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アニメの作画を語ろう
シナリオえーだば創作術――だれでもできる脚本家[首藤剛志]

第136回 でたらめ歴史のラジオ放送で……

 「平安魔都からくり綺譚」の脚本は、現実とでたらめ歴史のすり合わせに四苦八苦して完成したが、パソコンで紙芝居のように見るデジタルストーリーブックは、1巻目しか、発売されなかった。
 2巻目以降は完成まで辿り着けなかったのである。
 その理由は、いのまたむつみさんの絵のクオリティが高すぎて、完成が遅れ、断念せざるを得なかったとか、予定の予算をオーバーしすぎたとか、色々事情があったようだが、詳しい事は知らない。
 ただ、脚本自体は最後まで完成していたので、ラジオドラマとして連続放送され、CDドラマも3巻発売された。
 ラジオドラマ用の脚本は、デジタルストーリーブックの脚本とほとんど変わっていないが、絵のないラジオドラマは、声の違いで、登場人物の違いを表現しなければならない。
 「平安魔都からくり綺譚」は、虚構の人物と歴史上実在した人物が入り交じって、大勢出てくる。
 主要な美少女だけでも、かぐや姫(竹姫)、清少納言、紫式部の3人。それを取り巻く、今で言うイケメン男性は数知れないほど出てくる。
 声のキャスティングは、プロデューサーが当時人気のあった若手声優を、多少プロデューサーの好みが入りつつ、音響監督と相談して選び、僕の意見は入っていない。
 登場する人物が多すぎて、脇役にしても重要な役どころが多かったので、この登場人物はこの声優でなければ困ると言いきれるほど、僕の知っている若手声優さんのレパートリーも多くなかった。
 それに登場人物の中の数人を、僕がよいと思っている声優さんに決めると、ストーリー上の登場人物の声の重要度に、妙な凸凹ができてしまうのも困ると思った。
 そんなわけで、「平安魔都からくり綺譚」の声優さんについては、何も言わずプロデューサーの方達におまかせすることにした。
 いささか余談になるが、10年以上前の「平安魔都からくり綺譚」のラジオおよびCDドラマに起用された声優さんは、今も声優として活躍している人が多い。
 つい最近、僕が書いたロボットアニメのメインヒロインの声に聞き覚えがあると思っていたら、清少納言の声をあてた人だった。
 本人も覚えていて「あの頃は若くて、まだ未熟で……」等と謙遜していたが、若年性健忘症の(つまり忘れっぽい)僕が即座に思い出せたのは、それだけ特徴のある声の声優さんだったということだろう。
 このロボットアニメ、もう1人のメインヒロインが『機動戦艦ナデシコ』の艦長の声を当てた女性で、言うまでもなく、僕のよく知っている声だった。
 もしも、そのロボットアニメのキャスティングが、脚本を書く前に分かっていたら、アニメキャラクターと声をもっとマッチングできたと思うし、ぎりぎりのアフレコでも修正ができたのだろうが、制作状況がタイトすぎて、アフレコでの台詞修正などとてもできない状態で、台詞の声の感情表現でも、いささか悔いが残るロボットアニメになってしまった。
 ところで、アニメの脚本家が声優の起用に口を挟む事は、めったにないらしい。
 僕も、プロデューサーや監督や音響監督から意見を聞かれれば答えるが、「このキャラクターはこの声優さんでなければ駄目」と固執したのは数番組しかない。
 その数番組での事が目立ってしまって、僕は声優さんの起用によく口を出す脚本家という事になってしまっているらしい。
 僕にとってはほんの数番組のことなのだが、それが目立つというのは、逆に一般のアニメ脚本家は、自分の書いた台詞を読む声優に対して、ずいぶん無関心だということになりはしないだろうか?
 視聴者の耳に聞こえる台詞は、誰かの手によって脚本が変えられていない限りは、少なくとも脚本家と声優の共同作業で生み出されるものである。
 もっとも、それに加えて、絵コンテも当然関係してくるが……。
 アニメ脚本家が、自分の書く台詞にとって不可欠ともいえる声優の声に無関心でいられるのは、いささか無責任のような気がする。
 ちなみに、実写のテレビドラマは、原作や脚本よりも、視聴率の取れる俳優が、なにより優先される場合もあって……視聴率の取れる○○○という男優と×××という女優の組み合わせをまず考えてから、ドラマの内容は後で決める……要するに脚本家が出演する俳優を意識してストーリーを作り、というか、俳優に当て込んで脚本を書く事が普通に行われている。
 つまり、俳優の魅力を上手く引きだせる脚本がいい脚本であり、俳優にとっても自分の魅力や可能性を引きだしてくれそうな原作や脚本家の脚本に出演する傾向があるのだ。
 メインの俳優が決まらないと……少なくとも、自分がイメージした俳優がいないと……脚本が書けないという脚本家もいる。
 放送局や製作会社に対して力のある、いわゆる大物脚本家は、まだ決まっていない俳優を想定して脚本を書き、脚本を書き終えた後に、想定した俳優を指名する場合もあるという。
 殺し文句がある。
 「この役は、あなたのために書いたのですよ」

