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シナリオえーだば創作術――だれでもできる脚本家[首藤剛志]

第1回 「プロの脚本家になろうと、決めた」その頃……

 三十年以上も、アニメの原作やら原案やらシリーズ構成やら脚本やら、ともかくアニメの周辺にうろつきながら、あらためて、「お仕事は何ですか?」と聞かれると、「アニメの脚本家……外国語で言えばシナリオライター」と答えるのにいまだに戸惑ってしまう。
 今でこそアニメという言葉も、普通の人たちに親しまれるようになったが、「アニメの脚本ってなんですか?」と聞かれ、説明するのに苦労してきた。
 「アニメの筋書きや台詞を書く仕事」といってもちんぷんかんぷん……「アニメの設計図のようなもんです」といえば、「絵が描けるんですね?」と聞かれ、「いえ、絵は描けないんですが……」とこちらが、くちごもってあやふやになり、「面倒くさいや、つまり放送や映画のアニメ関係のライターです」などと答えてお茶を濁すことにしている。
 そんな、僕のところにも、たまに、目を輝かせながら「アニメの脚本を書きたいんです」と、胸を張って会いに来る若い人がいる。
 その、やる気充分の表情をみていると……「こんなに、おれは、真面目に、脚本家をめざしていたのかなあ……」と、何となく、恥ずかしくなる。
 そんなに、めちゃくちゃ望んだわけでもなく、ただ流されるように、アニメの脚本を書いてきただけの感じもするのだ。
 そんな僕だが、長い間、脚本のようなものを書き続けた間で、ただ一度だけ、本気で、プロの脚本家になろうとした時がある。
 プロというのは、脚本を書いている人のことではなく、脚本で食べている人のことであることは言うまでもない。
 その頃のことを、思い出しながら書いてみようと思う。
 今から、三十年以上、前のことである。
 その頃の僕は、脚本を書いた覚えのある人ではあった。
 それどころか、その数年前には、一本だけ「大江戸捜査網」というテレビ時代劇で、タイトルに、名前が出たこともあった。
 だが、それは、一本だけの話であったし、本人も、「あ……名前が出てらあ」と、半ば呆然とテレビ画面を見ていたような気がする。
 僕のデビュー作ということになっているが、「宝塚じゃあるまいし……デビューつって言い方はなあ……」と、なんとも気恥ずかしい気がしたのを覚えている。なにしろ、十九歳の終わりごろの書いた作品であったし(放送されたのは二十代になったばかりの頃である)二十代の始まりといえば、一応、青春時代のかけらが残っている。
 正直な話、口では、脚本家を目指しているといいながら、今で言うフリーター気分、目先でお金になるアルバイトが気になっていたし、ガールフレンドを含む、いろいろな人たちとの出会いや別れに夢中になっていた。
 後で思えば、それが、脚本家になってから、役に立っているといえなくもないが、その当時は、そんな考えはみじんもなく、日々の生活に流されていたとしかいいようがない……脚本を書くというのは、その情景の一つに過ぎなかったかもしれない。
 脚本に関して言えば、「大江戸捜査網」の後に、名前のでない、少女漫画の原作を、現役の脚本家の手伝いとして書いたり、当時始まった、二時間単発の推理ドラマというか、探偵ドラマというか、刑事ドラマというか、いわゆるミステリー番組の、これも名前のでないプロット(あらすじ)を何本か書いたが勿論、それで食べていける訳ではない。
 よく、脚本のコンクールで、当選はしたものの、その後、名前を見なくなる人が多いが、当選もしない僕が、テレビに名前が出たのは、ラッキーともいえるし、それだけで充分なのかもしれないな……と、思い始めてもいた。
