β運動の岸辺で[片渕須直]

第121回 無から始める音作り

 とにかく、演出が何か思いつくたびに、作画、撮影、美術、制作のスタッフ各位に苦労を強いることになる(『アリーテ姫』の編成では、撮影部が仕上も行ってくれていた)。
 制作途中からは、これにもう一部門増えてしまう。音響だ。
 スタジオ4℃のプロデューサー・田中栄子さんは、日本アニメーションの出身なので、日本アニメの系列会社で同社作品の音響制作を担当している音響映像システムに縁があり、ここにお願いしよう、ということになった。
 音響映像の所属で比較的若い録音監督に早瀬博雪君というのがいるので、彼と組んでみて、と栄子さんはいった。大御所の録音監督相手よりも、いいたいことがいえるよい関係になるかもしれない、という配慮をしてもらったのだった。早瀬君もそのあたりのことをよくわかった上で引き受けてくれて、こちらの意図をできるだけ汲もうという姿勢で臨んでくれたのがありがたかった。

 音響の仕事としては大きくみっつ。すなわち「声の芝居」「効果音」「音楽」。
 どれから手をつけたのか、前後関係はよく思い出せないのだが、音響効果は日本アニメの世界名作劇場や『ちびまる子』などでお世話になっていたフィズサウンドにお願いすることにして、ここでも若い音響マンである西村睦弘君を担当にしてもらった。
 西村君に4℃へ来てもらった頃には、ある程度映像がつながってできていたような気もする。それを見てもらった上で、早瀬君とともに説明を試みた。
 端的にいうとこういう感じの音づけができるとよいのだけど、といいつつ西村君に見てもらったのは、ビクトル・エリセの『ミツバチのささやき』だった。
 「だって……これ……全部同時録音の生音じゃないですか」
 監督がまたしても無茶をいったのだった。
 撮影現場で発生する音をその場で丸ごとマイクで拾ってしまうのと、音なくしてできあがった映像にいちいち音を作ってははめ込んでゆくのとは、響きも違うし、質感も音の密度もいたしかたなく変わってきてしまう。
 それはわかる。それはわかるのだけど……。
 「空気の音、ですかね」
 西村君は、何か自分なりの了解を得たようだった。
 「それぞれの場面で存在する空気の感じ。それが大事なような気がします」
 無音に見える場面にも、何か空気音を存在させる——その方向で、効果音の設計を。

 声の芝居を考えるには、キャスティングをしなければならない。
 主人公アリーテの人となりについては、まず最初の時点では、読書好きの少女という線から入っていたのだが、脚本、絵コンテと段階を踏んで色々と考えるにつれ、ちょっとブサ可愛い感じに作れないか、と思うようになっていた。
 本人はまじめに振舞うのだけれど、常に愛嬌が忍び込んできてしまうような。たとえば、始終鼻を啜るという(これは作画上の)演技プランも考えてみたりしていたのだが、そういう肉体的な表現をアニメーションで実現するのはかなり込み入ったことになってしまうので、断念していた。
 思いっきり三枚目的、性格俳優的なキャスティングにしたいのだけれど、と早瀬君に持ちかけてみた。
 程度がよくわからないので、こちらで人を集めてサンプルを録音してみます、と早瀬君が返してきた。
 「まあ、オーディションですけれど、それと同時に、方向性を狭めてゆくための材料集めというか」
 と、ここでも、こちらの意向がどの辺にあるのか、池の底探りのために十分な段階を踏もうとしてくれているのだった。
 その後、こちらが経験を踏んできて思うのは、このオーディションにこちらも同席して、その場で演技者に色々注文を出したりしていれば、ひょっとしたらブサ可愛いほうのプランでいけていたのかもしれない、ということだったりする。単に結果として上がってきた音声をテープで聞くのではなく、ああいう方向はあるのか、こういう方向はあるのかと、その場その場でその演技者の中にある可能性を見つけてゆけるならば、道の取り方も変わる。もちろん、早瀬君としても、第2段階ではそれをするつもりでいてくれたのだが、しかし、この最初に集められた、アリーテの台詞を読んだ声の中に、ひとつどうしてもこちらが逃れられないものが存在してしまっていた。
 自分自身への自信が十分でなく心細いアリーテ。それでいて、本を読むことから外界を探ろうとする知的な探究心。それらが同時に実現している演技。つまり、最初に思い浮かべていたアリーテ像に極めて近く、初段から完成度高くいきなりそこに迫る演技を示してくれていたのが桑島法子君だった。
 わずかな台詞を読んで、それを通してこの人物像にたどり着いてくれた人が確実に1人存在するというのは、実にありがたい。こちらが無から作り出そうと足掻いていたフワフワしたものが、その瞬間、確実に存在するものに変わっていた。

第122回へつづく

●『マイマイ新子と千年の魔法』公式サイト
http://www.mai-mai.jp

(12.04.02)