 動く絵であるアニメの脚本では、そこまでキャストに固執する必要はないかもしれないが、自分の書いた台詞と声とのマッチングは、いかにアニメの脚本といえども意識したほうがいいと思う。
 こんなことを書くと、「もちろん声優は意識していますよ」と口をとんがらせて言うアニメ脚本家もいる。
 だが、その人が意識しているのは、アイドル化した声優や、ヒットしたアニメの声優の事で、自分の書いた脚本の台詞とのマッチングについては、全然考えていなかったりするのである。
 僕の知る限り、アニメ脚本家で、本人の書いたアニメのアフレコにまで立ち合う人は、そう多くない。
 というより、めったにいないようだ。
 脚本を書いたら、後は監督やアニメスタッフまかせ、というのもひとつの割り切りかもしれない。
 だが、自分の書いた台詞が、どういう声で、どう表現されるかぐらいは、脚本家として気にしてもいいんじゃないかと思う。
 「平安魔都からくり綺譚」のラジオ版脚本の場合、大勢の出演者の声の演技の特徴を全く知らなかった。
 それにそのころから、アニメの声優学校で同じことを教わるせいか、若手の声優さんの声がどれもこれも似たような喋り方で、僕には区別がつきにくくなっていた。
 その時期その時期の流行の喋り方があって……多くがその時期にトップの声優さんの喋りの真似のようである……誰も彼も同じように聞こえるのである。
 「LIPS the Agent」の勝手知ったる声優さん……それも少数のかけあい……とは大違いだった。
 「平安魔都からくり綺譚」は登場人物も多いし、それぞれの声の年齢も近く、台詞の数も多い。
 耳で聞いているだけだと、どの登場人物が喋っているのか分からない危惧があった。
 そのため、それぞれの登場人物が個性的な口調で台詞を喋り、区別がつくようにした。
 「です、ます」調に喋る女の子、「そうなの、ああなの」調、「でしょ、だよねえ」調の女の子といった具合である。
 「おじゃる」とか「ごじゃる」の宮廷語尾(?)、ニューハーフ言葉など、台詞を喋る登場人物ごとに特徴をつけたのである。
 でたらめ歴史に様々な口調の台詞……散々苦労して自分でもよしとするラジオ脚本ができたと思った。
 だが、思いもしないところから、脚本にクレームがついたのである。
 それはラジオ放送局からだった。
 「平安魔都からくり綺譚」の3部では、日本の平安時代、中国を治めていた宋の国の軍隊が日本を占領しようとやってきて、日本海で大海戦が起こることになっている。
 日本史的には、鎌倉時代、中国の元が襲来してきた「元寇」が有名だが、それ以前に、宋がやって来たという設定……もちろん、でたらめである……に問題があるというのである。
 でたらめな歴史だから駄目だというのではなかった。
 「平安魔都からくり綺譚」がでたらめ歴史なのは、最初から分かっているから、それは問題ではない。
 「宋」と戦争するのがいけないというのである。
 「平安魔都からくり綺譚」のラジオ版が放送される当時、中国と日本の関係には色々な問題があった。……それを言いだすと、当時より今の方が、○○入りギョウザなど問題が多いような気がするが。
 ともかく、中国を刺激するようなドラマは放送できないというのだ。
 「中国と言ったって、大昔の『宋』ですよ。今の中国とは全然違う成り立ちの国ですよ」と言っても、「ともかく、中国を刺激する内容は止めてほしいのです」との答え。
 「刺激するって言ったって、もともとこれ、虚構の、つまりでたらめお笑い歴史が前提の作品なんですけど」「でたらめでなく、本当の事なら、もっと困ります」「じゃあ、元寇も、太平洋戦争前の日本の中国進出(侵略とも言う)も……」「中国を刺激するようなものは放送できません」
 僕だって、今の中国を刺激するつもりで書いたわけではない。
 大昔の「宋」に恨みがあるわけでもない。
 だが、疑似歴史上の「宋」との戦争が、今の中国を刺激すると思うラジオ局の感覚には驚いた。
 ラジオ局としては、放送するものが中国どころか他の国も、いや国だけでなく、放送するものが人間を含めどんな存在をも刺激したくないのである。
 抗議を受けそうなものは、放送したくないのである。
 いわゆる事なかれ主義である。
 僕が書いたでたらめの歴史なら消されてもかまわない。
 でも、本当に起こった歴史的事実も、こんな感じで消されていくのだろうか?
 ともかく、ラジオ局の姿勢は変わらない。
 「宋との戦争は止めてください」
 しかし、宋との戦争がないと、「平安魔都からくり綺譚」の3部は成立しない。
 どうしても戦争させたいのが僕。
 で、ラジオ局との話合い……。
 「宋との戦争が駄目なら、隣の国との戦争ならどうですか?」
 「中国、韓国、北朝鮮をイメージさせるから駄目です」
 こんな時、僕には常套手段がある。
 「じゃあ、あっちの国、そっちの国、どこかの国でどうですか」
 これは『魔法のプリンセス ミンキーモモ』が住む国を国籍不明にするための呼び方である。
 結局、「宋」は「どこかの国」という事になった。
 ワープロで「宋」を「どこかの国」に一括変換した脚本でOKである。
 なぜか、日本海で海戦することはおかまいなしだった。
 もしも、日本海が中国海と呼ばれていたら、当然駄目だったろう。
 日本海で日本が「どこかの国」と海戦する。
 日本海を舞台に日本と戦争しそうな国と言ったら、国の名前など限られてきそうなものだが、「どこかの国」という事で放送が許可された。
 僕としては、日本と元が戦う「元寇」を意識して書いた海戦だったが、「どこかの国」となると、なんとなくロシアと日本が戦った日露戦争の日本海海戦も同時にパロディにしているようになってしまい、笑ってしまった。
 さて、「平安魔都からくり綺譚」の次に、皆さんの前に現れる僕の脚本作品はTVアニメの『ポケットモンスター』ということになるが、その前に、少し書いておきたい事がある。