 そんな僕が、突然、プロのライターになろうと決めたのは、それなりの理由がある。
 それを、真面目に話すと、人から「変わってますね……」といわれたり、妙に面白がられたりすることが多い。確かに、決して格好のいい話でもなく、第一、長くなる。とはいえ、避けては通れない話なので、近いうちにお話する積りでいるが、第一回目から滑稽で、失敗に満ちた話は、僕自身の気がめいる。
 ともかく、調子のいい話から始めよう。
 「おれはプロのライターになるんだ!」 
 そう決意した僕は、周囲の人に、当たり構わず宣言した。
 とはいえ、仕事がこなければ、口先だけのことである。
 だが、ラッキーにも、仕事の声がかかったのである。
 たまたま、その翌年に予定されていた番組の脚本家の一人が忙しく欠員がでて、プロデューサーが、新しいライターを探していたのである。それを、僕が脚本勉強中だった頃の先生が小耳に挟み、駄目もとで、僕を紹介してくださったのだ。
 ラッキーも実力のうち、本人にその気がなければどんなチャンスも通り過ぎていくだけである。と、お調子者の僕は、やる気になった。
 断っておくが、これは、今の僕ではない。
 二十代前半の怖い物知らず、いや、怖いものは覗いてみたい頃の話である。
 何かをやりたいと思っただけで、ほとんどできてしまった積りになる図々しい年ごろだった。
 僕は、その仕事に賭けることにした。
 おっと、この言い方にもいささか言い過ぎの感がある。ここ何十年も、僕自身、命賭けなんて言葉は使ったことはないが、その当時には、「麻雀に賭ける」から始まって「これに賭ける、あれに賭ける」と年に何回か、本人が本気で言いたがっていただけである。
 声のかかった番組は、「世界のお話 風船旅行」制作ダックスインターナショナル。その翌年から、「まんが世界昔ばなし」と改題されてTBSの午後七時台に放映されたアニメシリーズだった。
 「昔ばなし」といえば、「あかずきん」とか、「シンデレラ」とか、有名な話が、星の数ほどあるが、僕が脚本化を任された昔話は「かしこいコヨーテ」というアメリカインディアン……(いや、今は、ネイティブアメリカンと呼ばねばならない)のほとんど誰も聞いたことのない昔話であった。
 余計なことだが、コヨーテとは、アメリカ大陸に住む、狼を小さくしたような野生の犬で、現在、その数が減少し絶滅動物の危惧が叫ばれている動物である。
 要するに、他の有名どころの昔話は、すでに書く脚本家が決まっていたのである。
 さすがに番組のプロデューサー、どこの馬の骨とも分からぬ自称脚本家に、有名な話を任せる危険をさけ、とりあえず、誰も知らない話で試してみようと思ったのだろう。
 駄目な脚本ができてくれば没にすればいい。駄目でもともと、ものになればめっけものというぐらいの起用だった。
 僕だってそれに気がつかぬほど、お調子者ではない。
 「ようし、受けて立とう。第一、僕が目指すのは、『かしこいコヨーテ』一本だけではない。シリーズのレギュラーである。でなければ、食っていけない」
 だが、そこでふと気がついたのである。
 その数年前までは、脚本を書いた覚えがあったが、「かしこいコヨーテ」の仕事が来たとき、まるで、脚本から遠ざかっており、一年以上もブランクがあったのである。
 「脚本ってどう書いたのだっけ」
 ……冗談ではなく、いささか慌てた。
 そして、格好だけでも、脚本家気分になることにした。
 ワープロもパソコンもないその当時、脚本は、二百字詰め原稿用紙に書く。二百字詰めの原稿用紙を、俗にペラと呼んでいた。
 四百字と違って、何十枚もの枚数を閉じた時に、(一時間を越えるものは百枚を軽く越える)ペラペラと簡単にめくれるからだという説に僕は賛成である。
