような映画?」と、笑われてしまいましたが……。今時の中学生、みんながバカバカしいと分かって観ているのなら僕は、何も言う事はありません。
 昔の僕が良質だと思っていた映画をできるだけ多く子供に観せたくてDVDを買いあさっていた僕は、ただもう、脱力感に襲われるのみです。
 『ポケモン』に対しては、長寿を維持し続けている頑張りに感心しています。
 僕の関わった最長アニメが、最初は半年予定で、結果13年続いた『まんがはじめて物語』シリーズですから、その記録を破るのは確実でしょう。
 余談ですが、『まんがはじめて物語』の裏番組が『ガンダム』でしたから、僕は『ガンダム』を観ていないんですよね。
 『ガンダム』は新作が作られ続け、『はじめて物語』シリーズもいまだにどこかで再放送され続けていますから、未だに生きていると言えば言えるのでしょうが……。
 で、『ポケモン』についてですが 僕が、このコラムに書く『ポケモン』は、あくまで初期の、いわゆる、みなさんが「無印」と呼んでいる『ポケモン』が中心ですから、今の『ポケモン』を語っている訳ではありません。
 『ポケモン』の初期には、色々なことがあったという昔話であり、しかも、僕の立場から見た初期の『ポケモン』です。
 違う立場から見た『ポケモン』が、あって当然です。
 まして、『ポケモン』は、ゲーム、アニメ、グッズ、提携会社等などを含めた大プロジェクトですから、僕の立場などちっぽけなものだったでしょう。
 ですから、昔の『ポケモン』と今の『ポケモン』を比べる気もありません。
 『ポケモン』に携わっている方達についても同じです。
 同一人物でも、昔と今は違います。
 書いている僕本人が、変わってきている事を実感してもいます。
 ただ、僕の独断と偏見に満ちた昔話でも、脚本に興味のある方には、少しは参考になるかもしれないと思って書いています。皆さんもそのつもりで読んでいただければうれしいのですが……。
 短いですが、新年初頭のご挨拶として、とりあえずよろしくお願いします。

(余談)本当は正月疲れで、ばてちゃって、かなり大変だった。『ミュウツーの逆襲』の脚本作りの話を書くのが億劫で(^_^;) 次回は、正月気分を抜いて襟を正して書くつもりですのでお許しを……。

   つづく


●昨日の私(近況報告というより誰でもできる脚本家)

 このコラムをはじめて、ずいぶん経ちます。
 誰でもできる脚本家と書いた以上、このコラムを読んでいる方の中で、すでに脚本家になっている方がいてもいい筈なんですが……。
 ある学校で脚本を教えている知人(実写の現役の脚本家です)の話ですと、「これは、と思う人が今まで100人以上いたけれど、誰も仕事をしていないわ」だそうです。
 テレビ界や映画界やアニメ界は、絶えず新しい才能を求めているにもかかわらず、どうしてなのでしょう。
 つまり、脚本家という仕事は、なりたくてもなれないし、教えようとしても教えられない、学ぼうとしても学べないもののようです。
 じゃあ、なぜ、つまらない脚本を書いている人が、脚本家として存在しているのか? と聞かれれば、はっきり言って、コネであったり、運であったり、つまり、つまらない脚本を書いていてでも存在できる余地があるからなんですよね。……たぶん。
 その余地とは、脚本の面白さ、つまらなさが、分からない人が多くなったから生まれたともいえます。製作者も監督もスタッフも脚本家本人すら、脚本を読める人が少なくなった。それは視聴者も同じです。
 で、出来上がったものを見て、つまらないから、なぜだろうと考えてみたら、脚本がつまらなかった……と気がつく訳です。
 後で、気がついても遅い。
 なにしろ、脚本は作品制作の入り口です、
 入り口の出来が悪くて、中や出口がいくら頑張っても作品が良くなる可能性はほとんどないでしょう。
 去年は、出来のいい日本映画がいっぱいありました。
 去年の邦画は豊作でした。
 しかし、いい出来なのだけど、どの作品も、今一歩、何かが足りない。
 その、今一歩が、脚本の出来だったような気がします。
 なぜなのか、ちょっと考えてみましょう。
 映画は好きだったけれど、脚本家になる気などさらさらなかった僕が、どうも脚本家として人生が終わりそうなのは、とても皮肉っぽいのですが、その僕の意見ですから、それだけ、脚本家になりたい人には、逆説的な参考になるかもしれません。
 まずは、手短な参考例を、アニメスタイルの他の方たちのコラムから見つけてみました。

   つづく
 


■第171回へ続く

(09.01.07)

 
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