   つづく


●昨日の私(近況報告というより誰でもできる脚本家)

 作家としての自分のオリジナリティを育てる方法を考える前に、確認しておく事がある。
 大袈裟に聞こえるかもしれないが、元々、人間1人ひとりはオリジナルであるという事である。
 人間が地球に誕生してから何万年経つか知らないが、1人として同じ人間は生まれていない。
 全部それぞれ違う人間である。
 たとえば指紋。同じ人はいないと言われている。それを検証した人はいないから、確かな事は言えないが、常識では同じ指紋の人はいない事になっている。
 今時ならDNAを持ちだすかもしれないが、そっくりに見えても、必ずどこかが違う。
 自分が他の人と違う事、世界に1人しかいない事に自信を持つ事である。
 「みんな仲良く一緒だね」ではなく、「みんな仲良くそれぞれ違うね」である。
 自意識過剰と他人から言われても、他の人と違うのだから、自意識過剰に見えても恥ずかしい事ではない。
 目立つか目立たないかの差はあっても、誰もが、自意識過剰が当たり前なのである。
 けれど、生まれた時から周りに他の人間がいるから、どうしても周囲の人間に影響を受ける。
 周囲の人間と違う事を考え、違う行動をすると、孤立感や疎外感に襲われる。
 それを恐れて、周囲の環境や人間に慣れて溶け込もうとする。
 だが、元々自分は1人なのだから、周囲の環境や人間に対して、「自分は自分なのに、周囲と一緒でいいのか?」という疑問を感じているはずだ。
 普通の人は、その疑問を自分の中に閉じこめて、周囲と折り合いをつけて生きていく。
 と言うより、折り合いをつけなければ、人間社会の中で生きていけないと感じてしまう。
 自分の周囲と環境が自分の全てのよりどころだと感じてしまう。
 自分の周囲と環境に溶け込む事が自分にとって安心だと思い込んでしまう。
 だが幸いな事に、日本に住んでいると、自分の周りの環境と人間が世界の全てではないことを、少しは感じる事ができる。
 少なくとも日本の環境と人間が外国の環境や人間といかに違うかを知る事ができる。
 これが北朝鮮あたりの一般の人達だと、そうはいかないのかもしれない。
 他の国の環境や人間を知らないから、自分の周囲の環境や人間を、世界の全てだと思い込んでいるかもしれない。
 だが、日本にいる我々は、世界の国々や民族が多様性にとんでいることを知っている。
 そして、そんな世界から見たら、日本自体も随分変わった……良い意味でも悪い意味でも……個性的な国に見えるかも知れない。
 つまり、あなたの周りの常識的な日本は、世界から見れば常識的ではない、かなり個性的な国かもしれないのである。
 その日本で常識的な生き方、考え方、感じ方をしても、世界から見れば、とても普通には見えないはずである。
 そんな国に住んでいる僕やあなたが、周りの環境や人間達と違う行動や考え方、感じ方をしても、変な国の中の変な人だから、ちっとも変じゃない。変で当たり前ということになる。
 つまり、周りの環境に疑問を自分は持ち周りの人間と違うと感じること……自分が個性的であると感じる人(自分が世界で1人だけという感覚のある人)の存在は当たり前なのである。
 それは世界中の人に言えることで、人間は元々、1人ひとりがオリジナルなのだ。
 当たり前のことを偉そうに言っていると思われるかもしれないが、僕は、誰と会ってもその人のオリジナルな部分を感じるのだ。
 それが、他の人に対して表現できているかどうかは別としてもだ。
 このコラムを読んでいるあなたの年齢がいくつで、どれほど社会にもまれ、周囲の環境や人間に慣れ親しみ溶け込んでいるかは知らない。
 けれど、自分は他に同じ人間はいないオリジナルであるという意識は持っておこう。
 それが、オリジナリティのある作品を生み出す人の原点だと思うからだ。

   つづく
 


■第137回へ続く

(08.02.13)

 
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