 参考のために、脚本枚数と上映時間の関係をいうと、ほぼ、ペラ二枚で、一分分という計算が成り立つという。つまり一時間の脚本は、ペラ百二十枚、三十分ならペラ六十枚が基準となる。
 ただし、これは、アニメではなくて、アニメと比べたときの実写……つまり俳優が演技し、実景をフイルムやビデオでとった作品について言えることで、経験として、アクションや、未知の世界を舞台にすることの多いアニメは、その説明の為に、枚数を食うことが多い。上述の枚数と上映時間の関係はあくまで、目安と考えておいたほうがいい。
 脚本が四百字詰め原稿用紙でない理由は、諸説あるが、どうやら、脚本というものは直しが多くて四百字詰めでは、書き直しに手間がかかりすぎるという説が本当らしい。それが本当らしいのは、直しの少ない一流の脚本家のなかには、四百字詰めの原稿用紙を使う方もいて、消しゴムを使う必要もなく、万年筆でペラペラでなく、ヒラリヒラリと書く人もいたと聞く。
 もっとも、パソコンワープロ全盛の今では、直しも簡単で、それがまた、脚本の出来に新たな問題を投げ掛けている気がする。
 だが、それについては、また、後で語ることにしようと思う。
 さて、話をもとに戻して三十年前である。
 脚本家気分を思い出そうと必死な僕は、銀座の伊東屋という大きな文房具店で、桝屋という原稿用紙メーカーの二百字詰めを買う。
 鉛筆は、ドイツ製、ステッドラーの6B……小型の鉛筆削りもステッドラー……消しゴムもステッドラーで固める。
 本当は、鉛筆や消しゴム、原稿用紙、など、どこの製品でもいいのである。書き味を調べたわけでもない。脚本家の格好だけ目指した単なる見栄である。真似は勧めない。それで、脚本がよくなるわけではないし、だいいち普通のものより金がかかる。
 だが、その当時の僕としては、脚本家としてのその気になる為、必要なものだったのである。
 今思えば、馬鹿げているとは思うが、案外、その気になり切るというのは、初心者のころには大切なことかもしれない。
 さらに、脚本家を気取る為の儀式は続いた。
 当時、街にはコーヒーショップは少なく、そのかわり喫茶店がよくあった。
 テレビ局や制作会社の近くの喫茶店では、脚本を書く人の姿をよく見かけた。
 大物の脚本家なら、ホテルや宿屋にこもって書くという話も聞くが、もとよりそんなお金は持っていない。
 脚本家たるもの自分の作品は、人目につく喫茶店などではなく、自分の世界(つまり、自分の部屋や書斎、仕事場)で書けと、口酸っぱくいう先輩脚本家もいた。
 だが、こっちは格好だけ脚本家である。
 「私、脚本書いています」という自意識を満たす為には、喫茶店という舞台も必要だったのだ。
 僕は、脚本の書ける喫茶店を目指して渋谷の街に出た。
 渋谷は、小学校五年の時から住んでいる、いわばなじみの街だった。
 断っておくが、今の渋谷は、当時とはあまりの変貌ぶりで、とても、小学生の時からなじみに出来る街ではない。ある種の女子高生や女子中学生には、なじめる街かもしれないが……話をもとに戻そう。
 脚本を書くのに適した喫茶店(つまり、静かで落ち着ける場所)には心当たりがあった。
 渋谷の道玄坂という通りを中ほどまで行くと百軒店(ひゃっけんだなと読む)という飲食街がある。……今もある。ただ、今は、飲食街とよぶより風俗街と呼んだほうがいいかもしれない。
 円山町というラブホテル街(昔は花街だった)を背にした百軒店の奥に、その喫茶店はある。……うれしいことに今もある。
 「ライオン」という名曲喫茶だ。今は少なくなったが名曲喫茶とは、クラシックのレコード(勿論CDではない)を聞かせる喫茶店で、客は皆、その曲を目当てにやって来る。 壁の一面に巨大なスピーカーがあり、客は流れるクラシックに身をゆだね、めい想にふけっている様な人が多い。
 席は二人掛けがほとんどで、だからといって二人で掛けている人たちはあまりいない。 ほとんどが一人客で、静かに曲に聴き入っている。
 テーブルは、堅くて、ものを書いてもぐらぐらしない。
 名曲喫茶「ライオン」は、ものを書く者にとっても、渋谷で最高の環境を持った喫茶店だといえた。
 僕は、その店の常連の様な顔をして、席に着く。
 マスターやウエイトレスが、顔なじみのように、微笑みで挨拶してくれる……筈はない。脚本をめったに書かなくなった僕は、何年もその店に通ったことはなかった。
 それでも、数年前とほとんど変わらない店の様子に満足して、空いた席に座る。……「ライオン」で「コヨーテ」の話を書く、これも何かの因縁かもしれない。などと、他愛のないことを考えながら、注文した苦いコーヒーをブラックで飲みながら、原稿用紙を広げる。いや、広げるという表現は、二百字原稿用紙には似合わない。せいぜい、原稿用紙の束を置くといった感じである。
 与えられた「かしこいコヨーテ」の筋を思い出してみる。
 その話は……
 ある日、アヒルが、大きな岩に押しつぶされそうなガラガラ蛇を助けた。
 ガラガラ蛇は、助けてくれたアヒルを食べようとした。
 アヒルは、ガラガラ蛇に抗議した。
 「私はあなたを助けてあげたのに、その私を食べようなんてひどいじゃないですか」
 ガラガラ蛇は、平然と答えた。
 「いいことをすると、悪い報いがあるというのが世間の常識だ」
 アヒルはびっくりした。
 「いいことをしたら、いい報いがあるのが、普通の世間では常識のはずです。納得できません」
 ガラガラ蛇の言い分と、アヒルの言い分、どっちが正しいのか……もめているときに、コヨーテが通りかかった。コヨーテは、ガラガラ蛇とアヒルの言い分を聞いてから言った。
 「どっちの言い分が正しいか、私にもよく分からないから、どうだろう、最初からやり直してみたら……」
 それもそうだと、アヒルとガラガラ蛇は納得して、ガラガラ蛇は、前のように、大きな岩の下になり、押しつぶされそうな格好になった。
 ガラガラ蛇が身動きできないことを確かめてから、コヨーテは言った。
 「いいことをすれば、いい報いがあるのか、悪い報いがあるのか私にはよく分からない……だから、そのまま前のままにしておこうよ」
 ガラガラ蛇は、岩の下からでられず、アヒルの命は助かったのです。
 これが「かしこいコヨーテ」のストーリーである。
 後は何もない……。
 長さで言ったら二分ももたない、コントの様なものである。
 これを、十五分……いや、コマーシャルの部分を引いても十二分の長さのアニメにしなければならない。
 とりあえず、脚本のかたちに変えてみる。
 脚本は、「台詞」と「ト書き」という地の文から出来ている。
 地の文とは、台詞でない登場人物の動きやまわりの様子を書いたものである。「台詞」とト書きのほかにまず、柱というものがある。登場人物が動き回る場面……シーンのことである。
 でき上がった脚本にはシーンのナンバーが振ってあることがあるが、脚本家が書くときは、ナンバーを振ることはまずない。シーンナンバーは、演出やその他の事情で、アニメができ上がる段階で変わることが多いからだ。
 であるから「かしこいコヨーテ」の脚本は、普通に書けばこうなる。
 まず柱。……柱の上にナンバーの変わりに○をつける。○でなくて□でも△でもいいが、こんなところで、我を張って×や「」をつけても仕方がない、脚本の常識通り、○にする。
 ○の下を一字分だけあけて場面を書く。
 つまり、「かしこいコヨーテ」の場合……

○ アメリカの大平原

 次は、ト書きである。ト書きは、原稿用紙の上から二字か三字あけて書く。見やすくするためである。四字分あける人もいる。
 こうなる。

○ アメリカの大平原
   アヒルがやって来る。
   アヒルが気がつくと、大きな岩の下に
   ガラガラ蛇がいる。
ガラガラ蛇「助けてくれぃ……」
アヒル「その声は、誰ですか」
ガラガラ蛇「アヒル君の目の前の岩の下にい
 るガラガラ蛇だ」
アヒル「ありゃま……本当だ。岩の下にガラ
 ガラ蛇さんがいる」

 台詞は上のように書く。二行にわたる台詞は、一文字分、あける。これも、見やすくするためで、特に決められている訳ではないが、ここも常識に従うことにする。
 それにしても、上に書かれている脚本は、出来がいいとはいえない。
 アヒルがやって来て、ガラガラ蛇とあう。
 当たり前すぎるのである。
 この脚本の題名は「かしこいコヨーテ」である。
 コヨーテが、主役である。だったら、コヨーテから先に出してみよう。

○ アメリカの大平原
   コヨーテがやってくる。
コヨーテ「我が輩はコヨーテである」

 僕の鉛筆が止まる。
 普通、出てきていきなり自分で自分を紹介するか? これは我が輩は猫ではない、コヨーテである……不自然である。
 けれど……これはアニメである。アニメで書かれたコヨーテが、狼や他の犬科の動物と見分けがつくだろうか……
 そういえば、柱にアメリカの大平原と書いただけで、アメリカだと分かるだろうか。
 で、こんな台詞を考えてみる。

○ アメリカの大平原
   コヨーテがやってくる。
コヨーテ「我が輩はコヨーテである。私は、
 アメリカ大陸に住んでいる狼を小型にした
 ような犬科の動物で、我が輩が歩いている
 のだから、当然ここは、アメリカの大平原
 であり、日本のそこらの野原ではない」

 最悪の脚本である。コヨーテの台詞が説明だらけだ。台詞は、人に語りかけるものである。自分の説明ばかりしていたのでは、先に進まない。これでは駄目である。
 クラシックが聞こえるだけで後は静かな名曲喫茶「ライオン」で、そんなことを、ぶつぶつつぶやきながら、僕は書き始めた。
 二時間ほど経って、なんとか上映時間十二分に引き伸ばした「かしこいコヨーテ」ができ上がった。
 しかし、ちっとも面白くない。人に見せる代物じゃない。
 困ったぞ。
 困ったと同時に腹も減ってきた。
 いったん「ライオン」をでて、近くにある「ムルギー」というカレー屋に入る。
 余談を恐れず続けるならば、この店は、今もある。ということは、半世紀近く続いているカレー屋である。
 ここのカレーは、三十年前としては珍しく、インド風カレーのようにさらさらして、粘り気が少なく、独特の味をしていた。美味しかった。今も美味しいと思う。後になって、本場のインドカレーが当たり前になった今、「ムルギー」のカレーは、インドカレーとは別物の、日本人がインドカレーを下敷きに、独自に作り出した味ではないかと気がついた。店の作りも昔のまま、渋谷に立ち寄った方にはおすすめである。
 別に、頼まれたわけでもなくこんなことを書くのは、渋谷に長く住んだ僕としては、「ライオン」も「ムルギー」も印象に残る店であり、いつまでも生き続けて欲しいと、それに対する思いは、後に、「ようこそようこ」というアニメシリーズのエピソードに登場させたほど、深いものがある。
 で、三十年前に戻る。
 「ムルギー」で腹ごしらえは済んだもの、いつもは辛いはずのカレーがちっとも辛く感じなかった。書いた脚本のつまらなさが、舌を麻痺させていた。
 今でもそうだが、自分でつまらないものを書いたと感じると、体に変調が起こるのだ。
 自分が書いたものを、他人がつまらないといっても何も感じないが、自分がつまらないと感じると、調子がおかしくなる……ずいぶん手前勝手な体調である。
 「ムルギー」から「ライオン」に戻った僕は、二杯目のコーヒーを頼んだ。前のコーヒーより苦く感じて飲めるものではなかった。
 「ええい、こうなったら、自分が面白いと思うようにストーリーを変えちゃえ」
 少し、筋を変えてみた。二時間後に書き上がった脚本は面白いと思えるストーリーにはなったが、まだピンと来なかった。
 プロの脚本家になる為に、命賭けになったというには、物足りなかった。
 「おれもこれまでか……」
 ほとんど、絶望的な気分で脚本を読み直しているその時である。「ライオン」の中でBGMとしてしか流れていなかったクラシックのメロディが耳に大きく広がった。
 いつの間にか、脚本の台詞が、メロディに乗り出したのだ。
 つまり、頭の中で台詞が、クラシックのメロディに乗った歌詞に変わっていったのだ。
 「面白いかもしれない……」
 僕は、脚本の台詞を、「ライオン」に流れているクラシックに合わせて、歌詞のように書き換えていった。
 あっという間に、歌詞版「かしこいコヨーテ」ができ上がった。
 それは、今思えば、全編歌で出来たミュージカルの脚本のようだった。
 普通の脚本とは違うが、僕自身は面白いと思った。なにしろ、乗り乗りで書けてしまったのがうれしかった。
 けれど、この脚本が、プロとして受け取られるかどうかの自信はなかった。
 「ふざけた脚本を書くんじゃない」と突き返される危険もないわけではなかった。
 だとしたら、最初に書いた普通のかたちの脚本のほうがいいかもしれない……とも迷った。
 結局、最初に書いたものと、自分の気に入ったものの二本を用意した。
 自分の気に入ったものを出して、駄目だと言われたら、すぐ、前の脚本を見せるつもりでいた。
 数日後、制作会社の会議室で本読みが始まった。
 最初は、プロデューサーも監督も難しい顔をして読み出した。
 僕は、バッグの中から、最初に書いた脚本を取り出しかけた。
 三分の一ほど読んだ監督の口元からくすくすと笑いが漏れた。
 そして、吹き出した。
 「面白い」といってくれた。
 プロデューサーもうなずいてくれた。
 監督の名前は葛生雅美氏、プロデューサーは丹野雄二氏、お二人とも、それまでアニメの経験は薄く、実写を中心に仕事をしてきた方だった。
 それはともかく、「かしこいコヨーテ」は、僕がプロを目指す最初の作品になったことは確かだった。
 有名じゃない昔話は、首藤にやらせろということになり、それは、脚本になりにくい昔話の専門レギュラーということであり「まんが世界昔ばなし」は、その後、二年以上も続き、何とか脚本で食べていける足がかりになった。
 そして、このことで、僕が脚本を書くうえで学習出来たことが、一つはあった。
 自分が面白いと思えない脚本は、少なくとも自分が書いたものであるかぎり、ろくなものはない。しつこくいえば、自分の面白いと思う感覚は、人が何といおうと大事にしたほうがいい……ということだ。
 ただ、「かしこいコヨーテ」には、いささかの付録話がある。脚本を読み終えた監督が、僕に言ったのだ。
 「台詞が七五調で、韻を踏んでいる感じだけど、なんか意味があるの」
 監督もプロデューサーも、その脚本を、ミュージカルの様なものとは思わずに読んでくれていたのだ。
 「ええっと……ちょっと調子に乗りまして……」
 僕は余計なことはいわず、リズムを損なわない程度に、歌詞だった台詞を、すみやかに普通の台詞に書き直した。
 今、ここに、物置の中から見つけ出した「かしこいコヨーテ」の完成脚本があります。
 ミュージカル調の名残りがあるのが、照れ臭いが、ここに載せていただきます。
 脚本のよしわるしはともかく、脚本の書き方という意味で、参考になればうれしいのですが……本当は、ラブシーンや戦闘シーンのある脚本のほうが面白いと思われがちですが、脚本化されたそれらのシーンは、演出家に遠慮してか描写が簡単すぎてけして、読んで面白いものとは、少なくとも僕は思いません……「かしこいコヨーテ」は長さも短いし、アニメ化され、ある程度の視聴率をとったことも確かだし、僕の書いたものとしては脚本のサンプルとしては適当な気がしています。
 ところで、脚本中のNとは、ナレーション……語りの部分のことです。
 さて、「かしこいコヨーテ」の脚本の後は、さらに時代をさかのぼって、僕と脚本との出会いのあたりを、お話しようと思っています。

          以下 次号


●昨日の私(近況報告)
 十五年ほど前から小田原に住んでいる。
 とはいえ、自宅は東京の渋谷にあり、週一日は、渋谷の街をうろついている。だからといって、小田原が田舎だと思っている訳ではない。タワーレコードもあれば、アニメショップのアニメイトまである。東京のそこらの街には負けないが、そのくせのんびりした良い都市である。それでも、渋谷の街を離れないのは、変貌していく街の空気を吸っていたいからだ。……などと云いながら、本当は惰性で街をうろついているのかもしれない。ともかく渋谷のコーヒーショップの片隅で、若い客たちからあふれ出る会話の波を聞くでもなく、本を広げて、ぼんやり外を眺めているおじさんがいれば、それは、僕かもしれない。よろしく。
 

■第2回へ続く

(05.06.01)

 
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編集・著作:スタジオ雄  協力: スタイル
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